人間屑シリーズ
四日目
鈍い痛みで目が覚めた。
見慣れた黄緑色のカーテン。煤けたその布切れの隙間から射す朝日が妙に眩しい。
昨夜、無我夢中で実家から逃げた後、どうやってこの住み慣れたボロアパートに帰ってきたのかは分からない。だが、手や足に印された無数の擦り傷が、非常にみっともない形で逃走してきた事を物語っていた。うっすらと血が滲む手を見つめると、何故か親父の手を思い出した。
「……ぐ……っ………う……ぁ……っ……」
内臓を内側から逆さまに引っ掻かれるような痛みと共に、喉から嗚咽が漏れる。熱い雫がボタボタと音を立てながら床へと落ちていく。俺は号泣していた。ミルクを奪われた赤子のように声を上げて泣き叫んでいた。誰か……! 誰か、誰でもいい! 誰か、俺を蔑んでくれ! 両親と弟、そして俺という“家族”の肖像が脳裏に浮かぶ。
そうだ。一千万の受取人を変えなければ。こんな状態で俺が死に、そして程なく一千万が振り込まれたら母さんは? 母さんはどんな思いで残りの人生を過ごす事になるんだ? 何が復讐だ。何が後悔させてやるだ。ほんの三日前の自分のアホさ加減に反吐が出る。
泣きながら後悔なんて言葉では言い尽くせない程に悔いていると、携帯からメールが届いた事を知らせるメロディを奏でた。
半ば事務的に携帯を開くと、そこにはいつものメールが届いていた。
『本日お亡くなりになる予定の方です』
その文章の下に表示されている名前には目を合わせる事が出来なかった。あと四日後には、俺もこうなる運命なのだ。
「は、はは……」
自然と笑いが込み上げた。これは自嘲か? それとも諦念だろうか? 分かりはしなかった。己れの屑な嘲笑の意味など、考えたくもなかった。とにかく今俺がやらねばならない事は、受取人を変更する事だ。
とはいえ、弟の口座番号など知るはずも無い。やむなく俺は受け取り口座を母の口座から自分の口座を指定しなおした。
指定日にメールを送れるサービスを利用し、五日後に弟のメールアドレスに俺の住所を知らせるメールが届くようにしておいた。通帳や印鑑の場所もメールに記載しておいた。弟のアドレスが変わっていたらそれまでだが、とにかく今はこうするより他は無い。
ふと時計を見ると、午後三時を回った所だった。
…………。
そうだよ! 先輩だよ!
俺には先輩とのスペシャルオシャレイブがあるじゃん! 何を暗い気持ちに浸ってんだよ! 後悔したって始まらねーよ。つーか後悔と反省を繰り返すような人種だったら、最初っから何年もニートなんかやってねぇよ、バカ。俺は屑だ。屑は屑らしく生きて、屑らしく死ねばいい。そうだろ? そう思って契約した事だろ? 自分自身へと言い含めると、俺はそそくさと着替えを済ませた。
ともすれば浮かび上がってくる昨夜の事を頭の隅に追いやって、颯爽と街へ繰り出す。今日は――今日という日は先輩の事だけを考えよう。そうすればいい。そうしていればまた一日が終わる。
先輩の待つホテルへ向かう道中に見つけた花屋で花を買おうと思って立ち止った。花は数日後には死ぬ自分が送ってもいい唯一の贈り物に思える。枯れるから。
バラを買おうと思って値札に目を向けて――そしてそのバカみたいな値段に俺は思わず眩暈を覚えた。