人間屑シリーズ
天使を見た男の安寧
あの事件が終わりを迎えたそうです。
主犯の少年の自殺と言う形でした。
あんなにも人々を傷つけた“組織”の中心人物が少年と少女であったという事実に、私はいささか驚きました。
旧友の刑事の話によれば共犯の少女は精神的な錯乱が激しく、未だ詳しい事情を聴けていないのだとか。この事件が真に解決するには、まだもう少し時間がかかる事でしょう。
しかしなんにしても大変ほっと致しました。
これでもうミカさんが自身を売る事は無いのでしょうから。
彼女は天使として生きていけるでしょう。これからもきっと……。
勿論、私との奇妙な関係もこれにて終了です。
彼女が私の事を「惣ちゃん」と呼び微笑む事は、もう二度と無いでしょう。
彼女は私の事など忘れて、本来あるべき日常へと帰っていくのでしょう。
――それでいいのです。
何も寂しい事などありません。私のような人間には、彼女との思い出ですら出来過ぎた代物なのですから。
私は彼女がどこかで心から微笑んでいるのならば、それだけで幸せなのです。
ウィィンという音を立てて、勤めているコンビニエンスストアの自動ドアが開きました。
「いらっしゃいませ!」
条件反射的に笑顔を作り、お客様を迎え入れます。
そこにいた人物に、私は心底驚きました。
「惣ちゃん!」
ミカさんがいたのです。彼女は私の名を呼ぶと、私に向って手を振るのです。これは一体……?
「ミカさん……どうしてここに?」
「どうしてって暇だからだよー、春休みだしさー。惣ちゃんもうすぐバイト上がるでしょ?」
「え……ええ……」
私は戸惑います。だってもう彼女には私など必要無いのです。
「じゃあさ、映画行こうよ。私、見たい映画があるんだ」
そう言うと彼女は私の右手を握りました。初めて出会ったあの日のように。
「梅林さん、もう上がっていいッスよ」
同僚の高橋君が笑いながらそう言います。
「いえ、でも勤務時間はまだあと十分ありますし」
私がそう言うと、高橋君は本当に優しく笑うのです。
「十分位、どーって事無いですよ。店長もいないんですから」
「そうだよ、惣ちゃん! ね? いこ」
しかし――とまだ口ごもる私の背を高橋君が押すのでした。
私は「では今日だけ」と、人生で初めて不正行為を行ったのでした。
ミカさんは私の手を引きながら、ずっとにこにこと楽しそうです。
その手の温もりが不正行為を行ってしまったという、私の罪悪感を溶かしていくような心地がするのでした。
長い髪を揺らしながら、ミカさんはそれは愉快そうに歩みを進めます。
一体どうして私のような冴えない人間と、彼女は過ごすのでしょうか? 私は若者が喜ぶような事は、何一つとして知りはしないのです。
ミカさんが私の方を振り向き、にこりと微笑みました。
しかしそれだけで私の中の、ありとあらゆる疑問が全て解消されてしまうのでした。私は今、間違いなくとても幸せな心地なのです。
彼女はいつか本物の恋を知り、私の元を去るでしょう。
そうして私はいつしか忘れられていくのでしょう。
それで良いのです。それが本来あるべき姿なのです。
しかし今はまだ……私はこうして彼女に手をひかれ、戸惑いながらも笑いましょう。
微笑む彼女を見守っていきたいと心からそう願うのです。
――彼女が私から巣立っていくその時まで。