A Groundless Sense(1)
ミナトを包む光の輪がどんどん小さくなっていき、ほとんど点にしか見えなくなってしまった。方角を見失ってはならないので、カツシは原点から動けない。
「どうよ、そっちは!」
少年の張り上げた声は、反響しなかった。
「まだ先が見えないよ!」
ミナトを包む光が揺れた。手を振っているのだろう。
無線通信を試みたが、返ってきたのはノイズばかり。妨害の意図が感じられた。
進むべきか退くべきか、二人は話し合うことにした。
しばらくしてミナトが帰ってきた。うかない顔をしている。
「奈落の落とし穴でもあった?」
カツシは冷やかした。
ミナトは答えず、来た道を振り返った。
「歩いた距離と時間が合わないような気がする」
「……」首筋に冷たいものが走った。「ど、どうしよう?」
カツシの一言に、ミナトは肩を落とした。
「どうしようって……」
しばらく沈黙がつづいた。
ネット世界のイメージが次々と浮かび上がった。ためた百万ポイント、有効期限内に使わないと。仲良くなったあの長耳娘と、もうパーティーを組めないのかな。悪友ABコンビには、まだ言い足りないことがたくさんある……。
ミナトは寂しげに微笑んだ。
「今帰れば、朝には間に合うよ」
売り言葉に買い言葉のようなものだった。
「だ、誰が帰るっつったよ」
「じゃあ、いいの、ね?」
「……」
カツシは額に汗をにじませ、黙ってうなずいた。腹が決まってないとは、もはや言えそうにない。
カツシとミナトは、どちらからともなく手をつないだ。
「ごめんね、道連れにしちゃって」
「心中じゃ、ないんだからな」
「そう……だといいね」
しばし沈黙があった。
二人うなずき合い、歩き出そうとした、そのときだった。
背後で女の声がした。
「残念だけど、その子の願いは叶ってしまうわね」
「!」
二人は身を翻す。
赤いスーツの女。片手に拳銃を携えている。
カツシは見覚えがあった。
「あ、あの時の!」
女の左胸に『常』のバッジが光る。
常識管理委員会……重大な常識破りの現行犯を抹殺(け)すのは、彼らの仕事の一つだ。
女の名は墨田千江(すみだちえ)といった。広げた電子委員手帳に、素顔の写真と名前が光っていた。
千江はため息をついた。
「心中だけでも第一級の罪なのに、電子ロックは破るわ、水道に入るわ、KY区域に足を踏み入れるわ……もし公表すれば、伝説のKYね」
カツシは震える声で訊いた。
「あ、あのKYって、何ですか?」
千江は聞いていなかった。
「それにしても、五十メートル泳ぎきっちゃうなんてね。でもって、君はさらに十二メートル潜った。新記録だわ」
「全部、見られてたのね……」
ミナトはうつむいた。
「それが仕事だもの」
「どうして、止めなかったの?」
「どうせ溺れると思ったから」
「そんなのおかしい。死にそうな人を放っとくなんて、それこそ常識破りよ!」
千江は小さくうめいたものの、すぐにつづけた。
「常識データベースには、水道で溺れた者についての処置なんて存在しないわ」
「屁理屈よ!」
「屁……だなんて、それ以上罪を重ねても、痛みが増えるだけよ」
千江は自動拳銃(オートマチック)のスライドを引いた。
カツシは言った。
「これまでに、ここで何人殺した?」
「一人も」
女は肩をすくめた。
「えっ?」
「KANTO(カントー)を担当するようになったのは、つい最近だもの。SAITO(サイトー)のほうがよかったんだけど、人事異動だから仕方ないわ」
カツシはミナトの背中にそっと手をまわしてから言った。
「丸腰の未成年でも撃つのかよ」
「丸腰の未成年は初めてだわね」千江は言うと、銃口をミナトに絞った。「少年、ナイフを投げても無駄よ」
「クッ!」カツシはヤケになった。「なにモタモタしてんだ! さっさと撃てばいいだろ!」
「ったく、最近の若いもんは言葉の常識がなってないわね」
千江はあごをしゃくった。
「ガッ!?」
目の前が光ったかと思うと、カツシの意識は薄れていった……。
5
風を切る音が遠くで鳴っているような気がして、カツシは眠りから目覚めた。
天井が青白く光っている。かろうじて床と壁の区別はついた。
狭い密室だった。幅は一メートルなく、高さも同じくらい、奥行きだけその二倍はあった。
着ていたものはそのままだった。メガネもある。他の持ち物はすべてなくなっていた。 ミナトの姿も……ない。
カツシは考える前に出口を探した。床を這っていくと、色の濃さが違う壁に突き当たった。取っ手も何もないが、床との境目にわずかな隙間がある。
無駄と知りつつ、叩いて、蹴った。
手足を痛めるだけだった。
「下にいるの誰?」
上から女の声がした。
驚いて顔を上げると、低い天井とドアとの十センチほどの隙間に、見覚えのある少女の顔上半分があった。
「ミナト!」
「ここ、どこなの?」
カツシはがっかりした。おかげで緊張もとれた。
「そこは普通、呼び返すところだろ?」
「なによ、普通って」
無理な体勢に疲れたカツシは、仰向けになった。
独房の構造は容易に想像できた。扉のついた二段の棚に、細長い物を収納するようになっているのだ。
「どこかはわからないけど、俺たちが荷物扱いってことは確かだな」
「実は遺体を保管する部屋だったりして」
「や、やめろよ……」
カツシは二階の囚人を睨みつけた。
笑った瞳がすっと隠れて見えなくなった。クソ……面白がってやがる。
カツシは言った。
「何の部屋かより、どこに向かってるかだよ」
ミナトは再び鼻から上を見せた。
「やっぱり、移動してると思う?」
「加速度がゼロだとしても、止まっているときとは、どこか感じが違う」
「さっきね、耳が痛くなった」
カツシはネット界で得た『非常識』な情報を必死に思い出していた。耳が痛くなるのはたしか、大きな気圧の変化があった証拠だ。それは高速の乗り物で、ある条件が整うと起こる現象だとか……。
気圧はともかく、高速ということでは、思い当たる乗り物が一つあった。
「そうか、スーパーヒカリ号だ!」
「……私たち、SAITOに向かってるの?」
「他に秘密の路線がなければね」
スーパーヒカリ号は、遠く離れた二つの世界を結ぶ、高速シャトルだ。かつてはもう一つ世界があって、路線もそこまで延びていたようだが、どちらもずいぶん前に廃止になったという、短い記録だけが残っている。
「SAITOに常識破りの処刑場があるってこと?」
「常管には処刑権があるんだ。なんでそんな周りくどいことを……」
「強制労働、とか?」
「それこそ常識破りだ」
「どのみちあと二、三十分くらいで結果はでるようね」
「……」
許されたとは到底思えなかった。シャトルが着けば、死よりも厳しい罰が待っているかもしれない。
「ちょっとの間だけど、楽しかった。生まれて初めて、そう思えた」
カツシの顔に熱い雫が落ちてきた。
「あきらめるのは早いよ」
「いいの。私はもう、一生分の楽しみを味わった。今日まで生きてこられたのは、きっとこのためだったのよ」
「なに言ってんだ。十七年苦しんで、良かったのはたった一日かよ」
作品名:A Groundless Sense(1) 作家名:あずまや