A Groundless Sense(1)
そういう彼は、架空世界『マース』の3Dマップを作りつづける、抱かれたい男ランク総合八位の勇者だった。しかし、別のサーバーに属しているカツシの耳には、そんな噂は一つも入ってこなかった。
「で」「おまえは最近どうなんだ?」
悪友ABコンビの暑苦しい顔が迫ってきた。
「俺は……」
仮想空間に入ることはめっきり減ってしまった。いつからだろう。そう、あの死にかけの少女、板橋ミナトと知り合ってからだ。
ABコンビは察しているようだった。
「やめとけよ」「道連れを探してるだけだ」
「……」
その可能性は否定できなかった。だが、見捨てるつもりにもなれなかった。
悪友たちは説得をくり返す。
カツシはある考えに取りつかれていて、話を聞いていなかった。
「おい」
Aのチョップが脳天に刺さった。
ハッと我に返り、カツシは言った。
「実際、それほど楽しいってわけじゃないんだ。ログアウトすると、しょせん(仮)(かっこかり)の世界じゃないかって、ね」
Bは笑った。
「リアルだってしょせん『かりそめ』じゃん。リアルがダメなら、ヴァーチャルでなりたいようになればいいのさ」
「リアルでもヴァーチャルでも、なりたいものも行きたいところも、なかったら?」
Aは帰り支度をしながら言った。
「生まれる世界を間違えた、ってことだな」
「世界か……世界の外側には何があるんだろうな」
ABコンビは顔を見合った。
「そりゃあ、ただの余白さ」「常識だろうが」
「くあっ!」
カツシは目の前が真っ白になり、机に突っ伏した。
「バカだねぇ」「いや、ただのドMだろ」
ABコンビはカツシを放ったまま、教室を出ていった。
カツシは顔を上げると、虚ろな頭で思った。
何もない所で生きるのは、何でもある所で命を絶つことよりマシだろうか……。
明日会いに行っていいか、帰ったら彼女に聞いてみよう。
3
中央広場。どの棟で暮らしていても、迷うことなくたどり着く、各層の中心。その昔、ガイセンモンという名の似たような場所があったらしいが、残ったのは名前だけで、どこのことを指しているのか、歴史の権威でも知る者はなかった。
広場の中心にそびえる巨大な柱は、エレベーター塔といった。
カツシは塔のふもとの自動改札を抜けると、『カグヤ三号機』と書かれた鋼鉄のドアの前に立った。しばらくしてドアが開くと、定員百名の薄暗い密室が広がった。ステンレス色で窓一つない、貨物兼用のケージだ。何号機に乗っても条件は同じだった。人は疎らで、中へ入ったのはカツシを含めて八名。未成年は、うつむきがちなメガネの高校生一人だけだった。
この世界は、上から下まで計二十三層でできていた。どの層で生まれ育っても構造から施設、色や配置まですべて同じで、違うのは『第何層の』というあたまの数字だけだった。各層で完結している人々にとって、上下に移動するということは、それ相当な理由が必要だった。カツシは生まれてから今回でやっと三度目だ。過去二回は家庭の事情。当時とは違う胸の高鳴りが、今はあった。
各層停車のエレベーター。七層、八層、九層……ドアが開いても人の出入りは少ない。かつては層を超えた出会いも多かったようだが、仮想世界が充実していくにつれてそれは、難儀な事という認識に変わっていった。
銀色の壁に歪んでうつった自分を見つめながら、カツシは思った。悪友どもが今日のことを聞いたらなんて言うだろう。
不気味な箱に金払ってまで乗って、そんなに遠くまで、死神ちゃんに会いにだって? ドMもたいがいにしろ……とかなんとか。
だが、カツシはこの『大旅行』を苦痛だとは感じていなかった。この感覚はなんだろう。仮想世界でレベル五〇〇の魔王を倒したときでさえ、今日ほどの充実感はなかった。
楽しみ……なのか? 見知らぬ所へ行くことが。それとも、板橋ミナトにリアルで会うことが?
「クッ!?」
また頭痛か。カツシはひとり首を横にふった。危険の許容量を超えた発想だ。ただ、限界値は少しずつ上がっている気はしていた。
十一層、十二層、次は『KANTO(カントー)ステーション』だ。KANTOとはこの二十三層世界の正式名で、他にSAITO(サイトー)という同じ規模の世界がある。二つの世界は細い通路でつながっていた。唯一の移動手段が、ステーションから乗る高速シャトル『スーパーヒカリ号』だ。シャトルを利用する者は、一日当たりではエレベーターよりさらに少なく、人々の興味の低さもそれに比例していた。
ステーションから乗ってくる者は十名ほど。スーツ姿の大人が多い。カツシが立っているそばに、赤いスーツの女がぶつぶつ言いながらやってきた。三十歳……いや、ちょっと手前くらいか。『常』という漢字をもじった小さなバッジが、左の胸元に光っていた。
カツシは何気なく足をずらして距離をとった。
常識管理委員会……武器を所持できる数少ない職種の一つ。ナントカは危うきに近寄らず、というのが一般市民の常識だ。
おかっぱ風で化粧濃いめのその女は、急に黙ったかと思うと、カツシの方へ近寄ってきた。
「ちょっと君」
「えっ、あぐ、あぇ!?」
カツシはいきなり先生に指されるのが苦手な人種だった。アドリブは利きようがない。つい、両手が挙がってしまった。
「う、撃たないで!」
「ハァ?」
女の右眉がつり上がる。
「お、俺、いや僕はただ、上の層の人に用があるだけで……」
「そりゃそうでしょうよ。わざわざ遠出するくらいだから」
女は『遠出』のところで語気を強めた。常識とまではいかないが、そこが不満なのは、カツシにもわかっていた。
「で、でも、殺されるようなことじゃ……」
「なんでそうなるのよ」
女はイラついた顔でつづけた。
「メガネ、似合ってないわ。外しなさい」
「!」
今までの緊張が吹っ飛んだ。そこだけは触れてほしくなかった。誰にも批判される筋合いはなかった。
「それは自由でしょう?」
「なんですって!?」
少年と女はにらみ合った。
密室はざわめきに包まれた。
女はきょろきょろ周りを見回すと、顔を赤らめ、わざとらしい咳払いをして、隅の方へ離れていった。かと思うと、次の層でさっと降りていった。
ドアが閉まると、客の視線はカツシ一点に集まった。勇者をあおぐような目、非難混じりの目、様々だ。
教室以外で目立つことに慣れていないカツシは、どうしていいかわからず、それからずっと下を向いていた。なんとなく勝った、という感じだけが、震える足下を支えていた。
やがて、ミナトが暮らす十五層に到着というアナウンス。ドアが開くと、カツシはとにかく走った。エレベーター塔が小さくなるまで、スピードは緩まなかった。
カツシは放射道路を外側へ行った。官庁街を抜け、公共施設群や商業地帯を抜け、環状道路を一つまた一つとまたいでいくと、居住区だ。景色はどこまでいっても同じだった。道の左右に天井までとどく建物の壁があるだけだ。昔の言葉で『タニゾコ』というのは、今歩いているような場所をさすらしい。
作品名:A Groundless Sense(1) 作家名:あずまや