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タジオ幻想

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「わかってる。俺だってオスカー・ワイルド(脚注2)にはなりたくないよ」
 扇情的であると同時に、触れてはいけないものが桜王からは感じ取れた。それは警告に似ている。恋愛の対象としても、情事の相手にするにも年齢的に足りず、その点では垣内のタイプではなかった。しかし彼からその気を見せられたらきっと、拒めないことは想像出来る。うっかり近づいて手でも出そうものなら、どうなることか。破滅はごめんだと垣内は思った。
「あれは目で楽しませてもらうタイプだ。口説くなら市川君の方がいい。寂しくなったら彼に慰めてもらおうかな?」
「それはないでしょう。彼が先生のタイプでないことは知っています」
 織部は事も無げに言った。
「わざと?」
 彼の意図するところがわかった垣内は右の眉を上げる。
「遊びに没頭されたらここに来た意味がない。なのに伏兵がいたとはね」
 織部は箸を置いた。垣内は飲みながらなのでまだ半分も料理に手がついていなかったが、彼はすでに食べ終えている。垣内はビール瓶を手に取って織部にコップを空にするように促した。彼の最初の一杯はほとんど口をつけられないままに残っている。織部は「車で来ているので」とそれを断ると立ち上がり、ハンガーにかかった上着を手に取った。
「なんだ、帰るのか? 明日は休みだろ? 泊まっていけばいいじゃないか」
 今からだと帰りつくのは夜中になるだろう。垣内の部屋は、もう一人も二人も三人も泊まることが出来るほど充分に広い。久しぶりに誰かと飲み明かしたい気分だったし、織部から様子を見に来ると連絡をもらった垣内は、すっかりそのつもりでウィスキーを用意していた。市川にも、もう一組、寝支度を頼んである。
「理性がもたなかったら困ります」
「こんな田舎で禁欲してるからって、誰でも彼でも獲って食うと思うなよな。おまえこそ、俺のタイプじゃないっつうの。」
 行き場を失くした手のビールを自分のグラスに注ぎ、垣内はぐいと飲み干した。
「知ってますよ」
 織部は口元に苦笑とも何とも形容しがたい複雑な笑みを浮かべて、部屋を出て行った。
 室温が一挙に下がった感覚。この部屋は、一人で使うには広すぎる。一人は嫌いではないが、久しぶりに誰かと一緒の食事はそれなりに楽しかった。せめて自分が食べ終わるまで待てないのかと、垣内は織部を恨めしく思う。
 食事の続きをする気になれず、垣内はそのまま仰向けに寝転がった。




 大人の垣内でさえすることがなく退屈しているのだから、都会育ちの兄妹には尚更だ。同じ年頃の少年少女は少なく、いたとしても自分達とは全く異質な雰囲気に気後れして、二人を遠目に見るだけでなかなか近寄らない。それでも社交的な性質らしい妹の瑞姫には二日三日もすると遊び相手が出来、少女期特有の転がる鈴の音に似た笑い声が、時折、垣内の耳にも聞こえてくる。
 一方、兄の桜王は相変わらず一人で、気さくに声をかける宿の人間にも、軽く会釈するだけだった。思春期の少年にはありがちな態度ではある。それがそこら辺にいる高校生と違って見えるのは、やはり類稀な彼の美貌によるものだろう。聞けば母方の祖母が英国の貴族に連なる家柄だとかで、仕立ての良いそちら系の上品な服装がまた、いまどきの少年とは一線を画す。国会議員である祖父の国元に滞在するゆえの装いかも知れないが、よく似合って、一層、彼を別世界の住人に見せていた。
 ストーキングをするつもりではないのだがすることもないので――織部が聞けば怒るような理由だ――、垣内は桜王を視界に留めるようになった。いや、留めるつもりはなくとも、同じ宿に滞在しているのだから自然に入ってくる。今も大正時代の内装が残る宿の喫茶室でコーヒーを飲んでいる垣内の目には、窓際の席に座る桜王の姿が見えていた。
 母親らしき女性と妹の瑞姫が同席している。母親は桜王とよく似ていたが、息子ほどには目を引かない。垣内が異性の美醜に興味がないこともあった。しかし結局、刹那的な美に勝るものはないと言うことだと思った。
――やばいな、目が合っちまった。
 垣内の視界に入ると言うことは、桜王の視界にも垣内が入っていると言える。あからさまに観察するのは避けているにも関わらず、目が合うことがあった。それが頻繁になると、さすがに相手にも見ていることがわかるだろう。同年代の子供にならともかく、年上の、それも同性に見られることを気持ち悪いと思われても仕方がなかった。わかってはいても、垣内は彼を見ずにはいられない。とりあえずは手にした新聞に目を落す振りをした。
――アッシェンバッハもこんな気持ちだったのかな。
 アッシェンバッハとは『ヴェニスに死す』の主人公である。旅先で出会った絶世の美少年・タジオに心を奪われ、やがて破滅していく初老の作家。今の垣内と桜王のシチュエーションに似ている。
 ただアッシェンバッハと違う点は、今ひとつ垣内が桜王にのめり込めないところだった。見るのに楽しい対象ではあったが、それ以上どうこうと言う気が起こらないのだ。あれほどに完璧な美を持っていると言うのに。
 季節が小説同様、夏場であったら多少は違っていただろうか。宿近くを流れる清流で、彼は水遊びくらいするかも知れない。水着にはならなくても、足首や二の腕を見るだけで充分だ。陽に焼けなさそうな桜王の肌はさぞかし白く、欲情を誘うに違いなかった。
――でも年齢的にアウトかも。
 垣内は子供と恋愛する趣味はなかった。精神的に未発達な相手では洒落た駆け引きや、たとえ一時にせよ燃えるような恋愛に至るのは無理だ。きっと相手のわがままを聞くばかりで、自分は我慢することが多くなって疲れるに決まっていた。それ以前に、犯罪になることがわかっているから歯止めがかかる。
 情事の相手とは対等な方が良い。ジェネレーション・ギャップのない年齢で、時には押して時には引く、お互いを探り合いながらの会話。多少、かみ合わなくても、それがまた魅力に感じることもある。いくつになってもわがままを言い易く、かと言って甘やかされてばかりではない。相手の心が思うがままにならなくて切なくなるような、そんな関係を保てる相手。
「あれ?」
 そこまで考えたところで脳裏に一人の顔が浮かび、垣内の眉根が寄った。織部の仏頂面だったからだ。「ない、ない」と、浮かんだ顔を脳内から押しのけた。
 織部と二人きりになったことは数知れずあったが、一度だって色っぽい気分になったことがない。第一、明らかに自分より重く、抱き心地の悪そうなごつごつした男は垣内のタイプではなかった。
――禁欲生活が長くなると、ろくなことを考えないな。いい加減、帰らなきゃ。
 ここにいても、どうせ書けやしない。現にノート型パソコンを置いた文机の前に、垣内はまだ一度も座っていなかった。当初の目の保養である市川やタジオ少年がごとき桜王が創作の糧には為り得ていない状況で、滞在する意味がどこにあるのか。リフレッシュにのみ徹するつもりでも滞在費の出処が織部では、書かなくてはいけないと言う脅迫概念が心の一隅を常に占めた。そんな居心地の悪い状況であるのに、帰ろうと思わないのはなぜかと垣内は自問する。
作品名:タジオ幻想 作家名:紙森けい