人間屑シリーズ
*
クロのマンションに戻ると、私達は契約書に不備が無いかを確認した。
「うん、いいね」
クロはそう言ってパソコンで何やら手続きをした後、私に問いかける。
「どうする? この人、早速始める?」
「うーん……」
少しだけ考える。彼のタイムリミットは近い。けれどもっと焦らせてしまっても良い気がした。
「まだいいよ、明日の朝から嫌になるほど焦ってもらおうよ」
「ははっ。シロ、君も慣れたものだね」
そう愉快そうにクロは言う。
「さて、じゃあ明日の朝まで暇だね。まだ借りてきたDVDを消化しきれてないし、映画でも見て過ごそうか」
「うん。次は何を見るの?」
「そうだなぁ……。次はこれかな」
そう言ってクロが取り出したパッケージには“幸福の黄色いハンカチ”と書かれていた。
「随分古い映画だね」
「うん、今から三十年も前の作品だから。でもすごく渋くて好きなんだ」
DVDをセットして再生ボタンを押す。古びた映像が流れ始めた。
映画を見ていると、ふいにクロが呟いた。
「……もし僕が捕まったら、シロは黄色いハンカチを用意して待っていてくれるかい?」
例えようの無い感情が、心に浮かびあがりそうになるのをグッと抑えて私は答える。
「クロが戻ってくるなら、黄色いハンカチを百枚でも二百枚でも用意して私は待ってる」
「そっか。僕は未成年だから、もし捕まったとしてもきっと帰ってこれると思う。でも……もし、もし帰って来られなかったら」
「一緒に地獄へ落ちるわ」
クロの言葉を遮って私は言った。
「クロだけにそんな思いをさせない。クロは私の全てだもの」
私にはもう帰る場所なんて無い。世界を狂気に満たせても、一番染まりたい自分はきっと正気のままだ。心の片隅に両親の笑顔がこびりついている限り。
けれどその映像を消す事なんて出来ないから。だったら狂気から逃げるしかない。逃げて逃げて、別の狂気を作り上げる事に夢中になるしかないんだもの。そうしてさえいれば忘れられるから。全て、忘れていられるから。
「シロ。大丈夫だよ、君は大丈夫」
クロはそう言って私の右手にそっと触れる。私達がお互いの境界を消して一つになる、いつもの儀式。
なんだかふいに涙が出そうになった。
クロも本当は不安なんだろうか。だからこんな事を急に言い出したのだろうか。
私は十六歳でクロは十四歳なのだ。十四歳のクロがどうしてこんな事が出来るのだろう。吸血鬼だから本当はもっとずっと生きているのかな、なんて幻想にも逃げたくなる。だって十四歳のクロにこんな事が出来るっていう事は、それはクロがどこかで辛い思いをしているって事だから。
どこかで何かを代償にしている。私にはそれが何かは分からない、分からないけれどもクロが辛そうなのは分かる。それだけが分かっていて、だからこそ私も辛い。
簡単に死を他人に委ねられる人間なんて大嫌いだ。最低の屑だ。
少なくとも私とクロは必死に生きてる。もがきながらも生きている。自分で自分を否定しない為に、毎日毎日足掻いているんだ。死にたいのならば一千万などという餌に釣られずとも死ねば良いのだ。契約者どもはその始まりからして罰せられるべき存在だ。
……それともこれは言い訳だろうか。人間は弱い生きものだと分かってしまったから。だから惑うという事も知ってしまったから。それでも最早止める事など出来ない自分に対する言い訳……。
……それでも良い。言い訳だって構わない。私はクロと笑っていたい。