Estate.
Date 8/30
「真宏、めーっけ」
サキのそんな声がして、すぐ隣に、サキがすとんと収まった。
「サキ」
「部屋に居ないから、探しちゃったよ」
「ああ、悪い」
「いいけどさ」
縁側に、二人。
差し込む光は茜。
空は、夏の終わりの色だった。
「明日だね」
「ああ」
「もう、準備終わった?」
「大体ね。まあそもそも荷物が少ないから、準備も何もないんだけどさ」
この家に来た時、俺が持っていたものなんて、鞄一つ。増えたモノを入れたところで、たかが知れていた。
「そっかそっか。……うーん。あっという間だったなー、この二ヶ月」
「ああ」
「真宏に初めて会ったのが二ヶ月前だなんて、なんか信じられないけど。……っていうか俺、あの時よく真宏の誘いオッケーしたよね。普通、知らない人と二ヶ月暮らすなんて、絶対しんどいのに」
「おいこら、それを今言うのかお前は」
「何言ってんの、今でなきゃ言うときないでしょーが」
サキは、そう言って楽しげに笑った。
「……でもね。俺、真宏の誘い断んなくて良かったな、って思ってる。楽しかった。この二ヶ月。すっげー、楽しかったよ」
キラキラした子供のような笑顔。
この夏、いつでも隣にあった、サキの笑顔だ。
「……俺も。楽しかったよ。ここに来て、良かったと思ってる」
「本当に?」
「本当に。あの日ここに来て、お前と一緒に暮らし始めてさ。思った以上に居心地良くて、あっという間に夏が過ぎた。本当に、毎日が、楽しくてたまらなかったよ。一生分の夏をここで過した。そんな気がする」
言葉にしながら、沢山のことを思い出していた。
初めて会った日のこと。
笑いながら過した日々のこと。
夢の中で聞いた、歌声。
子供みたいにはしゃぐ姿。
不意に見せる大人びた顔。
そしてあの日見た、泣き顔も。
たった二ヶ月。
それは、瞬く間に過ぎた、……永遠の、夏。
「……真宏ってさー、やっぱり作家だよね。出てくる言葉が、どれもみんなすごく綺麗なの」
「そうか?」
「うん。まあ、真宏にとってはそれが普通なのかもしんないけど」
そう言うと、サキは、とん、と庭に下りた。
サキが見上げた視線の先には、背の高い向日葵がある。
向日葵は、告げていた。
この永遠の夏の終わりを、そして、新たな季節の始まりを。
その身に新しい命を抱き、まるで、過ぎ去る季節を見送るように頭を下げて。
「ね、真宏、覚えてて」
「ん?」
「俺ね、真宏の言葉が好きだよ。真宏の立ってる世界は、すごく優しい。だから、真宏の言葉も優しい」
「……」
「真宏はね、独りなんかじゃない。それを、真宏はちゃんとわかってるよ。でなかったら、そんな優しい世界に立っていられるわけないもん」
……ああ。そうか。
微笑みを抱いたサキの声が、すとん、と、胸に落ちた。
“ひとりじゃないんだってことを、知りたかったのかもな”
そんな風にサキに言ったのは、いつのことだっただろう。
あの日零した本音。心の奥に、ずっと抱いていた、問い。
答えが出る日など、来ないと思っていた。
それなのに。
答えをくれたのは、―――――サキ。
「真宏に会えてよかった。真宏と暮らせてよかった。楽しかった。嬉しかった。幸せだった」
「……ああ」
「本当に、本当に、ありがとね、真宏」
向日葵を見上げたままのサキの表情は、見えなかった。
サキはどんな顔をしていたのだろう。
そして俺は、一体どんな表情で、サキを見つめていたのだろう。
答えはただ、風に揺れる向日葵だけが知っていた。
夏の終わりの風が、優しく頬を撫でていった。