千の夜 一の夢
7.水の都
スベニア国の首都ガンパルニは、水の都と呼ばれている。ウィルービー川河口をさらに深削することによって、大型船を直接入港することが可能になり、大きく発展していった。東と西の海の丁度中間地点という地理的条件もあり、ここには様々な国旗を掲げた大きな船が停泊していた。
ウィンランド王族船が港に到着すると、ファンファーレが鳴った。
熱烈歓迎は、ウィンランド王国ではなく、古の秘法を持つチャーリー――ノエルに対するものだろうとアデルは思った。
長い間、船で生活をしていたせいか、足元がおぼつかない。
「大丈夫か」
父王が心配して手を差し伸べた。いつもなら大丈夫だと気丈に振舞うが、大勢の他国民が見ている中で見事にこけてしまったら、ウィンランド王国が恥をかく。
アデルは渋々、父王の手をとった。
髪は、青白い顔をしながらもマーニャーが美しく結い上げてくれた。
ドレスはアデルの若さが引き立つ鮮やかな緑色で、袖口や襟元にはレースがあしらわれていた。最近の流行である――裾を巻き上げて裏地を見せることで、ウィンランド王国が田舎臭い国ではないと主張した。胸元を飾るのは、母妃からもらったエメラルドのネックレスであった。たまには、母妃の無駄遣いも役に立つ。
アデルは父王に手を引かれ、堂々と船を下りる。遠くを見据えながらも、チャーリーのことを考えていた。
彼は、すでに船を出たのだろうか。まだ、船の中にいるのだろうか。
彼は別ルートで目立たないように、王宮へと連れて行かれるのであろう。そのために、こちらを派手に迎えたのだろうから。
王宮にはもう一つの秘法を持つカノンがいる。十年ぶりの再会に、彼らは喜び合うのだろうか……。
スベニア国、国王ヘルムート二世が遠くにいる人にもよく見えるように、大げさな手振りでアデルたちを歓迎した。
王家の紋章が刻まれた優美な馬車に乗り込み、王宮へと向かう。
馬車の中から見えるスベニア国の洗練された町並みに、豊かさの違いを見せつけられた。
なるほど。この国から見れば、わたくしの国は野暮ったいわね。
「アデル姫、どうなされましたか」
父王よりもかなり年上の国王ヘルムート二世は、黙って風景を眺めているアデルに声をかけた。
スベニア国王の肌にはつやはなく、深いしわが刻まれ、頭髪がかなり後退している。
だが、眼光鋭い目は、この国を統治する王者特有のものであった。
油断ならない強い目に負けぬように、アデルはにこりと年頃の娘らしく微笑んだ。
「わたくし、初めての海外で、緊張しています」
しおらしくこたえたアデルに、ヘルムート二世は意外そうに目を見開いた。
「気丈な姫君と聞いておりましたが、まだまだか弱い少女ですな」
スベニア国王は、高らかに笑った。アデルも一緒になって上品に笑った。
そんなはずないでしょうと、腹の中では思いながら。
アデルの猫かぶりに堪えるように、父王がクククと笑っていたのが腹立たしい。
人前でなければ、足を思いっきり踏ん付けてやったのに。
王宮は豪華絢爛で、細部まで職人の手が行き届いている。王家が威信をかけて作り上げた王宮にアデルは圧倒された。
お母様の浪費もかわいいものだわね。
もし、母妃が共に来ていたら、大変なことになっていただろう。
興奮し、はしゃぎまわって、失笑をかっていたに違いない。
赤いビロードの壁に歴代の王族の肖像画が掛けられている。ひときわ大きな肖像画は前々代の国王で、右手に杖を持ち、白いマントを翻し、やや振り返り立っていた。ウィルービー川河口を削り、国を大きく発展させたのはこの王だ。
立派な王だったはわかるが、きっと父王の方が立派なことをするに違いないと思うのは身内びいきかもしれない。
偉大な異国の王は、ひどいくせ毛だったので、少し親近感を抱いた。
スベニア国王から王妃、そして、十八になるマルガレーテを紹介され、皇太子のフランツは外遊中だと説明があった。
皇太子が外遊中であるのに引っかかった。未来の国王がいない時に、外国の王を呼ぶのだろうか。
マルガレーテはアデルに穏やかに微笑みかけるが、ふとした表情が怖い。
初めて会う人に、どうしてそんな顔されなければいけないの。何かしたかしら?
アデルは考えてみたが、まるで思い浮かばない。そうなると、こたえは一つしかない。
マルガレーテとスベニア国王が呼んだ。
「アデル姫を宮中、ご案内しなさい」
はい、お父様とマルガレーテは頷いた。
娘たちを追い出した後、何を話し合うのだろうか。
アデルは気が気でなかったが、ここは素直に従うべきだろうと思い、案内をしてくれるマルガレーテの後をついていった。
鏡の間と呼ばれる部屋に案内され、天井絵を見る。
天上の神々に祝福されたスベニア歴代の国王たち。ひときわ強く輝いている茶色巻き髪の王は前々代の国王だろう。
これだけのものを作り上げるのに、どれだけのお金がかかったのかしら。
お母様の無駄遣いに目くじら立てていたら、こんな王宮では暮らせないわね。
豊かなる自国を他国に見せ付けることに成功し、マルガレーテは優越感に浸っているのだろう。少しつりあがった口元がアデルを小馬鹿にしていた。
「アデル姫は、今は亡きイニス王国のノエル王子と婚約されていましたね」
突然、マルガレーテの表情が変わった。どうやら、本題に入ったようだ。
アデルはまずは先に、向こうからしゃべらせるだけしゃべらそうと思った。
何を話してくれるのだろう。この姫様は。
「十年前でしたけれども」
「とても、美しい方だったそうですわね」
ええとアデルは感嘆の声をあげる。
「わたくし、幼心にもこんな綺麗な人がいらっしゃるなんてと思いましたわ」
アデルは遠い過去をうっとりと思い出しながら告げると、マルガレーテの表情がどんどんこわばっていった。
作戦成功だわ。
アデルは胸の中でにやりと笑った。
アデルの想像が正しければ、マルガレーテはカノンに恋している。
あのノエルの兄なのだ。カノンは魅力に溢れた美しい青年に違いない。
マルガレーテはきゅっと唇を噛み締めた後、声を荒げた。
「わたくしの国に、亡命されたカノン王子がいらっしゃることを、ご存知ですわね」
弱い獣が牙をむいて、強敵に立ち向かう。敵のどこが急所なのか、必死に探り当てようとしている。敵がいたずら気味に、くわっと鋭い牙を見せると、か弱い獣は体をびくりとさせ、ぶるぶると震え始めた。
マルガレーテは攻撃されることになれていないお姫様だったのだ。
「カ、カ、カノン王子は、ノエル王子ではありませんわよ」
アデルに睨まれたマルガレーテは真っ青になり、瞳からうっすらと涙が浮かんでいた。
マルガレーテは明らかに誤解している。
アデルは亡くなったノエルの面影を求め、カノンを奪いに来たと思っているようだ。
彼女はカノンを愛するばかりに、疑い深くなっている。
「残念ですけど、カノン王子とはお会いできませんわよ。わたくしが絶対に会わせませんから」
アデルはいいかげんうんざりしてきた。この姫相手では話は進まない。