鋼鉄少女隊 完結
第二十二章 スワン
三月で高校の通信課程も卒業し、雪乃は祖母の春江について瞽女唄修練の日々を送っていた。先に戻っていた美咲も呼んで、一緒に習わせたのだが、元々楽器や歌が得意でなかったため、直に音を上げてしまった。
「駄目。私、やっぱり無理よ。ごめんね。あんたには借りがあるから、なんでも手伝いしようと思ってたんだけど……。三味線って難し過ぎるよ……」
雪乃は美咲のリタイアをとがめはしなかった。AZUMIを辞めて静岡に戻っていた美咲が、やはり軽いPTSDというか、人前出るのがおっくうになって家にこもりきりだったのを心配して、自分の家に呼んでいただけだった。
どんなに嫌な思い出があっても、思いきり打ち込めるものがあれば、時は過ぎてゆき、傷は治るものだ。傷跡は残り、ときおりその上をなぞると、ぴりぴりとした電気の流れるような違和感があるとしてもだ。美咲に気張らしをさせていただけだった。
だから、雪乃は美咲に次の目標を与えた。
「じゃあ、美咲は自動車教習所に通って、車の免許取ってきて」
「えっ! 免許……。ごめん。あんたの頼みなら、なんでも聞きたいけど。私……、お金ないの。働いて返そうと思ってた400万もまだ返してないし……。それに働いてないしね」
「だいじょうぶ! 教習所のお金は私が出すから。ピュセル辞めるとき、結構お金貰ったんだ。ボーナスやら退職金やら。それに、あんた一人じゃない。私も教習所通って免許取るから。私も18になったし」
戸惑っている美咲に説明する。
「私、車買うんだ。けっこう大きくて、天井が高くて中がゆったりしたやつ。ミニバンとかいうの。それで、秋には演奏旅行に行くんだ。あんたは交代の運転要員になってついて来て。あんたに貸したお金は、運転手としてのあんたに払う報酬でチャラにするから」
演奏旅行と言ってもコンサートツアーではない。雪乃は門付けと呼ばれる、瞽女の流しをしようと考えている。祖母の春江が12歳のときに、その母、元瞽女の藤田キクノにせがんで、瞽女の旅を行ったというのを聞いていたのだ。春江は母が瞽女の組として歩んだ瞽女道を旅することを望んだ。もちろん、その50年前でも、かっての瞽女宿が二人を泊めてくれる保証はなかった。そのため、普通に旅館、民宿に泊まるのを前提で行くことにした。
キクノの若かった時代には瞽女達が徒歩で歩んだ瞽女道も、電車とバスが整備されていて、ほとんど歩くようなことは無かった。
瞽女宿はキクノのことを覚えていてくれて、喜んで泊めてくれた。全行程10日のうち、お金を出して宿にとまったのは2回だけで、それも最後の二日間で休養のためのんびりと温泉宿に泊まったときだけだった。
瞽女宿とはボランティアで瞽女を泊め、瞽女に演奏会場を提供する農家のことだが、農村部ではまだまだ瞽女のことを忘れてはいなかった。
瞽女宿では近所の老人達が集まってきて、唄を聞いて泣き笑い昔を懐かしんでくれた。春江も、母のキクノもすっかり感動したという。
この春江の思いで話を聞いた雪乃は、祖母と曾祖母がこの時辿った瞽女道を自分も祖母とともに旅してみたいと思っていたのだ。
今の時代、郷土の伝統芸能として、まるで保存館のガラスのショーケースの中の民芸品のような扱いになっている瞽女唄。雪乃は本当に生きた実用品としての瞽女唄を体験したかった。録音媒体の中の音でなく、直に客の反応の中で歌われる本物を知りたかった。
と、いって祖母春江が瞽女旅をしてから、50年以上も経つ今、かっての瞽女道を辿ったって、瞽女自体を知っている人などもう居ないと思われた。瞽女宿での客を集めて歌うことなど無理だろう。しかし、家の外で門付けをして、米や金をもらっていた瞽女にとって、何時までも歌えて通る声が要求されたのだと思った。この声は外で歌うために必要だったのではないかと思うのだった。
雪乃が静岡の実家でひたすら、瞽女唄の練習の日々を送って半年が経った頃、雪乃が去ったラ・ピュセルのほうではひと悶着起こっていた。
リーダーの藤崎彩が卒業を希望していたのだ。ピュセル11期生のオーディションが終わり、この春には新たに三人の新人が入ってきていた。彩はこの秋のコンサート最終日での卒業をと願っていた。丁度、雪乃の卒業の一年後になる。
しかし、社長の田口はそれに頑強に反対していた。もちろん、彩が抜けることによるピュセルのパーフォーマンスの低下もあるが、彩が会社の提示している卒業後の進路を拒絶していることが最大の原因だった。田口は彩をソロ歌手にしようと計画していた。しかし、彩はそれを受け入れようとはしなかった。
田口はいらついていた。
「彩! どうしてもソロになるのは嫌なんだ? 理由を言いなさい」
彩はずっとソロを拒むだけで、自分の進路の希望を述べていなかった。やはり田口に対しては遠慮があった。父親だと名乗られてからも、なにか自分の心の中の大事なものを明かすことにためらいがあった。しかし、社員としては、会社の命令に異論を唱える以上理由を述べねばらなかった。
「あの……。私、村井雪乃と一緒にやりたいと思っています。雪乃が次にやるバンドのボーカルにと……思ってます。ただ、雪乃のバンド自体がまだ、はっきりとしないので、なかな言いだしにくかったのですけど。ソロデビューへと言うのは、会社からの破格の待遇とは思いますし、たいへんありがたいことだと思います。でも、私は村井雪乃とやりたいんです」
田口は戸惑ってしまった。彩をソロにしたいのは、会社の利益のためというより、彼の心の中に長い間埋もれてきた私的な望みだったのだ。彩にソロ歌手としてデビューするように説得するためには、今まで避けていた場所に踏み込まねばならいと思った。田口が臆病にも逃げまどい近寄れなかった所に。
「おまえの母さんの夢を、おまえが代わって実現して欲しいんだ」
彩は、今日なのか、と思った。二人の間にこの話題が出ないのが不思議であると同時に、へんに穏やかな長い休戦状態と感じていた。いずれはこの人と母の話題を話さなければならないのだろうとは常に覚悟していたのだ。
彩は口ごもった。
「お母さんのことって……、社長はどういう関わりがあったんですか? 私、会社に入ってから、いきなり、父親だって言われましたけど、私……、記憶がないんです……。私のために新しい家庭を作ってくれたり、ピュセルに入れて頂いたことは感謝してます。でも、申し訳ないんですが、私実感がないんです。社長が……、私のお父さんだってことが……。社長の口から一度も聞いたことありませんけど、私の母とどういう関係だったんですか? もちろん母と結婚してたわけじゃありませんよね」
田口は自分の臆病さをあざ笑うように、口元に引きつったようなしわを作る。
「私は安村葉月のマネージャだったんだよ」
安村葉月とは彩の実の母、安村和子が歌手であった時代の芸名だ。
「私は大学を出たばかりで、和子のいる芸能事務所に社員として入って、その最初の仕事だった」
彩は神妙な顔で聞き入る。