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A Groundless Sense(1)

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 どうせ誰にも会わないと、無地のパーカーにくたびれたジーンズで共同廊下へ出て、エレベーターで一階まで下り、ふらつきながらエントランスの重たいガラス扉を肩で押し開けた。
「ハァハァ……ったく、健常人は病気になっても、住居は健常のまんまだもんな」
 ゴン!
 黒くて重たい何かが顎に当たった。弱っていたカツシは、たまらず尻餅をついた。
 なんだか世界がひん曲がっている。うねった白い腕がのびてきた。
「ご、ごめんなさい」
 聞いたことのある声。骨張った助けの手を取って立ち上がる。
 えーと、誰だっけ? 昨日の夢に出てきた死神……じゃなくて。
「板橋! ……さん? なんで?」
 引きこもって頭も弱ったかと思ったが、確かに板橋ミナトだ。
 ミナトはきょとんとしている。
「あの……どこかで会いました?」
 まさか双子のはずは……。
 目をこすってみるか。メガネのフレームに手をやろうとしたが、黒い縁はどこにもなかった。
「しまった、メガネ忘れた」
「えっ? もしかして、カツシ……君?」
 あれだけ似合わないと言っておいて、素顔に気づかないとはね!
 ため息一つでなにげにアピールしてみたが、ミナトは聞いていないようだった。下を向いてもじもじしている。
「あ、そうだった。なんでここに? っていうか何度も連絡したのに」
「うん……」
 ミナトは言ったきり、黙ってしまった。
 棟の玄関前では人目につく、か。カツシは重いガラス扉を押しのけて、ひと気のないエントランスへミナトを誘った。
 ミナトはむき出しのコンクリ壁に背をもたれると、言った。
「死に場所を探してたの」
 ひどくエコーのかかった声が、細長いエントランスの向こう口まで響いた。
「俺は……」
 心中なんてゴメンだ……とはまだ言えなかった。
「気づいたら、ここにいた」
「……」
 カツシは少女に背を向けた。
「一人で見に行かなきゃ、ダメ?」
「えっ?」
 思わずふり返った。
 ミナトは首筋に光るものを当てている。今度は櫛などではなかった。
「や、やめ! ……ろ?」
 カツシは手をのばそうとしたまま固まった。
 長かった髪はもう、肩まで届かなくなっていた。
「なにをやめろって?」
 ミナトは微笑んだ。
 またからかわれて腹が立ったが、それ以上に言うべきことがあった。
 カツシは鋭くささやいた。
「さっさとしまえよ。『常管』に通報されたら……」
 運良く監視カメラは、あさっての方を向いていた。集音マイクはついてない。
 ミナトは折りたたみナイフを背中の小さなリュックにしまった。なにしろ黒ずくめなので、一瞬『そういう』服なのかと思ってしまう。
「運動するには邪魔だと思ったから」
「運動って……まさか、KY区域に行くつもりで?」
「だって、その先にあるんでしょ?」
「……」
 カツシは生唾を飲みこんだ。急に怖くなってきた。忘れていた。あそこに入って帰ってきた者はいないのだ。
 逃げ出したい……自分から誘ったのに、なんてことだ。
 見捨てたくない。そして見てみたい……もし自分が神で、何でも叶うのなら。
「っっ!」
 声にならぬ声をもらし、カツシは地団駄をふんだ。決められない。どうすることもできない。
「やっぱり、一人で行く」
 ミナトは出口の方へ足を向けた。
「待った!」
 細い足が止まった。
 少年の荒い息づかいだけが何度か響いた。
「メガネ、取ってくる」
「しない方がいいのに……」
「よけーなお世話だ」
 カツシは降りてきたばかりのエレベーターに飛び乗った。


 カツシは携帯端末の時計を見た。端のほうに小さく『1830』と光っている。
 第四層の天井の明かりはすっかり落ちて、街灯だけが頼りとなった。それもお互いの顔がやっとわかる程度の代物だ。夜はエネルギー節約のため出歩かないというのが『奨励』だった。常識ではないものの、夜遊びが過ぎると常識管理委員会のリストにチェックマークが入ってしまう。
 カツシとミナトは居住区、農畜区、工業区と、放射道路を外側へ向かって歩いた。工業区の最も外れには、衣料部の平べったいリサイクル工場があり、最後の環状道路があり、それをまたぐと幅五十メートルの『KANTO第四環水道』があった。
 橋はどこにもなかった。二人は『立ち入り不能』と書かれた二重のフェンスの前で、そよそよ流れる環状水道を見つめていた。
 水は無駄なく再生され、完璧に循環している。これは世界の外側がまったくの空白、つまりは無であることを示している、というのが常識だった。このもっともらしい決まり事に、カツシは疑問を抱いていた。
「水もなければ、床も天井もないかもしれない。だからって、何もないということにはならないだろ」
 カツシは言った。慣れのせいか、頭痛はもう苦にならない。
「もし本当に何もなかったら?」
 ミナトは言った。
「その時考える。っていうか、まだ水道も渡ってないんだからさ……」
「そうね」
 先のことなど考えたら、恐怖で何もできなくなってしまう。恐れないためには、余計なことは考えない、それしかなかった。
「さてと」
 カツシはぺらぺらの携帯端末を手のひらにのせた。画面に光が灯り、付近の地図が現れた。年輪のような筋の、外側に近い部分が並んでいる。内から順に、環状道路(灰色)、緑地(緑)、環水道(青)、KY区域(黒)、余白となっている。
 現在地から百メートル離れた環水道の縁に、赤いピンがささっている。そこには隠されたマンホールがあって、暗渠(地下水道)とつながっていることがわかっている。かつてKY区域へ渡ろうとした者がネット上のログ(オリジナルは常管によって削除されたが、コピーが裏で出回っている)に残した偉大な功績だった。
「その勇者は、どうなったの?」
 ミナトは先を歩きながら言った。
「水死体で発見されたそうだ」
 仮想図書館へ行って百科事典を開けば、人間は泳げない生き物の一つである、と書いてある。
「溺れるのは苦しいから嫌」
「なんだよそれ」
 よく考えたら、死に方を選ぶなんて妙な話だと、カツシは思った。だが、少なくとも苦しみたくないという『好み』は発見した。
「ってことは、Mじゃないのか」
「なに?」
 ミナトは立ち止まり、振り返った。
 カツシはシルエットに苦笑いを向けた。
「いや、こっちの話」
 目的地は何の目印もない、さっきと変わらぬ平たい工場と道路と水道の延長線上だった。環状道路と水道の間には、幅三メートルほどの草地があり、二条のフェンスがそれを挟んでいた。
 道路側の高さ二メートルのフェンスは問題ない。水道側の五メートルのフェンスは触れてはいけないと、勇者の記録が残っている。
 つい半日前までフラフラしていたカツシだったが、障害を前に、がぜんやる気が出てきた。生きているという実感が湧いてくる。
 カツシは金網をよじ上り、頂でフェンスをまたぐと、手をさしのべた。
「大丈夫。行けそうだ」
 ミナトは少し上って少年の手をとったが、腕の力が足りなかった。いったん降りて肩で息をする。
「ハァハァ……無理」
 カツシは励まそうとして、ハッと辺りを見回した。
「まずい。車が来た」
作品名:A Groundless Sense(1) 作家名:あずまや