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A Groundless Sense(5)(完)

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「いつから魔法を使うようになったんだ?」
 この間は不覚をとったものの、墨田千江の力量はたかが知れている。カツシ少年と金髪少女は論外として、脅威があるとすれば長崎蘭の復活だった。
「気配が……ない?」
 ミナトの言葉に、岡崎はうなずく。
「だが、さっきまでこの辺にいたことは確かだ。上に何があるか行ってみよう」
 岡崎とミナトは、机の上の脚立を使って、タラップのある縦穴に入った。
 途中に部屋はなく、数メートルも行かずに行き止まりとなった。
 岡崎はハッチを押し上げた。
「うっ!?」
 体験したことのないまばゆい光に、目が開かない。
 ミナトもすぐ下でうなっている。
「な、なんですか? これは」
 岡崎は何かの屋上らしき場所に、手探りで這い上がった。
 風? 何だこの強い風は? 
 岡崎は目をつぶって座ったまま、ミナトを引っ張り上げた。
 次第に目の痛みがとれてきた。二人は息を合わせて一緒に目を開けた。
「!」
 二人とも言葉がなかった。
 見たこともない景色。見たこともない広さ高さ。目の前にそびえる、あの巨大な建物はいったい何だ?
 岡崎は声が上ずるのを禁じ得なかった。
「な、なんなんだよ、ここは! 何の魔法だ! 蘭! 出てこいよ!」
「ユタカさん」
 ミナトは興奮する男の手をとった。
「なぁ、教えてくれよ! 新手の仮想世界に送られちまったのか? 僕らはあの化け娘に手を出すべきじゃなかったのか?」
「ユタカさん!」
 ミナトは男の腕を何度もゆすった。
 岡崎は我に返ると、手すりに寄りかかった。
「すまない……これは現実、だよね?」
「はい」
 ミナトは男の胸に顔を寄せた。
「それにしても何かこう……心が洗われるような景色だな」
「……」
 ミナトは顔を上げ、果てのない青の広がりを見つめた。
 見たこともない神妙な顔つきに、岡崎は不安を覚えた。
 やがて少女は男のもとを離れると、風をものともせず手すりをまたいだ。
「な、なにをするつもりだい?」
「傷ついてしまった器を捨てて、また一つになろうと、アレが言っています」
 ミナトは青の広がりを指さした。
「バカな! 一つになるのは……」岡崎は痩せた女を腕から抱えるように引き戻した。「僕らのほうだ!」
 尻もちをつく男の上になったミナトは、泣いていた。
「私もう、どうしていいかわからない! 私はいったい何なの? ここへ何しに来たの?」
「君は僕の女だ。そして、墨田一味を殺しにきた」
 少女の瞳の色がくすんだ。
「……そう、私はあなたの女。そして、墨田一味を殺しにきた」
「そうだ。それでいい」
 男は力ずくで女にキスした。
 女は涙をためた目で、遠くを見つめていた。


「いい加減、覚悟を決めてくれないかな?」
 カツシはしゃがみこむ女を見下ろした。
「あと五分、あと五分したら飛ぶからぁ」
 千江は涙をためた目で手を合わせる。
「それはもう五回聞いたし」
 泉子はため息をついた。
 パラシュートの準備は整っている。使い方のマニュアルは皆熟読した。適当な場所でひもを引く、着地に気をつける、大雑把に言えばそれだけだ。インストラクターなど存在しないから、細かい操作などは始めから考えていない。
「ねぇ、あっちから誰か来るよ?」
 蘭は来た道を指さす。
 銀色の下り坂の途中に、男と女が一人ずつ。
 カツシはカップルを一瞥すると、低く言った。
「先に行くから」
 泉子は腕を取って引き止める。
「苦手な人を残す気なの?」
「だって……」
「見捨てるなら、あたし行かない」
「こんなときに何言ってんだ!」
「気持ちはわかるけどさ、今は……」
「泉子には関係ないだろ!」
「……」
 泉子は斜めにうつむいた。
 千江はすくっと立ち上がって、カツシにゲンコツを食らわせた。
「あんたの女なんだから、あんたのことは全部関係あるのよ!」 
「いや、そんなんじゃ……」
「じゃ何? 愛人? 体目当て?」
「そ、そんなこと言ってる場合じゃ……」
「はわわ……」
 蘭は両手を口にあて、膝を震わせている。
「はっきりしなさい! ミナトがいいの? 泉子がいいの?」
 千江はカツシの胸ぐらをつかみ上げた。
「どっちもないなぁ! ミナトは先約があるし、その子は今日でこの世からいなくなっちゃうしね」
 岡崎が拳銃をかまえて立っていた。すぐ後ろにミナトもいる。
 女たちが両手を挙げたとき、カツシはひとり前に出た。
「ミナト!」
「来るな!」
 岡崎は一発放った。銃弾はカツシの頬をかすめた。
「君は最後に用がある」
「ミナト! 俺だよ! 豊島カツシ! わかるか?」
「……」
 ミナトは首を横にふって男の背中に隠れた。拳銃は手にしたままだ。
「そういうことさ」
 岡崎は笑った。
 その時だった。
 泉子が駆け出し、カツシの腰にあった拳銃に手をのばした。
 凶弾が泉子を襲った。
 カツシはハッとして振り返る。
「泉子!」
 肩と胸に一発ずつ。うめいて床に崩れる泉子。
「どのみち選択肢はないんだ。悲しみを受け入れるなら、早い方がいいだろう?」
「てめぇ!」
 カツシは腰の拳銃を抜いて、狙いもつけずに乱射した。
 岡崎の反応が一瞬遅れ、カツシの銃をはじく間に、四発放たれた。
 そのうちの一発が、ミナトを貫いていた。ミナトは岡崎をかばおうと脇に出たとき、胸に流れ弾を受けたのだった。
「そ、そんな……」
 カツシと岡崎は同時に言った。
「これで、よかったの……」
 ミナトは胸を押さえながら、よろよろと柵につかまった。
「アレが呼んでるから……行くね」
 ミナトは柵を乗りこえ、丸みのあるシェルターの屋根を下りていく。
 カツシは駆け寄った。しかし間に合わない。
 足場はなくなり、黒髪の少女は下界の森に向かって落ちていった。
 カツシは泉子を見た。
「い、行きなさいよ。あたしはほら……」
 そう言って苦しそうに笑う泉子は、上着の下に防弾ベストを着ていた。普段はあれほど戦いの装備を嫌っていたのに。肩の傷は気になるが、致命傷ではない。
 考えている暇はなかった。カツシは柵を飛び越え、丸い屋根を力の限り走ってジャンプした。


 岡崎は脱力して、手すりを背にすわりこんでいた。
 千江が拳銃を突きつけると、男は持っていた銃を手放した。
 千江は言った。
「どうして追わなかったのよ。愛してたんでしょ?」
 岡崎は力なく笑った。
「どうしてかな?」
「あんたはいっつもそう」
「そうだったかな?」
「長崎蘭の側に寝返るチャンスはあったはず」
「ああ……」
「私と二人きりでKYUTOを調査するチャンスもあったわね?」
「ああ……」
「あんたはそんな自分にさえ満足してない。本当は何がしたかったのよ」
「何だろうなぁ。あんな何もかも決まっちゃってる世界じゃあ、選びようがないなぁ」
「そうね。それを今から、ぶち壊しに行きます」
「常管と戦うのかい?」
「常識っていう水袋にちょっと穴をあけるだけよ。あんたのはもう充分あいたでしょ?」
「ハハ……穴だらけさ」
「で、何か悟った?」
「急かさないでくれよ。全部出ちゃって空っぽさ」
「さてと」
 千江は銃を懐に収めると、蘭と応急手当を終えた泉子に合図を送った。