人間屑シリーズ
何かとてつもなく大きくて黒いモノが全身を包み込み、俺の存在を飲み込み取り込むような感覚がふいに全身を襲った。どうしようもない不安感。浮遊感。俺は……俺は……! クソッ! 何だこれ。何だよ、これ!
俺はすくと立ちあがると泣いている母を仏間に置いたまま、玄関へとひた走った。俺は……俺はここにはいられない! いてはならない!
玄関の扉を開けようと、外の世界へ帰ろうとしたその瞬間――
「ただいまー」
ごく自然な声と共に、扉が開いた。
「っ! 兄ちゃん!?」
目の前に現れたのは優秀な弟。親父の期待を一身に受け、写真の中からじゃ無く生身の親父にいつも微笑んでもらっていた弟。親父が死んでからも尚、母さんの支えになっている優しい弟。懐かしさなんて感じる暇なんかない。弟を見ているだけで、全身を包み込む黒いモノの勢いが増していく。
「兄ちゃん……」
高そうなスーツを身にまとい、一流企業で働く弟は兄の顔を見ると泣きそうな顔をしながら微笑んだ。かたや上下スウェットで実家に帰ってきたニートの兄は、今にも自己嫌悪の闇に頭のてっぺんまで飲みこまれそうで、微笑み返す余裕なんか無い。
「兄ちゃん……良かった……帰ってきてくれたんだね……」
優しい声でそう言葉をかけてくる弟。
どうしてだよ! 俺は親父が死んだ事すら知らなくて、ずっと放ってばかりいて、逃げてばかりいて……。ここは俺を責めるトコだろ! なんでだよ! お前、眩しすぎるよ! 俺みたいな屑には痛いよ! 俺は……! 俺は……っ!
「うわあああああああああああああああああああああああああああああああ!!」
叫び、逃走。ボロボロのサンダルをつっかけながら、真冬に実家からスウェットで逃走。
「――――――兄ちゃんっ!」
遠くの方で弟の声がした。だが追いつかれてはいけない。追いつかれるわけにはならない。追いつかれたら……追いつかれたらそこには――俺は全力疾走した。
こう見えても、中学の時は陸上部だったんだ。中学の体育祭ではリレーのアンカーだったんだ。親父も喜んでくれたんだ。弟も尊敬してくれたんだ。母さんも朝から張り切って弁当を作ってくれたんだ。俺が一番眩しかった時代。瞼の裏であの頃の俺が自信たっぷりの表情で笑っている。まるで古いフィルムが再生されるかのように、あの日の映像が頭の中で蘇る。