人間屑シリーズ
人間には屑など無い
借金が無くなった。
組織の主犯だった少年の自殺で、俺の人生を動かした事件はあっけなく終わった。
先輩は今も警察で事情聴取を受けているらしい。俺は愚図で結局ただの一人も会員を勧誘する事は出来なかったから、拘束される事は無かった。
借金も無く事件も解決、俺は晴れて自由になったわけだが、心まで軽やかと言うわけにはいかなかった。
先輩……。
俺はやっぱり先輩が気になるのだ。今、とてつもなく不安なんじゃないだろうか。そう思うと自然と足は先輩が事情聴取されている警察署へと向かっていた。
先輩が事情聴取を受けている刑事課の扉の前に設置された長椅子には、一人の男が座っていた。この男も事件の関係者なのだろうか。そんな事を思いながら俺は、男の横に腰掛けた。
俯きながら座っていると、ふいに男から声をかけられた。
「高橋さん……ですか?」
「え? ……あ……はい」
何でこの男が俺の名前を知っているのだろう? 気味が悪いと思ったが、もしかすると先輩の知り合いなんだろうか。そんな疑問を持ちながらも生返事を返した。
「そうでしたか。カオリが大変申し訳ない事をしました」
「カオリ?」
その馴れ馴れしい呼び方に何か沸々としたものが込み上げてくる。
俺のその思いが顔に出てしまっていたのだろうか。男は慌てたように居住まいを正すと、改めて俺の事を真正面から見据えて言った。
「申し遅れました。私はカオリの元夫で、池垣隆一と言います」
元……夫? 先輩の?
「はぁ……」
俺はやっぱり馬鹿みたいに頷くことしか出来なかった。
「あなたの事はカオリから聞いています。古い知り合いだと」
……知り合い。
先輩の元旦那の言葉が胸に突き刺さった気がした。
「……えぇ、まぁ」
煮え切らない返事だな、と我ながら思う。
俺がそう言うと、男は大きく息を吐いた。
「あなたはカオリに騙され……この組織に関わってしまった。本当に申し訳がありません」
そう言って男は俺に向って頭を下げた。
なんでお前が謝るんだよ! 内心、男の謝罪を不快に感じた。
「元はと言えば、私の責任なんです」
元旦那はため息を一つ吐いた。
「カオリはあの組織に命を売り、その代金の受取人を私に指定していました」
先輩が……? 元旦那のこいつに?
妙に気持ちがざわついた。
「私は彼女の心の闇も痛みも全て受け入れるつもりで結婚したのですが、それは出来なかった。結果、彼女を以前よりも傷つけ……そして離婚しました。受取人に私を指定したのは彼女の私への復讐だったのです。生涯、私にその咎を忘れさせぬよう」
……違う。
「あの日……。カオリが契約を完了し、新たな被害者を作ろうと躍起になった日。私は彼女を止められませんでした。彼女は私を憎んでも憎みきれないでしょう」
……違う。
「私は」
「違いますよ」
男の声を制すかのように俺は声を上げた。
「え?」
不思議そうにしている男の顔を真っ向から見据える。そうだ、違う。先輩は――
「先輩は……やっぱり今でも愛しているんだと思います。……あなたを」
「いや、それは無いで」
「愛しているんですよ」
男の言葉に被せて言ってやった。なんでこんな事を俺が言わなきゃなんねぇんだよ、クソッ!
「本当に嫌いなら誰も相手に何かしません。どこまでも無関心に、別の世界で生きていくでしょう。けれど先輩はそうしなかった。あなたに最後――もう一度振り向いて貰いたかったんですよ、きっと」
先輩は死ぬ気だったのだろう。本当に本気で死ぬ気だったのだろう。けれどその瞬間に、頭に思い浮かべたのはこの男だったのに違いない。そして最後にもう一度だけ賭けたのだ。
「けれど……、カオリは私の事を……」
「先輩は自分の気持ちを整理するのが下手くそなんです。本当はまだあなたを愛していたとしても、また裏切られ傷つくのが怖いから、心の奥底でごちゃごちゃにしまってある色んな感情を引っ張り出して、混ぜ合わせてドロドロにしてそれで」
あれ? 俺なに言ってんだ? 自分でも分からなくなってきた。でも、そうだ。先輩は――
「それで……愛情を隠したんですよ。恐怖を憎悪で包みこんで」
「っ!」
俺のその言葉を聞くと、男は身を伏せ泣きだした。
嗚咽を漏らしながら涙する男を見て、やっぱりこの男も先輩の事をまだ愛しているんだなと、そう感じた。
……全く。こんな所にまで来て、俺は一体何をしているんだろう。