A Groundless Sense(1)
「きっと……そういうものなのよ。人生って」
「一つ楽しむために、十も百も苦しむなんて、俺は認めないからな!」
「じゃあ、そうじゃない世界に連れてってよ!」
「……」
カツシはハッとした。ミナトほど極端ではなくても、自分も似た人生をこれから歩もうとしていたのだ。たいして行きたくもない学校に通い、たいして行きたくもない会社へ入って、修理と節約ばかりさせる危うい世界を支える歯車になる。選択の余地があまりに狭かった。
その代わり、仮想世界では程々に自由な、第二の人生を与えられている。自宅にこもり、仕事以外のプログラムを立ち上げる数時間だけが自由。落ち着いて考えれば、割に合わないと認めざるを得なかった。
「第一の人生が、好きに生きられないなんて、なんかおかしいよな。いや、絶対おかしい」
「……」
ミナトは瞼でうなずいた。
「怖いけど、今は待つしかないよ。準備だけはやろう」
それから二人は、思いつく限りのケースを想定して、打ち合わせをした。
「のど、渇いたな」
下段で仰向けのカツシは言った。
「けっこう、話したもの」
上段でうつぶせのミナトは言った。
スーパーヒカリ号の片道所要時間は、平均すると約四十八分。どう考えても、それ以上話しているという感覚があった。
ドアの向こう側が騒がしくなってきた。
カツシは体を丸くして、ドアに耳を当てた。
「どうなってるのよ! もう二時間よ? 何かあったら報告するのが常識でしょ!」
常識管理委員、墨田千江の声だ。
「それがその……管理局からは、徐行せよの一点張りでして……」
車掌とおぼしき男の声があった。男の説明によれば、シャトルは遠隔操作による無人運転のため、こちらからは制御できないとのこと。
「故障とか事故、ではないのね?」
「でしたら、とっくにアナウンスしてますよ」
「あんのガキ!」
どすどす、という足音が遠ざかっていった。
「あ、ああいうのは、通報しなくてもいいのかな?」
男は独りぼそっと言った。
常管はいなくなった。チャンスだ。カツシは力一杯ドアを叩いた。
男は言った。
「申し訳ありません。あなた方の身柄は、常管の管理下にありますので、私にはどうにも……」
「なぁ! 俺たちは、死刑になるのか?」
「死刑というか、いわゆるその……」
どこかでアラート音が鳴った。
「うっ! 許可もなしに車掌室……職権乱用じゃないか!」
車掌は走って行ってしまった。
「ガキって誰のこと?」
ミナトの問いに、カツシはてきとうに答えた。
「さぁね。局長のワンパクなお子様が、管理局でイタズラでもしてるんじゃないの?」
外で混乱が起きているのは間違いないようだが、二人にはどうすることもできなかった。
少しずつ慣性が働いていき、すっと押し戻される感覚。
長い沈黙があった。
どこかで空気が吹きだす音がして、独房のドアが開いた。
右手に拳銃、左手にミナトの黒いリュックを手にした、二つ結びの少女が立っていた。ガスマスクで顔がよくわからない。黒い戦闘服はサイズが合っておらず、あちこちまくり上げている。
「道は確保した。ここから出て、明るい方へ逃げて!」
カツシはリュックを受け取ると言った。
「き、君はいったい?」
「知らないほうが身のためだと思う」
「そ、そう……なんだか知らないけど、助かります!」
カツシはミナトの手を引いて、シャトルの乗降口へ走った。後から次々と、常識破りらしき男女がついてくる。
デッキに戦闘服姿の男が二人横たわっている。背中に『常』のロゴ。それを横目にシャトルの外へ出た。
薄暗い明かりの下、赤いスーツの女がうつぶせに倒れていた。
「墨田千江……」
カツシはつぶやいた。
「早く!」
ミナトは先に走っていた。
どこまでもまっすぐなトンネルの先に、小さな光の塊があった。
カツシは、気を失っている千江の上着をまさぐった。奪われた携帯端末を見つけて自分の尻ポケットに入れる。
脇下のホルダーにおさまった拳銃。
血走った目をした脱走囚が横切っていく。カツシは拳銃をそっと懐にしまい、ミナトの後を追った。
作品名:A Groundless Sense(1) 作家名:あずまや