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千の夜 一の夢

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「たった一人でもいい。私を望む人が一人でもいるのなら、私は帰還する。だが、国に帰るには、強力な力が必要だ。その為には、お前の背にある古の秘法が必要だ」

 ゆるぎない強い意志にノエルは気おされそうになる。

「圧制に苦しむ故郷を救うには、強い力が必要だ。だけど、古の巨人を復活させる以外の何らかの手段があるはずだ」
「十年間お前は考えてきたのか? こたえは出たのか? ならば、教えてくれないか?」

 カノンは足を組み替え、せせら笑った。
 カノンは知っている。もし、考えついていたのなら、ノエルはすでに実行しているはずだと。

「兄さんは、考えつかなかったのか?」

 問いかけにはこたえず、逆にノエルは問いかけた。

「何かを考えるより、この大陸で恐ろしがられているのは古の巨人の復活だ。それを利用しない手はないだろう」
「復活させて、大陸を再び焦土化するのか」
「巨人は復活させずとも、その存在だけで効果はある」

 大陸を炎で焼き尽くした巨人を手に入れ、使わずにいられようか。

 炎に焼かれ崩れ行く世界が見えた。
 強大な力は、他者を屈服させるためのものなのか。弱きものを守るものではないのか。

「僕らは国を守れなかった。だが、最後に残された秘法だけは守りたい」

 死んでいった仲間の為にも、渡せない。

「渡せぬというのか?」

 カノンの瞳の奥に冷たいものが光った。余りにも恐ろしい青白い光にノエルはゾッとした。
 ノエルの意志に関係なく、カノンは背にある秘法を奪うだろう。穏便に物事を運びたいために、話し合いを設けただけだ。
 敵に囲まれ、一人で戦わなければいけない。
 兄と二人の王を相手に、立ち向かえる力などノエルにはなかった。
 渡せないと断れば、たった一人生き残った護衛のダリルを躊躇うことなく殺すだろう。彼らは、ノエルが失いたくないものに狙いを定めている。
 ダリルの次は、十年振りにカノンの護衛たちだ。懐かしさを思い出させる為に、彼らと会わせた。涙を浮かべて再会を喜ぶ彼らを、見殺しにできないノエルの弱さをカノンはよく知っている。
 そして、最後の切り札はアデルだろう。
 ウィンランド王は目的を得るためなら、愛する娘さえも利用する。十年間、ひたすらにノエルを待ち続け、今尚、力になろうとしてくれているアデルを、見す見す不幸の淵へと落としてはいけない。

 あの子には、幸せになって欲しい。

 幼い頃、ひどいくせ毛とそばかすを気にしていた女の子。そばかすは綺麗に消えていたが、くせ毛は当時と変わらない。
 初めて会った頃と何も変わらない。少し突っ張っているが、本当は誰よりも細やかな女の子だ。守ってもらいたいのに、誇りが邪魔をして素直になれない。誤解されやすいが可愛らしい少女なのだ。
 自分にはもう何もしてやることはできない。ただ幸せを祈るしかできない。

 両手の指の数より少ない知人たちを救うために、数多たる人々を死ぬ道しかないのか。
 本当に他に手段はないのか。

 カノンは、ノエルから視線を落として宙を見詰めた。それは、自分を信じろと仕草だった。

 信じてもいいのか。
 幼い頃から兄さんは助けてくれた。
 だが、十年の歳月は人を変えるのに充分な時間だ。
 もう二度と選択を間違えてはいけない。大切な人を失い、自分だけが生き残るわけにはいかない。

「兄さんの好きにすればいい」

 それが考えたあげくの果てのこたえだった。


 テーブルの上には二つの実が置かていた。親指の爪より少し小さめの木の実で、右側に置かれた赤茶色の木の実はグァブ、左側の黒色の木の実がファーヴである。
 グァブの実には一時的に体温を上昇させる作用があり、ファーヴの実には解熱作用がある。
 その二つの木の実をノエルはじっと眺めていた。

 ノエルが背にある秘法の引き渡しを承諾すると、扉が開き、スベニア王とウィンランド王が現れた。どこかで聞いているはずのアデルは、いつまで経っても姿を現さなかった。秘法を渡すと知ったら、すぐにでも飛び出してきそうなだけに気になった。

 カノンは既に背から取り出した古の秘法を移した水晶を部下に持ってこさせ、ノエルの前に置いた。
 まるで、熱帯魚が水槽の中で泳ぐように、文字がひらひらと揺れていた。
 ノエルは、文字が残り半分を待っているように思えた。長い眠りから再び覚めるために。
 ノエルはグァブの実を手に取り、口に含むと噛み砕いた。飲み込んだ後に、用意されていたコップ一杯の水を飲み干した。

「ノエル、直に立っていられないくらいに体温が上昇する。寝室へ移動した方がいい」
「ご心配なく」

 弟を思いやる兄に、無意味な意地をはっているとノエルは心の中で苦笑いをした。
 やがて、体が熱くなってきた。脈が速くなり、朦朧としてくる。ノエルはシャツを脱ぎ、背をカノンと二人の王に見せた。
 体温の上昇により、背にうっすらと浮かび上がってきたのは、解読困難なフルハの文字であった。フルハの文字を解読するために、幼い頃からノエルたちは学んできた。
 カノンは胸元に隠していた細い棒を取り出した。細い棒を回すと二倍に伸び、先は何かを引っ掛けられるように丸くなっている。
 これで、ノエルの背に浮かび上がった文字を摘み、水晶の中へと入れていくのだ。文字を移動させる技術――魔術を思いついたのはカノンだった。自ら編み出した魔術を、自分の身に使用するとは考えてもいなかっただろう。カノンは国の為、国民の為に様々なことを考えた。たとえ、古の秘法を奪われないためとはいえ、己を守るために使われる屈辱にカノンは耐えられなかっただろう。

―― あなたたちは、この時代に生まれてきただけで裁かれる理由などありません。国を荒廃させたのは、私たち先代の者たちです。

 王妃は凛としたまま涙を流した。ようやく頷いたカノンは、自分の背とノエルの背に秘法をわけた。
 あれから、十年の時をえて、文字が重なり合った。水晶の中にある文字を読んだノエルは、古の巨人が動き出し、大陸を焼き尽くす幻を見た。

作品名:千の夜 一の夢 作家名:加味恋