人間屑シリーズ
*
猛ダッシュの末、観覧車前にたどり着いたのは午後五時十八分だった。残り時間はあと十二分。
観覧車の前に並ぶ列は無い。乗り込もうと歩みを進めようとした。だが――
「嘘だろ……」
黄色い観覧車は二つあった。今ちょうど頂点にいるウチュウくんの描かれたものと、その二つ後ろにあるウチュウくんの彼女であるシンカイちゃんが描かれたものだ。
観覧車は一周十五分はかかる。チャンスは一回しかない! 携帯を開きメールを打つ。
『どっちだ!?』
返信は今までで一番早かった。
『主役にふさわしいステージは、主役のウチュウくんでしょ』
届いたメールを睨みつけた後、観覧車へと視線を戻す。頂点にあったウチュウくんはこのやりとりの間も下降し続けている。ウチュウくんが乗り込み口にまで来るには、あと三分といった所だろう。
乗り込み口に向かいウチュウくんに乗りたい事を係員に伝える。
真冬にずぶ濡れの男に鬼気迫る表情で「ウチュウくんに乗りたい!」などと言われて係員は、かなり困惑していた。当然だ。俺自身、正気の沙汰とは思えない。
「はぁ……」
生返事をしながらも、係員は下降してきたウチュウくんの扉を開いてくれた。
転がり込む勢いで中へと飛び乗る。時刻は? 腕時計に表示されていた数字は、午後五時二十八分! あと二分しかないじゃないか!
どこだ? どこだ!? どこにある!?
座席の下。無い! 座席後部の空間。無い! どこだよ! 他に探すとこなんてねぇぞ!?
狭い観覧車の中で、ありとあらゆる所に触れる。
ふと座席シートを引き上げてみた。するとそれはバリバリというマジックテープの剥がれる音と共にあっさりと外れた。そしてそこにあったのは――
「あった!」
<死にたくなくなったら、お気軽にボタンを押して下さい>と書かれているあのスイッチ が。俺は迷わずスイッチを押した。
ぴんぽーーん、とファミレスで店員を呼ぶのと同じトーンの間抜けな音が、観覧車内に響き渡った。
時間は? 午後五時三十分。……間に合ったのか?
間に合ったよな? 秒単位で間に合わなかったなんて事ないよな?
……確信などあるはずもなかった。
観覧車は上昇する。ゆっくりゆっくり頂点へと。間に合ったにしろ間に合わなかったにしろ、この観覧車が地上についた時が審判の時だ。
俺のやるべき事は全て終わった。
――窓からは海が見える。冬の海はただただ重く静かに、寄せてはかえす。
水に濡れた衣服が冷たくなっている事に、今さらながら気が付いた。
……寒い。体が震える。いや寒さだけじゃ無い。怖いんだ。
観覧車は頂点を過ぎ、あとはゆっくり下降するだけだ。この扉が開いた時、俺はどうなるんだ? 死ぬのか? それとも生きていられるのか?
……死ぬのが怖い? いや、そうじゃない。愛しいと思った人たちと永遠に別れるのが悲しいんだ。何も残す事が出来ないのが怖いんだ。
そして観覧車は下降を続け――
ついにその扉は開かれた。
「ありがとうございましたー」
係員の声とともに扉は開き、俺は観覧車から降ろされた。数歩ずつ歩みを進め、観覧車から少しずつ離れる。
助かったのか? 終わったのか? もういいのか? 安堵したその瞬間――
パンッという乾いた音が辺りに響いた。
そんな……間に合わなかったのか……?