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赤い瞳で悪魔は笑う(仮題) ep1.病院と兄妹

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「でも……」
「大丈夫だって。心配性だな、雪花は」
 僕は言って、不安げな顔の雪花の頭を撫でてやる。
 雪花は今、中学一年生で、僕がここに入院している間は祖母の家に泊まっている。これまでは僕と雪花の二人暮らしだったのだが、僕の足がこんなことになってしまっては、雪花一人を家に残しておくわけにはいかない。
 僕の足は、折れてしまった。丁度三週間前。バイト先で、
 誰かに押されて。
 階段から、――五階の高さから、一気に。
 それで、複雑骨折と言うわけだ。誰が押したのかなんて分からないし、……そもそも興味がない。誰が押したにしても僕の足はとりあえず治るわけだし、不幸中の幸いと言うべきか、頭を打つこともなかった。だから、そんな瑣末なことに興味はない。
 そう思う。
 勿論、雪花にはそんなことは言わない。余計な心配など、掛けたくないからだ。雪花は、心配性すぎるくらい、僕の身を案じてくれている。それは、僕が足を骨折する以前の……あの日のことが、あってから。
 あの日……、
 両親の死を、間近で見てしまってから。
 一年前の、両親の命日。
 妹の叫び声、泣き声、すすり泣き、嗚咽、ため息、目を見開いて。
 今でも、夢に見る。あの、悪夢を。いや、それは、夢よりも悪い現実。目は覚めないから、逃げることも、叶わない。
 現実から逃げるには、狂ってしまうのが一番だ。でも、僕は狂ってしまえるほど、そのための『心』を持っていなかった。
 両親の死に対して、僕は何の感慨も抱かなかったのだ。
 何も。
 悲しみも憤りも。怒りも憎しみも。喜びは勿論のこと、喪失感すら。感じることが、なかった。
 喜怒哀楽。
 僕に欠けているのは、一体何なのだろう。僕に『心』が欠けているなら、では一体。
 雪花に対して抱くこれは、『愛情』ではないのだろうか。もしもこれが本当に感情ならば、それはつまり、僕に『心』がある、ということなのだろうか……。
「錯覚だよ」
 歌うような声が、隣のベッドのほうから聞こえてきた。思わずびくっとして、そちらのほうを見ると、ものすごい美少女が、隣に入院している高校生――少し無口――に、話しかけていた。見舞い、だろう。白い顔、黒い瞳、赤い――眼。
 …………赤い?
「お兄ちゃん?」
 雪花の声で、我に返る。
「どうしたの?」
「ん。いや、ちょっと、ぼーっとしてた」
 笑って答えると、雪花はほっとしたように、僕の手を握った。
「お兄ちゃん、今度は気をつけてね? 雪花、心配なんだよ?」
「大丈夫だって。僕だって、雪花のこと、心配だぞ」
 言いながら、隣のベッドの主と話を続けている少女の言葉を思い出す。
 そうかもしれない。この、雪花に対する『感情』は。
「……錯覚、か」
「え?」
「いや、なんでもないよ。あ、もうこんな時間だ。雪花、おばあちゃんが心配するぞ?」
「あ」
 雪花は、二つ結びにした髪を揺らして、時計を見やった。
「本当だー……うん。じゃあ、もう帰るね、お兄ちゃん」
「うん。おばあちゃんによろしくな」
「分かった。また、来るからね」
 ばいばい、と手を振って、僕は小さな雪花の背中を見送った。
 これは、『愛情』と呼べるモノではないのか。
 そんなことを思いながら。
 ならば、僕はやっぱり――……、『心』の何かを、失くしてしまったのだろう。
『今度は、気をつけてね?』
 唐突に。
 唐突に、雪花の言葉が耳に蘇る。……え? 『今度は』、『気をつけてね』、だって?
 何だ、それ。
「……何だよ、それ」
 呟きはしかし、口の中で渦巻いて、消えた。