鋼鉄少女隊 完結
「ただいまじゃないでしょ。あーびっくりした。帰ってくるって言わずに、そんなとこに座り込んでたから……。年寄りを驚かすもんじゃないよ。もーう……。今帰ってきたの?」
「うーん。今って、ほんの30分ほど前かな……」
「30分前に帰ってきてるなら、ちゃんと私に声かけなさいよ。30分も何してたの?」「うん。お客さん来てるから、じゃましちゃいけないって思って待ってたのよ」
祖母はきょとんとする。
「お客さん? 誰も来ていないよ」
「えっ! そうなの」
雪乃は立ち上がり、祖母の居室の障子戸をがらっと開け放つ。言ったとうり、その部屋には誰もおらず、畳の上に三味線がひとつ置いてあるだけだった。
「じゃぁ、今の三味線と唄はお祖母ちゃんなの?」
祖母は申し訳なさそうだった。
「ごめんね。お客さんだと思ったのね。なんか田舎臭いっていうか、辛気くさいものずっと聞いて待っててくれたの? 悪かったね。私、あんたの前ではこれ、やったこ無かったからね。知らなかったんだね」
雪乃は首を激しく横に振る。
「辛気くさくなんか無いよ! すごいと思った。メロディがすごいとかじゃ無くて、声とか歌い方がすごいんだ。私、こんな音楽、生まれて初めて聞いたよ。これって何なの? 民謡とかなの?」
祖母は照れたというか、困惑していた。
「え? すごいものなんかじゃないよ……。これはね、瞽女唄(ごぜうた)って言うんだよ。新潟の唄だよ。民謡というものでも無いんだよ。民謡ほど一般の人まで広まっていないからね。新潟の一部の職業の人の唄だからね。瞽女さんの唄だよ」
「瞽女さんって?」
瞽女とは盲目の女性旅芸人のことだ。さまざな説話などを三味線の弾き語りで、瞽女唄という独特の節回しで聞かせ、報酬を得ていた。
テレビもラジオもない時代の民衆の娯楽であり、新潟だけでなく、かっては全国に瞽女の組織があったが、次第に減って行き、最後に残ったのが新潟県長岡市の長岡瞽女と上越市の高田瞽女だった。
祖母の説明を聞いて雪乃はさらに興味をそそられる。
「その話ではお祖母ちゃんの唄は長岡瞽女のほうなんだよね?」
「そう、私の唄は越後長岡瞽女のものだよ。新潟ではね。瞽女のことを瞽女さーとか、瞽女んぼとも言うんだよ」
「でも、どうしてお祖母ちゃんが、瞽女唄ができるの? そんなの教える教室で習ったの? て、言うか、カルチャーセンターで習ったような素人のレベルじゃないと思う。あんな声、よっぽど練習しないと出ないよ。私が居ない間の一年半で習ったようなもんじゃないよね?」
祖母は苦笑いする。
「あんたには教えてなかったけどね。私はこれを子供の頃から私のお母ちゃんに習ったの。私のお母ちゃん、あんたのひいお祖母ちゃんはね、越後長岡瞽女の中の一つの組の親方だったんだよ。弟子も何人も持ってた。私はお母ちゃんの最後の弟子になって唄と三味線を習ったのよ」
瞽女の親方とは弟子を持ち、その弟子たちと数人の瞽女と手引きと言われる道案内の女性との旅興業グループの単位の組の長だった。
「ひいお祖母ちゃんって、目が見えなかったんだ……」
「そう、五才の時に失明して、七才で長岡瞽女に弟子入りして、二十八才で年季を終えて親方になったのよ。でも、お母ちゃんが親方になった時代には、もう瞽女も廃れてきててね、もうそんなに仕事にはならなかったのよ。一度は瞽女をやめて、三十五歳で結婚して私を産んだの。でも、私のお父ちゃんは太平洋戦争で死んでしまってね。お母ちゃんは、新潟の温泉街で瞽女唄を唄ってお金貰って、私を育ててくれたの。旅館の女将さん達が郷土の芸能として、お客さん達に紹介してお座敷に呼んでくれてたのよ。私もお母ちゃんが始めたのと同じ、七歳の時にこの唄を教えてってせがんで、習い始めたのよ。私もね、12歳のときから、お母ちゃんと一緒に、旅館の宴席に行って瞽女唄を唄うようになったのよ」
雪乃は祖母の口から聞く耳慣れない事実に心を踊らせた。もちろん、瞽女であった雪乃の曾祖母はとうに亡くなっていた。
「ねぇ、ひいお祖母ちゃんってどんな人だったの? 写真とか無いの?」
祖母が笑い出す。
「それがね、うちのお母ちゃん、あんたがよく知ってる人にそっくりなのよ」
「えっ、誰? 私がよく知ってる人って? お祖母ちゃんに似てるわけ?」
「違うのよ。私はお母ちゃんとは似ていない。でも、あんたのよく知ってる人に、それはそっくりなのよ」
祖母が押し入れから古いアルバムを取り出す。
「そのアルバムの一枚目に、お母ちゃんの若い頃の写真が載ってる。18歳の頃の写真。あんたびっくりするよ」
雪乃は訝しげにアルバムを開いて、祖母の予言どうりに驚く。
「これって……」
「そう、雪乃よ。あんたは、ひいお祖母ちゃんにそっくりなのよ」
曾祖母の眼病は白内障のような眼球の色を変えるようなものでなかったため、見えぬとはいえ、見開かれた目もとは涼しく、写真では視覚障害者には見えない美しい女がそこに居た。そして、その顔は祖母の指摘のように、雪乃と瓜二つだった。
「私って、ひいお祖母ちゃんに似てたんだ。よかった……。私、静岡のほうにも、横浜のほうにも親戚で似てる人居ないから、もしかしたら……、貰われた子かな、なんて心配してこともあったんだよ。よかったぁ」
祖母が楽しげに笑う。雪乃はその写真の名前を読む。
「藤田キクノかぁ……。これがひいお祖母ちゃんの名前だね。あれ、この下にあるヤスって名前は?」
「お祖母ちゃんの本名が藤田ヤスなの。キクノってのはね、瞽女に弟子入りしたときに貰った、瞽女名なのよ。私だってね、本名は春江なのに、お母ちゃんに言って、瞽女名つけてもらったのよ。私はタカノ」
その日は一晩中、祖母の春江と雪乃は瞽女について楽しげに語り明かした。
年末に雪乃は一年半世話になった母方の実家を後にして、静岡の祖母の元に戻って来た。また、久しぶりの二人きりの正月を過ごしたのち、雪乃が切り出した。
「ねぇ、お祖母ちゃん。私に瞽女唄教えてくれない」
祖母の春江は端から取り合わなかった。
「何、冗談言ってるの! あんたは会社から外国に音楽留学させて貰えるんでしょ。ちゃんと為になる音楽を勉強して来なさい」
雪乃は本気だった。
「違うの! 冗談じゃなんか言ってないよ。私、本当に瞽女唄をすごいと思ってるんだ。メロディとか三味線の演奏技術がすごいっていうわけじゃない。あの声がすごいんだ。私、あの声が出せるようになりたいんだ」
春江は雪乃を思いとどまらせようとした。
「何言ってるの。あんたはあんな辛気くさいもの習わなくても、もっとすごい音楽出来るじゃない。気まぐれはやめなさい」