A Groundless Sense(5)(完)
たちこめる煙。岡崎の姿はまだない。
カツシは気を取り直し、大きく空いた穴めがけて走った。
泉子の手当てを蘭に任せ、千江も少年につづいた。
くすぶる煙をかき分けていく。
穴は不完全だった。子供かよほど痩せた女でなければ通れそうにない。
岡崎は穴のそばで壁を背に、すわりこんでいた。腕が血に染まっている。先の爆発でできた瓦礫が上手い具合に石塁を築いていたが、突破されるのは時間の問題だった。
「僕のことはいい。早く遠くへ」
「あんたのためじゃない」
カツシは断続的に弾幕を張って、常管らしき包囲陣を遠ざけた。予備の弾倉は先の爆発にすべて使ってしまった。残るは手持ちの三本。
「どういうこと?」
千江も銃撃に加わる。
「それより、穴が小さい。どうする?」
カツシは空になった弾倉を捨て、次の一本を装填した。
「どうもこうも、ここで全員狙い撃ちするしかないわ!」
とうとう俺も人殺しか。カツシは唇をかみしめた。
それでも弾の数のほうが足りていない。万事休すだった。
そのとき、背後で女の声がした。
「どいてください!」
細いシルエットは、ミナトだった。
千江と岡崎は驚きのあまり言葉がない。
カツシは千江を連れて外に出ると、小型の予備銃を持った黒髪の少女に言った。
「待ってろって、言ったのに」
「こうなるような、気がしてたの」
カツシは千江たちに嘘をついていた。壁に穴をあけると約束して、ミナトを待たせていたのだった。
「ミナト……」
「今までありがと。さよなら」
ミナトは壁の大穴へ入ると、奥の隙間に体をねじこんだ。
痩せすぎの少女はそこを通り抜けてしまった。
ミナトは岡崎と見つめ合い、しばし抱き合った。
話す間もなく、敵の銃撃が再び襲ってきた。
応戦の末、ついにカツシたちは弾を撃ちつくした。敵に死者はいないようだったが、負傷して撤退した者数知れず。それでも八人の男女が無傷で立っていた。
千江はフェイスガードを外した角刈りの男を見て、舌打ちした。
「チッ、伊勢までいたか……」
常管の忠犬にして猛犬、伊勢は言った。
「岡崎ユタカ、第二級常識破りで逮捕する。男を幇助した板橋ミナトも同罪とみなす」
岡崎とミナトは聞いていなかった。互いにきつく抱きしめ唇を寄せ合っていた。
「お、おい! やめないか……」
伊勢は二人を引き離そうと壁に近づいて、ふと、光がさす方へ目をやった。
「な、なんだこれは! そこの二人、どけ!」
カツシと千江は素直に従った。
視界がクリアとなり、伊勢の瞳に青い空と緑の森が映った。
ウグイスが短い歌を口ずさむ。
大男は口をぱくぱくさせたまま、立ち尽くしていた。
他の七人もぞろぞろやってきて、同じように固まった。
副官らしき女は言った。
「しゅ、主任……これは?」
「話しかけるな。気が散る」
常管の八人は吐息を何度ももらし、光の世界に見入っていた。
やがて、千江が穴に入ってきて言った。
「真実の世界へようこそ」
エピローグ
カツシたちが命がけで空けたSAITOの壁の穴は、伊勢の手はずによって建設業者が秘密裏に動き、自由に行き来できる大きさとなった。噂を聞きつけた人々は、常管の目を巧みにかわして外の世界へ飛びだし、次々と覚醒(めざめ)ていった。
SAITOを捨てる人々と常管の間には一悶着あったが、岡崎やミナト、伊勢とその部下らの活躍によって、三百年以上つづいた常識管理委員会SAITO支部はあっけなく解体となった。
常管上層部が隠していた機密文書はすべて一般に公開された。隠滅工作によって、一部の貴重な印刷文書は失われてしまったが、太古の人類がまねいた環境汚染が、SAITOなどの人工世界を作らねばならない要因だったことが明らかとなった。人々はこれらの文書を複写して配布し、SAITO周辺の土地を開墾する際の、戒めとした。
KANTOには未だ常管の残党が健在であり、問題は山積みだったが、その解体についてはまた別の機会に語られるであろう。
一連の事件は、ひとまず丸く収まったかに思われた。
だが、ショックから数週間が過ぎた今となっても、泉子はカツシのことを思い出せないでいた。
カツシらは、穴だらけになったSAITOの麓の壁際に居をかまえていた。
川の方から帰ってきた蘭は、澄んだ水の入ったバケツを両手に、言った。
「そういえば、原始時代の人って、こういう洞窟に住んでたらしいよ?」
「今だって原始時代のようなもんよ。人はちーっとも進化してないんだから」
千江は中央広場からこっそり奪ってきたベンチにすわり、握り飯を口いっぱいに頬張っていた。
「それを言うなら、ちーっとしか、だろ?」
カツシは穴ぐらの掃除を終えると、外に顔を出した。
少し離れたところで草刈りしていた泉子は、カツシの姿をみかけると、どこかへ行ってしまった。
千江と蘭の顔が曇る。
千江は口の中のものを飲みこむと、カツシに言った。
「記憶が戻らないにしたって、あんなに嫌うことないじゃない。ねぇ?」
「あのとき抱き寄せたのが、トラウマになったとか?」
「イタズラじゃないんだし、そんなことくらいで、嫌いになったりする?」
千江は蘭を見た。
蘭はぶんぶん顔を横にふった。
「これはひと含みあるわね」
千江は握り飯の欠片をくわえて腕組みした。
「泉子ちゃん、まだ近くにいるよ? あれ? 誰かと話してる」
蘭は目を細め、遠くを見つめていた。
鬱蒼と茂る木々がSAITOの手前で果てる森の端で、泉子は奇抜な色模様のローブをまとった中年の女と話をしていた。
カツシは気づかれぬよう、通り(草を踏んでいるうちにできた)を歩く人々にまぎれて近づいていき、仮設トイレの陰に身を寄せた。
「私の目はごまかせないわよ?」
ローブの女は柔らかい口調で言った。
「な、なんのことよ」
泉子は横を向く。
「何が不満なの? いい子じゃない」
「だ、だからなんのことよ」
「あら、そんなことも忘れてしまったの? これは一から修行をやり直さないといけないようね」
カツシは以前、泉子が語ったことを思い出していた。優秀なヒーラーは離れていても、特定の人の状態をある程度『読む』ことができるそうだ。
「それだけは勘弁して」
泉子は事情を話した。
たしかに、吹っ飛んできたカツシを受け止め、頭を打ったときは記憶が混乱していた。だが、それも徐々に回復して、先々週にはすっかり元通りになっていた。
「彼の誠意がうれしくて、言えなくなってしまった?」
「うん」
泉子はうなだれた。
「だ、そうですよ? カツシさん」
ローブの女は物陰からひょいと顔をのぞかせた。
「えっ!?」
「はじめまして。泉子の母です」
「あっ、あー、やっぱり。あ、いえ、すいません」
カツシは思わず指をさしてしまった。あわてて引っこめる。
「私は仕事があるので、これで。なにかと難しい子ですけど、よろしくお願いしますね」
泉子母は森の奥へ行ってしまった。
泉子は半身でうつむいたまま、立ち尽くしていた。
カツシは近づいていって、泉子と向き合った。
長い沈黙。
泉子は顔を上げる。
作品名:A Groundless Sense(5)(完) 作家名:あずまや