A Groundless Sense(2)
「そ、その……本気で趣味なら机の中にもっといいの、あ、あるけど?」
カツシは身を引いて床に座りこんだ。
「常管の女から奪った拳銃、護身用にってミナトに残していったんだ。それが、なくなってる」
「あ……そ、そういうこと」
泉子は真っ赤になってうつむいた。
そのときだった。
玄関のロックが開く音がした。
カツシと泉子は無言で見合った。家の電子ロックを開けられるのは、免許のあるカギ屋くらいのものだ。そうでないとすると……。
カツシは壁にかかっていたミナトのリュックからナイフを取り出した。
「はやまっちゃダメだよ? まだ何もわかってないんだから」
泉子の声に、カツシはうなずいた。
素早い足音が近づいてくる。
姿を見せたのは、二つ結びの少女だった。
「ハァハァ……間に合わなかったか」
普段着でガスマスクもつけていないが、例のテロ少女だと、カツシにはなぜかわかった。
「あ、あの……君はあの時の」
「人んちに勝手に上がりこんで、なんなのよ!」
常管でないとわかるや、泉子は肩をいからせた。
カツシは泉子の手を引いて、耳打ちした。
「やめとけよ。ほら、会いたいって言ってただろ?」
「えーっ!? それを先に言ってよ!」
泉子は「えへへ」と手もみして、少女を部屋に招き入れた。
少女の名は長崎蘭といった。噂のテロリストであることは、あっさり認めた。
「通信を傍受した。発信電波をたどって拳銃を探し当てたついでに、シャトルを脱走した板橋ミナトを確保したと。私は偶然にもこの十八層に潜伏していた。縁だと思った。でも、間に合わなかった。残念だ」
「ミナトは、どこへ連れていかれたんだ?」
「おそらく、この間おまえたちが荷物として送られようしたところ……つまり『再生所』だ」
重い常識破りは、以前は常管の捜査官によって暗殺されることが多かった。ただ、常識破りが出るたびに殺していくと労働人口が減って、世界を支える力が弱まる懸念が出てきた。そこで常管は厚生委員会と協力して『再生所』を設立したのだった。
「再生って?」
泉子は青ざめた顔で訊いた。
「簡単に言えば洗脳。記憶を消して別のものを刷りこみ、模範的な『常識人』として再出発させること」
カツシは生唾を飲みこんだ。
「ま、まさかミナトは……」
「次に会ったとき、おまえたちのことは、もう覚えていない」
カツシは怒りのあまり、蘭のきゃしゃな肩に両手をのばした。
蘭はその手をとって、カツシをひっくり返し、床に叩きつけた。
「すまない。防御本能というか、ね」
不思議と痛みは感じなかった。すぐに起き上がって再び両肩に手をやった。蘭は抵抗しなかった。
「再生所ってのは、どこにある!」
「それを私も探している。SAITOのチカにあることまでは突き止めた。夜明け前に風穴を開けようとしたが、予測より装甲が硬かった」
「チカ……ってなに?」
泉子の素朴な問いに、蘭は五分もかけて説明しなければならなかった。第一層の下にまだ何かあるなど、常識に縛られてきた人々は夢にも思わなかった。そもそも地下という概念がないのだ。蘭でさえ、探索中に出した数値に戸惑い、理解するまでかなりの月日を費やしたという。
カツシは言った。
「俺も仲間に入れてくれ。ミナトを助けたい。いや、これはあいつだけの問題じゃない」
「……」
蘭は答えなかった。
「素人じゃ足手まといか?」
「私は仲間は作らない」
「たった一人で戦争やって、勝てるわけないだろ?」
「勝てるかどうかは問題ではない。私は常管と戦うことしか知らない」
「……」
あまりの衝撃に、カツシは言葉が出なかった。
ある意味、泉子の男子じみた発想は当たっていた。蘭は決まった目的のために生まれたロボットとそう変わりないように思えた。
「その……KYUTOからやってきたというのは、本当か?」
「だとしたら、何だ」
「いや、訊いてみただけだ」
ロボットではないにしろ、何か人知を超えた秘密を抱えていることは間違いないようだ。
カツシはつづけた。
「再生所を見つけて、どうするつもりだ?」
「壊す」
「それから?」
「それだけだ」
「その後は?」
「常管の妨害をつづける」
「生きてて、楽しいか?」
「楽しいとは、何だ?」
「……」
カツシは目の前にいる蘭と、記憶の中のミナトがだぶって見え、胸が痛くなった。何としても、この少女を無謀な戦いから身を引かせたい思いにかられた。
「常管に対抗しているだけじゃ、ただの消耗戦だよ。君はどんどん歳を取るけど、常管は存続するかもしれない」
「……」
蘭はうつむいた。
心の底ではわかっているのだろう。だが、理性が逃げることを許さない。彼女はそのへんの常識人以上に、何かに縛られている感じがしてならなかった。
「あのさ、再生所を叩いてミナトを助け出したら、いったんKYUTOへ帰るっていうのは、どう?」
「なぜ?」
「なぜって……戦士にも休息は必要だろ?」
カツシは苦笑いした。ベタすぎる説得に我ながら虫酸がはしった。
「別に疲れてはいない」
「今のはナシナシ」
カツシは両手をクロスした。
「?」
「俺たちを、かくまってくれ」
「それは……難しい相談だ」
蘭は苦い顔をした。
できないとは、言わなかった。
「常管の被害者なんだぞ?」
「う……」
あと一押しか。
「ミナトは心の病を患っている。安全なところで、このヒーラー様に癒してもらう必要があるんだ」
カツシは泉子の肩に手をやった。
泉子はひきつった愛想笑いを浮かべる。
「仕方ない。脱出したら、一度KYUTOへ帰ろう」
蘭は右手を差しだした。
カツシはその手を握り、上に泉子の手が乗った。
「今回、だけだからな」
蘭は口もとを緩めた。
8
「作業はすぐに終わりますよ。そうですね……彼女は若いので、四分半というところでしょうか」
白衣を着た壮年の男は言った。
「は、はぁ……」
千江はガラス壁の向こうの別室を見つめながら、生返事をした。
透明な液体で満たされた水槽。底に裸の少女が眠っている。
「あ、あの……私もここで、こんな風に?」
「たぶんそうだとは思いますが、当時の私はまだ未再生でしたので、詳しいことはちょっと……」
再生所の職員は皆、かつては一癖あった人物であろう『再生者』だった。処置を受けた今となっては、常識を信じて疑わない、市民の模範となる人間だ。
そして、墨田千江は記念すべき第一号再生者。
では、この吐き気をもよおす感じはいったいなんだというのか。
これまで何百人と再生所送りにしてきたが、実際に現場を訪ねたのは初めてだった。銃を取り戻し、別室に眠る少女を運んでいるとき、なぜだか急に覗いてみる気になった。
白衣の男は虚空に浮かんだ画面を指した。
「慢性的に不足している捜査官に再生したもらいたい、と常管から要望が来ていますが、よろしいでしょうか?」
「要望じゃなくて命令、でしょ?」
「いけませんね。ここでは遠回しに言うのが常識じゃないですか。ま、常管もいろいろと大変そうですし、今回は聞かなかったことにしましょう」
「そりゃどうも」
作品名:A Groundless Sense(2) 作家名:あずまや