A Groundless Sense(3)
「冗談だよ。埋めた部分を壊して、保線用のシャトルを投入する。自走式だからスピードは出ないけど、二日三日で追いつけるでしょ。銃撃戦のとき盾にもなるしね」
岡崎は携帯端末を取り出すと、常管の上層部にかけあった。
ほどなく、ゴーサインが出た。援護に十名の猛者を送ると言ってきたが、岡崎はきっぱりと断り、代わりにありったけの武器弾薬を持ってくるよう要請した。常管SAITO支部に真の猛者は三人しかいない。自分と角刈りの伊勢と、墨田千江……いや、今は板橋ミナトだ。
頼みの相棒は敵にまわってしまった。即戦力が必要だった。蘭の爆破事件の件でテレビ局を潰したカタブツの伊勢とは、昔からウマが合わない。
岡崎はミナトを短期間で戦いのプロに育てることにした。手を加えた再生プログラムのおかげで、ミナトは従順で素質もあった。あとは、才能を引き出してやればよかった。
「あっちのほうも、これから、たっぷりとね」
「なにがですか?」
ミナトは首をかしげる。
「なんでもないよ」
説明などしていたら、ムードは台無しだ。
岡崎は生まれつきの口の緩さを笑顔で呪った。
13
トンネルに潜入してから九日。
カツシたちは『450』のキロポストを確認した。このまま何もなければ、終点まであと二日という距離だ。
泉子の熱心な施術のおかげで、蘭は日に日に回復していった。もう助けを借りなくても一人で歩ける。意識もはっきりして、口もきけるようになった。
ただ、気になることが一つあった。
カツシと泉子と千江は、蘭を囲むようにして歩き、揃ってじろじろ観察している。
「え? なに?」
蘭はきょろきょろ首をふった。二つ結びが可愛げに揺れる。
「おかしい」
三人は首をひねった。
蘭も首をひねる。
「なにが、おかしいの?」
泉子は瞳に星を浮かべるような勢いで、蘭の真似をした。
「『なにが、おかしいの?』だって。絶対おかしいよね」
「え、えーと、私、何かしたのかな?」
「ヘドがでるわ。いったい何を企んでるの、長崎蘭」
千江はじろっと目を細めた。
「そんなこと、言われても」
蘭は身をよじった。
すぐ後ろにいたカツシは、試しに二つ結びの分け目へ空手チョップを入れた。
「いったぁい!」
蘭は脳天を押さえてしゃがみこんでしまった。
避けなかった。たった一人で常管を苦しめてきた、あの戦いのプロがだ。
拳銃を見せると、目を剥いて後ずさった。決定的だった。
三人は集まってぶつぶつ討議をはじめた。
結論が出た。
何かのきっかけで、蘭は『戦い』の部分だけすっぽり抜けてしまったのではないか。蘭と戦いはイコールで結んでも過言ではなく、部分というよりほぼ全部だった。ということはつまり……。
無垢な女の子になってしまった!
ミナトに撃たれたことが発端なのだろう。だが、たしかな証拠はない。
女としては、かえって良かったのかもしれない。というのは泉子の談。
戦士としては、致命的な忘却。白旗上げようかしら。というのは千江の談。
カツシは何も言わなかった。複雑な気分だった。これが元々の蘭だったとしたら、どうだろう? 戦いの術を何者かに刷り込まれていたとしたら?
千江はため息をつくと、カツシを呼び寄せた。
「わかってるわね?」
これから連日、本格的な戦闘についてスパルタ講義を受けることになりそうだ。
人殺しの知識なんて……しかし、他に選択肢はなかった。泉子は後方支援が精一杯であり、蘭は普通以下の女の子、千江一人に荒事を頼むわけにもいかない。
二人の話が終わると、蘭がたたたと寄ってきて、カツシに言った。
「あ、あの、なんだかわからないけど、ごめんなさい」
なんだかわからないけど、胸が熱くなった。
君のおかげで、俺は今、俺として生きている。そう伝えたい。でも、きっと覚えていないだろう。
「君のせいじゃないさ」
カツシは蘭の頭に手をやった。
すると、泉子がたたたとやってきて、カツシに言った。
「まさか、乗り換えるつもりじゃないでしょうね?」
「なんだよ、いきなり」
「今は会えなくて寂しいかもしれないけど……」
「なに? 妬いてんの?」
「なっ! バッカじゃないの?」
泉子はきびすを返して先へ行ってしまった。
14
トンネルに潜入してから十一日目の朝。
光を浴びることのない生活は、時計だけが頼りだった。携帯端末のバッテリーはとっくに切れている。あてになるのはもはや千江の腕時計しかなかった。再生前のただ一つの形見は、今どき珍しい自動巻きの機械式時計だった。一日平均五十キロ移動をつづけたおかげで、竜頭をまわす手間もなかった。
その日は、四十五パーミル(一〇〇〇分の四十五)の下り勾配が一日じゅうつづいた。高さにして二二五〇メートル、つまりSAITOの十層分以上下ったことになる。
緩い下り坂が楽なのはいいとして、カツシには気になることがあった。
「上ったり下ったりしてきたけど、トータルすると計算上は、もうすぐ第一層、いや再生所よりさらに低い所を行くことになるね」
「これ以上何か訊いても無駄よ。私が担当だったのはSAITO」
千江は顔色を変えずに言った。
元常管の捜査官といえども、封印された世界について詳しく知ることは許されていなかった。KYUTOなどはじめからなかったかのごとく振る舞うのが常識だった。
泉子は不愉快そうな顔で言った。
「なんだかこう、上から押さえつけられるような感じがしない?」
「頭とか耳とか、変な感じぃ」
蘭は言った。その態度の方がよほど変な感じなのだが、疲労のせいか誰も口をはさむ者はなかった。
やがて下り坂は平坦になり、すぐに上り坂へと変わった。特別な場所にありがちな標柱や碑のようなものは見当たらなかった。
二キロほど行くと勾配は緩やかになった。ほとんど平らといっていい。
SAITO発KYUTO行きシャトルの確認用だったのだろう、残り一〇〇〇メートルの標識。
誰もが安堵と緊張が入り交じった、複雑な顔をした。暗闇はもうすぐ終わる。だが、その先は時間が止まったままの未知の世界。それでも、もうすぐ何らかの動きがあるとわかった分、皆の意識を前向きにさせた。同じ景色の連続はもう飽き飽きだった。
はやる気持ち。知らず知らず早足になっていった。
ところがある地点で、一行の足がぴたりと止まった。
「何か近づいてくる」
カツシが言うと、一行は来た道を振り返った。
「熱源を確認。一味のものと思われます」
ミナトは運転室後ろの小部屋でモニターの群れを見つめていた。
「ふぅ、どうなることかと思ったけど、ギリでセーフか」
岡崎はどかっと作業イスに腰掛けた。
保線用シャトルはその実力を半分も発揮できなかった。KYUTOが閉鎖されたずっと後で、平坦な路線用に開発された車両だ。勾配が計算に入っていなかった。安全装置が働いてしまい、場所によっては速度が全然出なかった。
岡崎は少女の細い背中をぼんやりと見つめながら言った。
「帰ったら、もう一つの訓練のつづきをしないとね」
「はい」
ミナトは拳銃のグリップを握った。
「あ、そっちじゃなくてね……」
「ご、ごめんなさい……」
作品名:A Groundless Sense(3) 作家名:あずまや