Estate.
Date 7/25
歌を聴いていた。
夢の、中で。
「そろそろ起きたほうがいいよ。風邪ひく」
声をかけられて、目がさめた。
目をあけると、優しい顔でサキが覗きこんでいた。
「よく寝てたね。疲れた?」
そう言いながら、サキは微笑んだ。
ゆっくりと体を起こすと、少しだけ体がきしんで、顔をしかめた。
だいぶ長い時間眠ってしまったらしく、青かった空の色は赤く変わっていた。
「そういう訳でもないんだけどね」
この家では、どこまでも穏やかに時間が過ぎる。
「退屈?」
「だったらとっくに帰ってマス」
「あはは。ありがと」
どうぞ、とサキが差し出したのは、薄水色の壜。
「ラムネ?」
「そう。夏と言えばこれかカルピス」
「……古風」
「うるさいよ。いらないなら没収っ」
「いるいる。ありがとうな」
笑いながら、小さな音を立てて、ラムネの壜をあけた。
立ち上る炭酸の粒が、涼しげだった。
「昔さ、この栓になってるビー玉取り出したくなかった?」
「あー。取り出したかった。この壜の中に入ってるビー玉って他のと違うような気してさ」
「そうそう、そうだよね!!」
「サキ、取り出したことあるんだ?」
「うん、あるよ」
「俺、未だに取り出し方知らないんだけど。サキどうやったの」
「ん?そのまんまだよ。壜を地面に叩き付けて割った」
「……割るか普通これを」
「どうしても欲しかったんだよ。なんか、宝物みたいでさ」
サキは、壜を持ち上げて夕日に透かした。
きら、と、中のビー玉に夕日が反射する。
「今思えばバカだなぁって思うけど、あの頃は真剣だったな。それも、この家に居たときなんだけどね」
「怒られなかったの」
「んー、怒ろうとはしてたよ。でも最後は笑ってたな。そこまでするかってさ。今の真宏みたいに」
サキは、目を細めて、壜を見つめていた。
ふと、夢の中で聞いていた歌を思い出した。
「なあ、サキ?」
「ん?なに」
「お前さっき、歌、歌ってなかったか?」
「あれ、聞こえてたの?寝てたから聞かれてないと思ってたのに」
「夢の中で聞こえてた」
「うわ、不覚」
「何、聞かせたくないんですか、サキさん」
「真宏と一緒。一緒に暮らしてる人間に作品聞かれるのは恥ずかしい」
その発言に、俺は少し驚いた。
「歌が作品って、サキ、歌手なの」
「ううん。歌手、ってわけじゃないんだけどね。歌は、好き。いつか、……そうだねえ……。歌手になれたらいいなとは思ってる」
そう言うサキの表情はとても嬉しそうだ。
「へえ……。サキの歌、聴いてみたい」
「……夢の中で聞いてたんでしょ?」
「ああいうの聞いたって言わないと思いませんかねサキさん」
「あはは。まぁね。……そーだなー。……なんでもいい?」
「なんでも、っていうのは?」
「歌う歌」
「ン。いいよ」
「じゃぁ。……そーだなぁ」
サキは、少し考えるそぶりを見せてから、空を見上げて口を開いた。
流れる歌声に、俺は、呆気にとられて聞き入っていた。
サキが歌い出した曲は、『Let It Be』
誰でも知っているだろう、有名な曲だ。
当然、俺も知っていた。
だが。
なんと表現すればいいのだろう。
有体に言えば、サキはとても歌が“上手かった”。だが、ただ“上手い”という表現で終わらせてしまってはいけない気がした。
一度聞いたら忘れられない声。
その、力。
“才能”
そんなものを見せつけられた気がした。
「まーひろ?目開けたまま寝てるー?」
「……ンなわけ、ないだろ」
「よかったー。聞いてられないくらいつまらなかったかと思った」
「逆だ、ばか」
「へ?逆?」
「……逆」
「何それ」
「聞き入ってたんだよ。……才能あるわ、サキ」
「え、ほんと?あはは、嬉しー!!ありがと、真宏」
そう言ったサキが、本気で俺の言葉を信じたのかどうかまでは、わからなかった。
「本当に歌手になれて、いつかテレビで俺の歌が流れたら、嬉しいなぁ」
夢物語のように語るサキの隣で、俺はその日は遠くないと思っていた。
ふと、疑問が浮かんだ。
「そういえば、さっきお前が歌ってたの、違う歌だったよな?」
「ん?」
「俺が寝てるときに歌ってたの」
「あぁ、うん。違うよ」
あまりにもさらりとサキが言うものだから、俺はその言葉を流しそうになってしまった。
「さっき歌ってたのは、俺が作った歌」
炭酸のはじける音が、聞こえたような気がした。