A Groundless Sense(2)
蘭の戦闘服は防弾効果の高いものだったが、至近距離で撃たれたためか、弾の性能が良すぎたのか、突き抜けてしまっていた。幸い、弾は急所をそれていた。
千江は戦闘用ブーツのヒモをしめ直しながら言った。
「ぼやぼやしてると、常管の追っ手が来るわ」
「でも……」
「シャトルのステーションの隅っこに、秘密の場所がある。そこへ行きましょう」
「で、でも……」
「まだ夜明けまで時間がある。エレベーターは手動でも動かせる。セキュリティレベルの高いロックも外せるわ。あたしをクビにするか、老いぼれ共の討議で決まるまではね」
千江は立ち上がった。
「……」
泉子はおびえた猫のように赤い戦闘服の女を見上げた。
「いいのよ。自分で決めたの。常識なんてもう知らないわ」
「は、はぁ」
「話は後。ほら、そんなとこで黄昏れてないで。男手が要るんだから」
千江は部屋の隅で丸くなっているメガネ少年に言った。
「俺は、俺は……」
「カツシ君がいなければ、私は喜びを一つも知らずに、人生を終えてしまうところだった」
「えっ?」
カツシは顔を上げた。
「って言ってたわ。水槽に入って眠る前にね」
「あいつはもう、俺のこと、覚えてないのかな?」
「でしょうね」
「そうか……」
「でも、十年後はどうかしら?」
「どういうこと?」
「消された記憶は戻らない。けど、再生プログラムは、性格の奥深くまでは変えられないと思うの。再生して十年の私が変わった、いや、本当の自分を取り戻したようにね」
「十年か……。とりあえず今は、蘭を安全な所に運ばないと」
「いい子ね」
千江は笑顔でカツシの頭をなでた。
SAITOシャトルステーションはKANTOと同様、十二層と十三層の間にあった。
『ベンテン五号機』のドアが開くと、すっかり明かりが落ちたステーション構内が広がった。柱の時計のデジタル表示は『0259』とある。千江は常管の特権を利用して、エレベーターを、営業時間外に勝手に動かしたのだった。
照明は非常口を示す緑色の明かりだけだが、だいたいの位置はつかめる。
プラットホームは、通り抜けできずシャトルが折り返すだけの、ヨの字型をしていた。シャトルの姿はない。走行部分を目で追っていくと、半円形をした暗黒につながっていた。
「この時間、構内は無人だけど、ガードロボットがいるわ。レーザーで焼かれたくなかったら、私の後にぴったりついて歩くのよ」
千江の言葉に、蘭を背負ったカツシ、泉子はうなずいた。
一行は、線路の行き止まりを背にして、何もないコンクリートの広場を歩いた。
カツシは思った。ここはいったい何のためにあるのだろう。店があるわけでも、別の出口があるわけでもない。無駄な空き地がひたすらつづいている感じだ。
ふと床を見ると、何かの境目のような線が横につづいていた。ほんのわずかだが、手前と奥とで色が違う。
しばらく歩いて、空き地は終わった。壁にぶちあたったのだ。何もない壁……いや、なんとなく何かある。
「あれ? ここも色が違う?」
暗くてはっきりしないが、一行の正面に、直径三、四メートルはある半円の図形があった。
「いい目してるのね」
千江は微笑むと、図形のある壁に向かって歩いていった。
「あ、ぶつか……?」
泉子が言い終わる前に、千江は壁の中へすっと消えていった。
カツシは思い出した。似たようなものが、事実上の世界の果てにもあった。
「もしかして……立体映像?」
シッと千江の声。
「静かに。ガードロボが音を拾うわ。さっさとこっち来なさい」
カツシは蘭を背負ったまま、ためらいなく壁に突っこんだ。
「ちょ、ちょっと、なにそれ、信じらんない」
泉子は小声でだだをこね、なかなか入ってこようとしない。
カツシはけが人を千江にあずけると、ぬっと壁をすり抜け、泉子の手を引いた。
「ちょ、いや、もごっ!?」
見つかるとマズいので、口も手で封じる。
泉子は壁をすり抜けると、床にへたりこんだ。
「もう、なんなのよ……」
「こっちよ」
蘭を背負った千江はペンライトを点けると、大人が一人通れるくらいの、手掘りの通路へ入っていった。
カツシは辺りを見回した。なんだろう、この空間。トンネルにしては背が低いし、総延長が一メートルくらいしかない。表面もひどく粗い。そして千江が行ってしまった、さらに小さなトンネル。
「あ、あの……立てるから」
泉子は言った。
「えっ? あ……」
そういえば手をつないだままだった。
二人はそれから狭い通路を抜けるまで、一言も口をきかなかった。
通路を抜けるとまたトンネルだった。今度は大きい。シャトルから逃げたときと同じくらいある。
小さな明かりで照らせるのは、ほんの数メートル先までだった。あとは闇、闇、闇。
棺桶のような台に敷いてある毛布の上に蘭を寝かせると、千江は言った。
「さて、ここはどこでしょう?」
よく見ると、加工食品の空容器が壁に沿って積んであった。他には錆びて欠けたナイフや、穴のあいた鍋、何かの燃えかすなどがあった。要するに生活ゴミばかりだ。
「アジトか何か?」
「三十五点」
カツシはネットで渦巻く都市伝説のことが頭に浮かんだ。
「もしかして、閉鎖されたKYUTOの……」
「正解。SAITO、KYUTO間シャトル路線の遺構よ。一度は常管が出口を埋めてしまったんだけど、この子がコツコツ削ってったってわけ」
千江は簡易ベッドの上で眠る蘭を見た。顔じゅうに汗がにじみ、何やらうなされている。
泉子が駆け寄って額に手をやる。眉間の険は引いた。
それを見ていた千江は、訝し気に言った。
「あなた、ずっと前に一度会ったことない?」
泉子は首を横にふった。
「そう……」
千江は肩を落とし、話を戻した。
この場所は、KYUTOからやってきた蘭のアジトの抜け殻だった。蘭がSAITOに潜入した後、千江はここを発見したが、再び埋めることはせず、独断で穴だけを巧みに隠した。
テロリストは他にもいる、ここで張っていれば仲間を一網打尽にできるはず、と読んでいた。ところが、待っていても穴から出てくる者はなく、蘭が逃げることもなかったため、千江は今日までこの秘密の場所のことを棚上げにしておくしかなかった。
「一人で生きていけるわけ、ないのよ。KYUTOには、この子を無双の戦士に育てた人物が暮らしてるはず」
カツシは言った。
「でも、あそこはもう、水も空気の供給も、機能してないんだろ?」
「公式にはそう。常管はシステムを二百年前に終了させた。住民の移動も登録も完了している。でもね……実はその後、誰も確かめに行ってないのよ」
「なぜ?」
「なぜって、五〇〇キロ以上離れてるのよ? シャトルもないのに、どうやって行くのよ」
「は? ごひゃ……」
世界の横幅が何十キロしかないことを考えると、想像もつかない数字だった。
「あ、そうか。これ一般市民には内緒だったわ」
千江は笑った。
シャトルは高速というだけで、実際、時速何キロ出ているのか知る者はいなかった。つまり距離も、各層をつなぐエレベーターよりはちょっと遠く、くらいの感覚でしかなかった。
作品名:A Groundless Sense(2) 作家名:あずまや