千の夜 一の夢
3.タワシ頭の侍女
アデルは自室へ戻る途中、中庭に立ち寄った。ゆっくりとした足取りで、シンシアの木まで近づく。
この国にしかない珍しい木は、たくさんのつぼみをつけている。もうすぐ一気に花開く。
白く小さな花を咲かせるシンシアは、初夏が来れば必ず花を咲かせた。今年も変わらず咲くのだろう。
イニス王国でクーデターが起こらなければ、アデルにとって今年は特別な年になるはずだった。
――アデル姫。十年後、この木に白い花が咲いた時、迎えに行きます。
ノエルの言葉を思い出すと、心臓が鷲掴みにされたような痛みが走る。
アデルは泣いてはいけないと何度も自分に言い聞かす。
まだ、シンシアの花は咲いていない。咲くまではまだ希望を失ってはいけない。
ノエル王子。
約束を果たすために、亡霊でもいいから会いに来て。
もし、来られないのなら、シンシアの花よ。永遠に咲かないで。つぼみのまま、枯れ果ててしまって。
普段の自分らしからぬ考えに、アデルは自嘲気味に笑った。
わがままであきらめの悪い子だわ。
アデルは自室に戻ると髪飾りを外した。長い髪が一気に落ちる――ことはなく、横に広がった。アデルの髪は酷いくせ毛で髪を結ってくれる侍女たちがいつも苦労している。苛立ちと格闘しながら取り組んでいる彼女たちを鏡の中から見ていると面白かった。
ただでさえ、クセのある性格の姫様は、髪の毛までもクセが強すぎる等、思っているのかと考えると楽しかった。
装飾品を外すと、マーニャと呼んだ。
名を呼ばれた侍女はアデルと同い年で、ミルトン侯爵が治めるトカーニア地方にある小さな村の娘だ。純朴だが、上からの命を全て鵜呑みにせず考えこたえを出すところが気に入っている。
「姫様。ご用は何でございましょうか?」
「いつもの服出して」
「は、はい」
マーニャは町娘がよく着ている地味な服をアデルに手渡した。アデルの着替えを手伝いながら、すごすごとマーニャは尋ねる。
「姫様。行かれるのですか?」
「勿論よ。あのチャーリーとかいう男、うさんくさいんですもの」
「……ノエル王子によく似たとても綺麗な方と伺いましたが」
「だからこそ、うさんくさいんじゃない? ノエル王子に似たような人がごろごろいるわけないでしょう? 生きていれば年も同じ。ますますもって怪しいわ!」
地図をとマーニャに告げる。彼女は急いで地図を手渡した。
アデルはチャーリーとの短いやりとりで必要最低限の情報は聞き出していた。
チャーリーは二十六歳の青年で、世界中を渡り歩いていたという。
この国に来たのはおよそ半年前で、首都の大通りから少し外れた路地で細々と古美術商を営んでいる。
「……お一人で街へ行かれるのですか?」
「そうよ。一人の方が都合がいいしね。あ、ブラッドは何時から何時まで門番しているの?」
ブラッドとはマーニャの恋人で、将来を誓い合った仲だという。
生真面目すぎて面白みが欠けた男だと思うが、マーニャのように純朴な少女にはいいのかもしれない。
「三時から六時です」
「そう。いいタイミングね」
敵地を見にいき、周辺で聞き込み調査を行うには充分足りる時間だ。
「姫様だとばれますわ」
「ばれやしないって。こんな平凡で色気の無い女の子に誰も見向きもしないわ」
マーニャの心配をよそに、アデルはケラケラと笑った。
アデルは等身の前に立ち、厳しくチェックをする。どの角度から見ても町娘にしか見えない。
マーニャはそんなことはないと思う。
姫様は気付かれていない。美しいものは中から光り輝いている。姫様は宝石のように輝き、太陽のように温かい。城に来たばかりで戸惑っている中、姫様が声をかけて下さらなければ、先輩たちにいじめられ、泣き寝入りの日々が続いただろう。
「今度の休みはブラッドと同じ日にしてあげるから」
「あ、ありがとうございます」
アデルは微笑んだ。顔を真っ赤にして頭を下げるマーニャを可愛いと思った。
「焼き菓子を買ってきます」
使用人姿に変装したアデルを見た門番のブラッドはぎょっと目を剥いたのも一瞬、すぐに平常な振りをしたが、さぞかし肝を冷やしているに違いない。
「六時までには戻ってきます」
しおらしくアデルはブラッドに告げると、彼は咳払いをしてから「わかった」と告げた。
六時までに戻らなければ、何かあったと思えという意味でもある。
「おい、あんな侍女いたか?」
アデルが小さくなると、ブラッドと共に門を守るもう一人の男が尋ねた。
「いたんじゃないのか? 美人でもなく可愛くもないから印象に残っていないのだろう」
ブラッドは心の中でアデルに平謝りした。
「そうだな! あの頭みたか! タワシみたいだな!」
門番は大笑いした。ブラッドも笑っていたが、腸煮えたぎっていた。
お前、姫様をそのようにいうとはどういうことだ!
大通りはともかく人が多かった。どこからこんなに人が沸いてくるだろうか。いつも、不思議に思う。
ウィンランド王国はまだ歴史の浅い国だ。栄えた文化圏である大陸とは海で隔たれており、そのせいで、文化が遅れてやってくる。陸続きであれば、野暮ったいなどからかわれなかっただろう。アデルの曽祖父の時代、大陸全土を巻き込む戦争が起こり、混乱している中、戦火を免れたウィンランド王国は着実に大陸に追いついた。海上を快適に行き交いできる船ができてからはさほど不便に感じることもなくなった。
国が豊かになっているのを目の当たりにした父王と、豊かであるのが当然であったアデルとでは物の考えが違う。
父王は決して油断しない。気を緩めたら、すぐにでも以前の田舎臭い国に戻ると考えているようだ。
きょろきょろしていると、都に出てきたばかりの田舎娘のように映るだろう。親切な老婦人が何かお探しでと尋ねてきた。アデルはおいしい焼き菓子のお店を知らないかと聞くと、老婦人は丁寧に教えてくれた。彼女は、三番街にある「ロ・アッシュ」というお店を気に入っており、くるみがたくさん入ったブラウニーが絶品だそうだ。私の好みで申し訳ないけれどもと、控えめに告げた彼女に、好印象を抱いたアデルは早速買いに行くと告げ、丁寧にお礼を述べた。
丁度その店はチャーリーが営む古美術商の方向でもあったので、親切に教えてくれた老婦人に気兼ねなく向かうことができた。違った方向へ歩いていったら、老婦人に心配され、都会はわかりにくいだろうからと、お店まで案内されるかもしれない。
アデルは背中で老婦人の視線が注がれなくなるまで、注意深く行動をした。路地を曲がると、大急ぎで駆け出した。
チャーリーが営む古美術商店は、ここからは公園を横切った方が一番早く着く。アデルは地図を思い出し、確かめる。
アデルはベンチに腰掛け、母親に絵本を読んでいる少女の姿が目に入った。彼女が読んでもらっている本は、小さい頃、アデルも読んだ「フルハの魔術師」というおとぎ話である。