君に追いつきたい
先ほどよりも力強くなった奈央の足とは反対に、良一の足取りはとても重くなった。
教室は三階にあったため、階段で地上まで降りる。一階に着くとすぐにグラウンドが見えた。小学校までとは違い、遊具などがない。そのためにとても広く感じるそこで、春休み最終日を過ごしている先輩達がいた。当然、野球部も活動している。
先輩の一人に案内され、良一と奈央は新入生が集められているスペースへ連れられた。並べられた長椅子に新入生と思われる生徒が座っている。そこには当然智之もおり、良一は隣に立つ奈央の肩が震えるのを感じた。
良一は智之から離れた場所に座った。それは良一自身のためでもあったが、奈央のことを思えば当たり前のことだった。彼女には、ただ純粋に野球部の見学を楽しんでもらいたい。
練習を見ながら十分ほど経つと、奈央もだいぶ落ち着いてきたようだった。その視線はグラウンドに釘付けとなっていた。
それもそのはずだ。グラウンドでプレーする中学生のレベルは小学生のそれとは桁違いで、良一も彼らの動きに圧倒されていた。
智之が言うように、自分のレベルではついていけないのではないかと思うほどであった。
二時間ほどで見学タイムは終了した。練習自体はまだ続いているが、一年生はもう帰れということらしい。だが、たった二時間とはいえ、良一はもう満腹だった。
奈央の瞳は終始キラキラと輝いていた。彼女はまだ空腹なのだろう。彼女から打撃練習と守備練習は別腹だという言葉を聞いても、良一はおそらく驚かない。
「新入生の諸君、お疲れ様」
見学スペースの雰囲気が和んだとき、不意に低い声が聞こえた。それが監督だと分かった良一ら新入生は慌てて立ち上がって挨拶をする。
監督は続けた。
「野球部へようこそ。私が監督のキオカだ。練習はまだ続くが新入生はもう家へ帰ってくれ。学校側の規則なのでな。だが、その前に一つ質問をしたい。この中で野球経験者は手を挙げてくれ」
突然のことで少し戸惑ったが、小学校を卒業するまで野球を続けた良一は手を挙げた。奈央はもちろん、智之も手を挙げていた。手を挙げていない生徒も何人かいた。良一は二年前の自分を思い出した。
監督は、ありがとうと言って新入生に手を下ろさせた。そしてそのまま口を開いた。
「今手を挙げた者は、ちょうど一週間後に野球の実力を見るためのテストを行うから、そのつもりでいてくれ」
監督の言葉に新入生がザワつく。先ほど手を挙げていた者のほとんどが、戸惑った表情を浮かべていた。智之一人を除いて。
彼の口元は緩んでいて、ニヤついているようだった。まるでこの抜き打ちテストの存在を最初から知っているようだった。
その後も監督からの説明は続いた。要約すると、即戦力を見つけるために行うものらしい。つまりこのテストで結果を残せば、いきなり試合に出るチャンスを与えられるということだ。逆にこのテストで結果が出なければ、しばらくは球拾いの日々が続くのだろう。
このテストの価値は重い。皆それを理解しているのか、さっきまで和んでいた空気までもが重くなった。
しかし相変わらず、智之の表情には余裕があるようだった。
よっぽど自信があるのだろうか。確かに、実力があるのならばテストの存在はあまり気にしなくていい。むしろチャンスを喜べる。だが、テストの詳しい内容が分からない以上、そう簡単に楽観視できないはずだ。
「良一君……」
「何?」
小言で話しかけてきた奈央の方を見ると、彼女も智之の様子に気がついたのか怪訝そうな顔をしていた。
しかし彼女が気にしていた点は、良一とは少し違うようだった。
「あいつと監督って、少し雰囲気が似てるよね」
「え、そうかな」
彼女に言われて、良一は二人の顔をよく見比べてみる。完全に一致とまではいかないものの、確かにどことなく雰囲気が似ているような気がした。
そのときようやく良一は思い出した。智之の名字も、監督と同じ「木岡」であった。