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A Groundless Sense(2)

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 ガラスの向こうで、老職員に扮した岡崎が手ぶらで待ち構えている。何を企んでいるか知らないが、手加減しなければ互角に渡り合えるはず。もしも相打ちだったら『還骨(かんこつ)』(納骨スペース節約のため、骨を粉にして農地に還したり、カルシウム剤としてリサイクルする制度)の儀式くらいは見届けてやろう。
 白衣老人の横、水槽の底に裸の板橋ミナトが眠っている。蘭一味の奇襲のおかげで、再生はしばらく先になるだろう。いけないと知りつつ、ほっとしてしまった。再生前の自分を見ているようで、何とも言えない気分だ。
 蘭が再生室へ入るのを見計らい、千江はそっと狭い部屋を出た。
 退路を確保するためだろう。ドアは開け放してある。
 千江は身を伏せ、硬い床の上を音もなく進んでいった。
『残った職員はおまえだけか?』
 天井のスピーカーから蘭の声があった。
『常管の墨田という女に、障害物になれと命令されただけです。い、命だけは……』
 老人のかすれた声。
 岡崎め、たいした役者だ。千江は敵に見られぬよう低い姿勢のままコンソール卓に寄り添い、さっと反転して背後の天井の隅にある円いミラーを眺めた。このような状況も想定して、急造で付けさせたやつだ。
 蘭は水槽の横に立つ白衣の男と正対し、ガラス壁を背にしていた。一味どもの乱射は再生計画に壊滅的なダメージを与えたが、その代償として蘭の命運を奪った。強化ガラスは常管の装備では撃ち抜けないと、蘭は判断したのだ。
『板橋ミナトは連れて帰る。墨田、岡崎、どこから狙っても無駄だぞ』
 千江は金色の弾倉を入れた銃をそっと抜いた。
 今度こそ勝った。
 千江は立ち上がると、両手で銃をかまえ、蘭の後頭部に狙いをつけた。
 岡崎、何をぐずぐずしている。目配せで「十秒だけ待ってやる」のサインを送った。
 老人は目をそらすと、頭を抱えた。
『だ、だめだ! やっぱり蘭ちゃんを殺すなんて、僕には無理。負けた負けた!』
 特殊メイクをめくって、岡崎は素顔をさらした。
「あんのボケ……」
 叫びたいのをこらえ、千江はトリガーに力をこめようとした。
 そのときだった。
 蘭はふと顔を横にして、流した瞳を千江に向けた。
『無駄だと言ったはずだ』
「!」
 完敗だった。蘭ははじめからすべてを見破っていたのだ。今から撃ち合っても、とうてい勝ち目はない。初弾をかわされ、隠し武器を出す間もなく岡崎は絶命、私は弾幕を張りながら管制室から脱出をはかるが、自動ドアが開く前に銃をはじかれ、それで終わり。まるで磁石なのだ。嫌というほど経験してきた。味方の弾は外れ、蘭の弾は当たる。そのくり返しだった。
 千江は銃を床に捨てた。
 それを見ていた岡崎は、白衣を脱ぎ捨てると、何事もなかったかのように再生室から出てきた。
「?」
 千江は不思議でならなかった。普通は武器を捨てろとか、動くなとか、指示が出るはずでは……。
 岡崎はお手上げのポーズをとった。
「さすがは蘭ちゃん。僕が丸腰なの、バレてたみたい」 
「なっ! どういうつもりなのよ!」
 千江はひそひそ声で怒りをぶつけた。
 管制室のドアが開き、拳銃をかまえたメガネ少年と金髪少女が入ってきた。
 少年は硬い口ぶりで指示を出す。
 千江と岡崎は両手を挙げ、非常電源室の前まで歩いていって、そのまま壁に張りついた。無線か何かでこっそり連絡をとりあったのだろう。少年は指揮官が授けたセリフを棒読みしたにすぎない。
「勝負はこれからさ」
 岡崎は笑顔で言った。
 千江は黙ったまま仏顔の男を睨んだ。
 この期に及んでどんな策があるというのか。仕掛けなどもう残っていない。
『さぁ、起きろ』
 蘭は水槽の底から、ずぶぬれの裸女を抱き起こし、肩をゆすった。
『起きろ。私はカツシと泉子の知り合いだ』
「……ん、ああ」
 ミナトはぼんやりした目で蘭を見つめると、微笑んだ。
『立てるか?』
 蘭は拳銃のスライド部分を口でくわえ、両手を自由にすると、ミナトの左腕を抱え同時に背中に手をまわした、その時……。
 銃声。
 ミナトは空いていた右手で拳銃を奪い、蘭の胸を撃ち抜いていた。
 何が起きたのか、千江には一瞬わからなかった。
「悪いね。ちょっと前に順位が入れ替わっちゃってね」
 男の面は喜びとも哀しみともとれぬ微笑で歪んでいる。
 脳裏に嫌な予感がよぎった。
「まさか、あんた……」
「そう。ミナトちゃんを、常管の捜査官に『再生』した。君が大きな用を足しに行った隙にね。プログラムにちょっと手を加えといたんだ。まさかこんなに上手くいくとは、正直……」
 パン!
 千江は男の面を張った。
 岡崎は顔を横にしたまま、ふっと笑った。
「大きな用は余計だったね」
 千江はうつむいた。
 寒気で歯の軋りが収まらない。
 寒気だって? 違う!
 再生して以来、経験したことのない、赤黒い感情。
「なんてこと、してくれたのよ」
「えっ?」
 岡崎は意外そうな顔をした。
 そうなのだ。この男は常識に乗っ取って、正しい事をしたのだ。常管史上、最大の敵を倒した英雄だ。
 自分はそれを受け入れることができないと、千江はたった今、悟った。常識でも人の言っていることでもなく、自分の信念に乗っ取って、正しい事をしよう。今、そう決めた。
 メガネ少年と金髪少女が叫びながら、再生室へ飛びこんでいく。
 二人を迎撃せんと水槽を盾に、中腰になろうとするミナト。
 千江は床に転がっていた銃を拾うと、再生した少女の横顔に的を絞った。
「な、何をする気だ!」
 岡崎は叫ぶ。
 千江はトリガーを引いた。


 床に崩れた蘭。まわりに血の海が広がっていく。
 水槽の陰に隠れる、裸のミナト。
「時間がない。援護して!」
 泉子は突っこんでいって、蘭を手当する気だ。
「……」 
 カツシは銃口を前に向けることができなかった。
「あれはもう、ミナトちゃんじゃないよ」
「う、嘘だ……」
 そのとき、ミナトは銃をかまえて中腰の体勢を作ろうとしていた。
『な、何をする気だ!』
 天井のスピーカーから男の叫び声。
 何かが裂けるような音がして、ミナトが手にする銃が宙に舞った。
 無数の銃弾を跳ね返してきたガラスの装甲に、小さな穴があいている。
「今だっ!」
 泉子は銃を突き出したまま、駆けだす。
 カツシは床に落ちた銃めがけて乱射。
『管制室の外へ! 撤退する!』
 ひびの入ったガラスの向こうで、男はミナトに命じた。
 ミナトは泉子の脇をすり抜け、カツシに一瞥もくれず、隣の部屋へ逃げてゆく。
 男は手刀で千江の拳銃をたたき落とすと、ミナトを連れて管制室を出ていった。
 カツシはミナトを見て、蘭を見て、ミナトの残像を見て、蘭の血ヘドを見た。
「クソォォォ!」
 銃を床に叩きつけ、カツシはその場にうずくまった。
 何も、できなかった……。


 腕まくりした泉子は、蘭の上半身を起こすと、背後から胸元へ手をつっこみ、深緑色のどろっとした膏薬を傷口に塗った。
 ヒーラーの血を受け継ぐ娘は、奇妙な手つきでまじないをかける。
 蘭の表情は和らぎ、まもなく眠りについた。
「あと十秒遅れてたら、ヤバかったかも」
 泉子は千江に礼を言った。
作品名:A Groundless Sense(2) 作家名:あずまや