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A Groundless Sense(4)

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 カツシはなんとも思わなかった。一方、蘭と泉子は額に斜線が入っていた。
 蘭の分の食料と水を、別の者のリュックに無理やり詰めこみ、一行は出発した。
 先頭はカツシ、次に蘭、泉子とつづいて、しんがりは千江が務めた。
 タラップを上って数分もたたないうちに、カツシと蘭の間があいた。泉子が片手で蘭の足をさわってやると、蘭は息を吹き返した。
 そんなことをくり返しながら、半分ほど上ったとき、泉子が足を滑らせた。間一髪、千江が支えて落下は逃れたものの、泉子の疲労は深刻なものだった。
「私のせいだ……」
 蘭は泣いていた。
 泉子は蘭の体力を回復させる一方で、自分の精神力を削っていたのだった。
「ここで休もう。各自、命綱の金具をタラップに引っかけて」
 カツシは言った。
 千江は何か言おうとしていたが、口を閉じて、微笑みだけを返した。
 上も下も右も左もない、暗黒の絶壁。
 そこでの一時間は、悪夢より長く感じられた。言葉を発するだけでも消耗しそうな気がして、カツシは黙って壁にしがみついているしかなかった。蘭や千江も同じようにしていた。泉子は命綱を頼みにぶらさがったまま、眠ってしまった。
 出発時間が来ても、泉子は動けなかった。
「ここはいいから、先に行きなさい」
 千江はカツシに言った。
 危ない場所に留まっているだけでも、人は消耗する。カツシもいつ泉子のようになるかわからなかった。女たちの絶壁踏破は泉子の回復にかかっている。
 カツシは三人を残して、残りのタラップを上っていった。


 カツシはライトを上に向けた。天井があった。何の装飾も器物もついていない、ただの平らな面。期待はしていなかったが、世界の出口というにはあまりに寂しい場所だった。
 タラップは天井まで隙間なくつづいていた。
 ぎりぎりまで上りつめて、何かないか調べた。四角い金属の面があった。縁を押すと、少し開いた。扉になっているようだ。
 カツシは鉄扉を押し上げ、天板に手をかけ、ついに外へはい出た。かと思いきや、そこはまたしても真っ暗な空間だった。
 辺りをライトで照らす。六畳ほどの狭い部屋。物はなく、独房よりもがらんとしている。
 金属のドアが一つあった。ドアというよりハッチというべきか。中心に円いハンドルがある。ロックがかかっているようで、びくともしない。
 普通の拳銃では破壊できそうになかった。例の金色の弾倉が入った千江の拳銃を抜いた。後で持ち主に絞られないよう、慎重に狙いをつける。
 ドアの左端めがけて縦に三発撃った。
 カツシは思わず目を細めた。
 風穴から強烈な光が差しこむ。
 ドアはまだ開かない。穴と穴の間めがけてもう二発。
 銃弾のエネルギーが大きく、ドアはひとりでに開いた。
 カツシはまぶしさで、何も見えなくなった。


 目が痛くて開けられない。
 手探りで歩いたものの、何にも触れられず、不安になって足を止めた。
 千江たちが追いつくまで待とう。カツシは目をつぶったままその場に座りこんだ。
 床は絨毯のようにふかふかしていた。水でもかかったのか、少し湿っぽい。
 冷たい風が頬を打つ。肉が押される? 二十二℃の微風に慣れきっていたカツシには、驚きだった。
 空気が薄いのだろうか、深呼吸せずにいられない。世界の果ての空気には独特の香りがあった。熟れすぎた野菜のような臭みをうっすら感じつつも、どこか懐かしいような、不思議な匂いだった。
 一時間くらい待ったか。女たちの荒い息づかいが近づいてきた。
 光の強さに驚いている。女三人が一カ所に集まると騒がしくてしかたない。
「なんも見えないよ。それに寒いし」
 泉子の声が近づいてきて、座っているカツシの背中に膝がぶつかった。
「でも、光と空気はあったな」
 カツシは立ち上がると、目をうっすら開け、ふらつく泉子を受け止めた。
 目が慣れてきた。カツシは泉子と寄り添ったまま辺りを見回した。
「え……」
 それ以上言葉が出てこなかった。
 ソーラーパネルらしき巨大な板が斜めにそびえ立ち、無数に連なっている。
 それよりも、天井の高さだ! なんだ? あの綿のような白い塊は? 少しずつ形を変えながら、流れて行く。どこへ?
 白いものを追って、泉子の背後に目をやる。
 闇の小部屋はパネル群から離れてぽつんと一つ出っ張っていた。ドアの辺りで千江と蘭が目をつぶったままうろうろしている。
 カツシは泉子の手を引くと、小部屋の脇へ足を向けた。
 錆びて崩れかけたフェンスの向こう、遥か下界に、見たこともない青緑色の平面が広がっていた。
「なんか見える?」
 泉子は訊いた。
「見えるけど、うまく説明できないな」
 例えるものがないのだ。謎の綿が流れていく青い天井と、世界のすべてよりも広そうな青緑の鏡面。鏡面の一部は緑色のもさもさした……。
「あれは……苔かな?」
 そういえば、足下の床にも同じようなものが生えている。が、スケールの違いを考えると、下界のものは中央広場の樹木くらいはありそうな感じだ。
「えっ? 苔が生えてるの?」
「いや、木だな。木の団地、いや木の大群がこう盛り上がって……」
「全然わかんない」
「あれはね、陸っていうんだよ。木の集まりは森ね」
 いつの間にか、目を開けた蘭がそばに立っていた。
「リク? モリ?」
「で、陸のまわりに広がってるのが海。海より上にあるのは空ね」
「ち、ちょっと待ってくれ。なんで蘭が世界の果てのことを知ってるんだ?」
「わからない。ここに来たら、わかっちゃったの」
 千江が片目を手で押さえながらやってきた。
「洗脳のときに、何か別のプログラムというか、知識が紛れこんだんじゃない?」
「こんな人知を超えた知識を、どこの世界の誰が持ちこんだのよ」
 泉子の意見に、千江はうなるだけだった。
 カツシは言った。
「蘭が長崎諫の『実の娘』でなかったとしたら、どうかな?」
 女たちは少年に注目した。
「もしかしたら彼はおろか、このKYUTOより先輩って可能性もある。謎が解けないまま、有史以前から代々受け継がれてきた冷凍睡眠装置が、動乱の時期に急に動きだして……」
「そんなの……壮大すぎて想像がつかないわ」
 千江はようやく目を開けた。
 結局、長崎蘭の超古代文明人説は棚上げとなった。
 それはともかく、蘭は幼気なだけの少女から、新世界のガイドへ一躍格上げとなった。


 図面によれば、KYUTOの屋上はすべてソーラーパネルが占めていた。覚醒した蘭は機械には疎く、それが何の装置かはわからないままだった。何十キロもある無機質な屋上を横断しても、収穫は少なそうだ。
 一行は蘭のガイドで、KYUTOのまわりに広がる下界に目を向けた。
 足下の陸地を九州といい、カンモン海峡をはさんで、もう一つの陸を本州といった。
 カンモン海峡の本州側に、銀色の線がまっすぐのびていた。
「あれは何だろう?」
 カツシの問いに、蘭は首を横にふった。
「見たことない」
 千江は腕組みして、広大な森の間を縫うラインを睨んでいた。
「……」
「何だよ、怖い顔しちゃって」
 カツシがからかっても微動だにしない。
 やがて、千江は手を打った。
「フフン、なるほどね。ふっふっふ……ふっふっふ」
作品名:A Groundless Sense(4) 作家名:あずまや