A Groundless Sense(2)
ミナトはあわてて銃をベッドの下に隠した。常管の銃には、威嚇のため爆音だけ出る機能も備わっている。幸い、居住区は高度な防音構造のため、騒ぎにはならないはずだが……。
「ミナトさ、たぶん、俺より長生きするよ」
カツシは詰め物でふくらんだ胸をおさえながら、よろよろと部屋を出ていった。
女装カツシと泉子を乗せた、エレベーター『ベンテン二号機』は、第一層めざして各層停車で降下していた。慣れない衣装のためか、これに乗るまでカツシは、三度も転びそうになった。長いスカートとパンプスのせいだ。ヒールじゃないだけマシと言われても、知ったことではない。
薄暗いステンレスの密室。乗客は定員一〇〇に対して十人前後で、いつも通りガラガラだ。若い男が一人、二度ほどこちらを見たが、他の者は携帯端末に夢中で見向きもしない。
「プッ……人って思ったほど他人に関心ないんだね」
泉子は笑いをこらえるのに必死だ。
「世紀の大発見だよ」
人目が気になる年頃のカツシはささやいた。
「シッ」
泉子は人差し指を立てる。
近くにいた二人の女が顔を上げた。
やばいやばい……カツシは心でつぶやきながら、つば広帽子の先を下げた。見ないことは簡単だが、聞かないとなると、そうでもないようだ。
第十三層でドアが開いたときだった。赤いスーツの女とジャケット姿の男が話しながら入ってきた。
げっ! 墨田千江。
カツシは身振り手振りでそれを泉子に伝える。二人はあわてて隅の方へ寄った。
常管の二人は、今度の爆破事件のことで何やら話しこんでいたが、詳しいところまでは聞こえなかった。
少しして、ふと会話が途切れた。
千江は背の高い帽子女に近づいていった。
「ちょっと、あなた」
「……」
カツシは顔を見られぬよう、うつむいた。
「その服、サイズが小さいんじゃない?」
「あぅ……」
泉子が何か言おうと口を開けたときだった。
ジャケット男が千江の腕をとって言った。
「その癖はマズいって」
「だって」
「すいませんね。ちょっとした職業病でして」
男は笑顔のまま千江を引っ張っていった。
「ちょっ、岡崎っ」
千江と岡崎は、本意ではないという顔つきで、次の層で降りていった。
カツシはため息をつくと、壁に背をもたれた。
「あ……」
泉子はまるで友人のキス現場でも目撃したかのように、目を剥き、口を手でおおっている。
「な、なに?」
カツシはかすれた声でささやく。
「おっぱい、ずれてる」
カツシは泉子を盾に、もぞもぞと装いを正した。
現場につくまで生きていられるだろうか……冷や汗まみれのカツシは、今日だけは本物の女でいたいと思った。
ベンテン二号機は定刻通り、表情もなく下へ降りていった。
終着の第一層でエレベーターを降りたカツシと泉子は、中央広場を抜け、爆破事件の現場である官庁街へ向かった。人だかりをかき分けて進むと、フェンス型のバリケードが並び、放射道路の一つを塞いでいた。
ビル長屋のなかでも、厚生委員会が入ったエリアの一階だった。玄関が半壊している。
バリケードを背に、女性リポーターがカメラに向かって言った。
「犯人はこれまで常管の拠点や通信網、移動網を狙ってきたわけですが、今回はちょっと不可解ですね。厚生委員会ということは、医療福祉体制に不満でもあったのでしょうか」
見物にきた人々は、背後に迫る何かに気づき、にわかに女から離れていった。カツシと泉子は人波の勢いに抗えず、前線から遠ざかってしまった。
角刈りのごつい男が、リポーターに詰め寄っていく。
「誰が取材を許可した? 責任者を連れてこい」
「私が責任者ですが、何か?」
「ふざけた真似をすると罰が重くなるだけだぞ? プロデューサーを呼べと言っている」
「今回の事件は、あなた方常管とは関係ないでしょう?」
男は舌打ちすると、左手のリングに話しかけた。
「第三級常識破りでリポーターを確保。テレビ局の強制捜査と野次馬の掃除を頼む」
「常管本部に通報しますよ? 確保されるべきなのは、あなたでしょう?」
「ご自由に」
女は携帯端末を取り出し、声が枯れるまで叫び散らした。
やがて女はうなだれ、角刈り男に連行されていった。
泉子はカツシの袖を引っ張り、言った。
「なんかヤバい感じ。撤退しよ?」
二人は急ぎ足で官庁街を後にした。
第二十三層行き『ベンテン一号機』の乗客は、乗ってからしばらく二人だけだった。
カツシはステンレスの壁を見つめながら言った。
「連中の言ってたこと、気になるな」
泉子はうなずいた。
「常管は何か隠してるよね」
「そもそもそれが非常識だろうが」
カツシは壁を蹴った。
「はいはい落ち着いて。うちに帰るまでは女の子なんだから」
「ハッ、待てよ? テロ少女はそれに気づいたから、何でもなさそうな所でも襲ったってことか?」
「はぅ! ますますその子に会いたくなってきちゃったよ」
泉子は鼻息を荒くした。
カツシはつば広帽子をとって、少女の顔に押しつけた。
「どうどう。うちに帰ったらニンジンアイス食べような」
第十八層でエレベーターを降りると、辺りはオレンジ色の柔らかい光に包まれていた。天井の消灯時間が近い。
カツシと泉子はどこにも寄らずに家路を急いだ。夕食は配給の穀類と冷蔵庫にある分で間に合わせればいい。収穫は大してなかったものの、泉子は久々の刺激に浮かれており、カツシもつられてその気分に染まっていた。
居住区の長屋ビルに沿ってしばらく歩き、エントランスからエレベーターに乗る。二人きりなのをいいことに、くだらない談笑をつづけた。
ドアが開いて、共同廊下を進み、二人は上機嫌で岸和田宅の玄関を開けた。
明かりはなかった。天井の消灯時間はもう過ぎており、辺りはずいぶん暗くなってきている。
泉子は足下をたしかめると、廊下の電灯をつけ、自分の部屋へ歩いていった。
「なーに? また意味もなく寂しくなっちゃった? あたしでよければ『ぎゅっ』てしてあげようか?」
泉子の部屋に明かりが灯った。
「ミナト……ちゃん?」
嫌な予感がして、カツシは駆け出した。
ミナトは部屋にいなかった。窓は元々開かないから飛び降りの可能性はない。血の跡もなかった。
バスルームもトイレもきれいなままだった。収納もたしかめた。
玄関の開閉記録はなかった。つまりミナトは岸和田宅を出ていない?
混乱する二人は、部屋でベッドに座り、あれこれと可能性を探った。
「少なくとも自殺の線はないよ。見習いヒーラーが毎日観察した限りではね。ってことは……プロによる誘拐?」
「あっ!」
引っかかることが一つあった。
カツシはばっと立ち上がって、すぐ四つん這いになり、泉子の足と足の間に顔を突っこんだ。
「ち、ちょっと変態! いくら女に飢えてるからって、こんな時に発情しなくたっていいでしょ!」
「いいからどいて」
「な、なによ。年頃の女よりエロ本がいいっていうの?」
たしかに、発禁レベルのBL(ボーイズラブ)本が何冊かあった。
そんなものには一瞥だけくれて、カツシは拳銃を探した。
「ない……クソッ!」
作品名:A Groundless Sense(2) 作家名:あずまや