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タジオ幻想

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 椅子を引く音がしたので、垣内は意識を現実に戻した。見ると桜王達が出ていくところで、またしても彼と視線が交錯する。桜王はゆっくりと流すように垣内から目を逸らし、進行方向を見た。意味のない所作であっても、彼にかかると意味ありげに感じるから落ち着かない。さっきの鬱屈とした自問の答えは出る前に消し飛んだ。
 桜王は母親と妹とは喫茶室の入り口で別れた。しばらくすると喫茶室の窓から彼の姿が見えた。辺りを散策するつもりらしい。よくよく外に出るのが好きな少年だなと、垣内の目は窓から見えなくなるまで桜王の姿を追う。
「また『タジオ少年』ですか?」
 不意に声がかかり、垣内は桜王から目を離してそちらを見た。織部が立っていた。珍しくラフな格好をしている。それで今日が週末であることを知った。彼が陽のあるうちに来るのは週末か祭日だと決まっていた。たいていは夕方になるのだが、今日はまだ『おやつの時間』にもならない。
「こんな時間に来るなんて、珍しいな?」
「早く目が覚めたので」
 向かいの席に座ろうとする織部を制し、垣内は立ち上がった。
「だったら付き合えよ。散歩しよう」
「ストーキングですか?」
 垣内の思惑はすっかり見透かされていた。
「そうだよ。二人連れの方が怪しまれずに済むからな」
 開き直って答えてやる。織部は鼻でため息をついたように見えた。こんなわがままなど聞かなくても良いものだが、織部は黙って垣内の後ろをついてくる。
 我知らず口元に笑みが浮かぶのは、垣内自身が意識したものではなかったし、気づいてもいなかった。




「『二十一世紀のタジオ』は、やっぱり二十一世紀の高校生だったってことか。がっかりだ」
 手酌でビールを注ぎながら、垣内はため息をついた。
「いまどき、携帯を持たないような古典的な高校生がいるわけないでしょう。 案外、ロマンチストなんですね?」
「作家はロマンチストだって決まっています」
 桜王の散歩好きは、実に高校生らしい理由によるものだとわかった。携帯電話が圏外にならないところを探してはメールを送受信していたのだ。山に囲まれたこの辺は電波状況があまりよくない。一応は温泉地なのでまったくの圏外というわけではないが、使っている電話会社によって電波の受信レベルに差が出たり、時間帯によって受信出来る場所が微妙に変わる。桜王は選り良いポイントで、日がな一日と言って良いくらい、メールや電話をしていた。
 それだけならまだしも、電話での口調がどこにでもいる高校生そのものだった。紅をさしたように色好し形好しの唇から、声変わり間もない初々しい声で「マジ」だの「むかつく」だの、およそ似つかわしくない単語が羅列された。イメージダウンも甚だしく、百年の恋もいっぺんに冷める勢いだ。
 いまどきの高校生が悪いわけではなく、藤堂桜王がいまどきの高校生だったことに垣内はがっかりした。あれほどに美しい容姿なのだから、紡ぎだす言葉も美しくあって欲しかった。
「だいたい、料理は『美味いもの』であって、『やばいもの』じゃないぞ」
 更に腹がたつのは、目の前の織部が今日もまたアルコール類に口をつけないということだ。ラフな格好で来ているから、てっきり泊まっていくものだと垣内は思っていた。桜王に擬似失恋し面白くないことこの上なく、いつにも増して垣内は飲みたい気分だったのに、それなのに。
「今日も帰るつもりなんだな、織部?」
「明日、打ち合わせがあるんです。まだ会社勤めをしている新人なので、日曜しか時間が取れないから」
「新しく担当、持つのか?」
 織部は頷いた。昨年の竜崎文学賞の大賞受賞者だと言う。垣内も名前だけは知っていた。保険会社勤務の若いOLで、昨今流行りの『美人過ぎる』と冠された新人作家だ。織部がどことなく機嫌良く見えるのは、そのせいだろうか。さっさと引き上げたいに違いない。
――やっぱりこいつも、普通の男だったってことか。
 辣腕の織部がつくことから、会社の期待の高さが窺える。ますます忙しくなって、今までのように担当でもない垣内をかまう暇などなくなるだろう。納得しつつも複雑な心境なのは桜王に失望して気持ちがモヤモヤしているからだ。やはりいつまでもここに居るべきではないのかも知れないと、垣内は思った。
「つきあいの悪いヤツだ、まったく。いいさ、俺は飲むぞ」
 垣内はそう言うとコップの中のビールをあおった。




 ふわふわと宙に浮いていた垣内の身体は、柔らかなものの上に下ろされた。手のひらがその柔らかなものに触れて、布団なのだとわかった。次に目を開けようと試みたが、瞼が重くてままならない。無駄な抵抗はやめて、垣内はそのまま布団に身を預けることにした。
 閉じた目でも暗闇であることがわかる。
――織部はもう帰ったのかな。
 周りは音もなく静かだった。
 起きているのか眠っているのか、どちらとも言えない時間の中で、誰かの手が額から頬にかかる垣内の長い前髪を梳き上げた。手はしばらくそのままで留まり、温もりが伝わる。垣内の頭など一掴みするくらいに大きな手だ。こんな風に頭に触れられたのは、子供の時以来だった。垣内は父の手を思い出していた。
 その時、唇に温かいものがそっと押し付けられた。知らなくはない感触、自分のそれと同じ形。ただ重ねただけで、一瞬の温もりを残して離れて行こうとする唇――あの大きな手も動きを同じくして離れた。
重かった垣内の瞼は魔法が解けたように開き、まだ間近にあった顔を見た。暗くてはっきりわからない。それにこれは夢の中かもしれない。垣内に確認されることを拒むかのように、顔は遠ざかった。
 垣内は咄嗟に手を伸ばし、相手の腕を掴む。
「誰だ?」
 その確かな感触に夢ではないことがわかった。
 誰何の声に返事はない。垣内は確認しようと身を起こすが、不自然な体勢の為バランスを崩して、布団に向って傾ぐ。相手のもう一方の腕が、そんな垣内の背中を支えた。
 闇に慣れた垣内の目が、相手の顔を捉える。
「織部?」
 言葉での答えの代わりに、垣内の背中にある腕がピクリと反応した。それは肯定の意味を持つ。垣内は手を彼の首に回し、いっそう引き寄せた。
 息がかかるほどに近づいた二つの唇は、もう重なるほかはない。躊躇いがちに触れたところから漣のように熱が、垣内の身体全体に広がった。
 どちらからともなく差し入れられる舌先が、互いを求める。回し、回された腕に力がこもる。
――ああ、やっぱり、ごつごつとした硬い身体だ。
 抱き心地の悪い男はタイプじゃない。
 抱きこまれるのも趣味じゃない。
 しかし湧き上がる交歓に垣内は震えた。抱きしめあい、口づけを交わすそれだけのことで、こんなにも高揚する。その感覚を、垣内は長い間忘れていた。
――いつから? そうだ、こいつと出会ってからだ…。
 身体の快楽を求めて、遊びで付き合った人間は何人もいる。あとくされのない情事は身体の欲を満たしはしても、文字通り、後には何も残らない。しかし垣内は彼らの心まで欲しいと思うことはなかった。常に気持ちは充足していて、恋人を必要としなかったのである。
作品名:タジオ幻想 作家名:紙森けい