鋼鉄少女隊 完結
「ああ、そうか。じゃあ手伝ってくれ。君は白を集めてくれ」
雪乃は正座のままにじり寄り、碁笥と呼ばれる、木で作った丸い碁石入れを引き寄せ、碁盤上の白石を集めて入れていく。除々に碁盤の表面が現れてくる。見事に一面縦線の木目だ。柾目という。柾目は乾燥による木の反りが少ないので、碁盤、将棋盤に重用される。 縦の木目がびっしりと細かく詰まっていた。高価なものに違いないと思う。雪乃は碁盤の裏も見たくなった。裏も柾目である場合、途方もない値段がつく。
いきなりのぞき込むのも失礼と思って、雪乃は最後の白石一個をわざと畳の上に落とす。それを拾い上げる振りをして、碁盤の下に押し込む。それから、碁盤の下の白石を取る振りをして、身を屈め裏をのぞき込む。
老人がお見通しとばかりに声をかける。
「おい。そんな小技はいらないぞ。裏が見たいんだろう。この碁盤に興味を持った奴はみんなそんな小細工をして底をのぞき込みたがる」
老人は碁盤を立てて、裏を見せてくれる。見事な目の詰んだ柾目だった。
「まさかとは思ったが、君は碁盤のことがわかるのか?」
雪乃は戸惑う。
「あ、あの……。うちの祖父が囲碁やってたので、いつか私……、お金儲けたら、いい碁盤買って上げたいなぁって思ってました。だから、インターネットで碁盤のこと調べたりしてました」
老人は目を細める。
「そうか。じゃあ君の鑑定結果を教えてくれるかな?」
「あの……、こんな風に、碁盤の表面も裏も柾目なのを、天地柾というんですよね」
「そうだ。天地柾だ。じゃあ値段はどれくらいだ? この碁盤はずいぶん前に人から貰ったものなので、当時の売値は知らんが、ここに碁をうちにくる連中は値踏みしていくよ。おもしろいから、君の意見も聞かせてくれ」
「え……。素人なもので。そんな者じゃありません。でも、これってもしかしたら、日向カヤですか?」
「おお、日向カヤが出たか。そうだ、日向カヤだ」
日向カヤとは宮崎産の榧(カヤ)の木で碁盤、将棋盤の高級材になっている。
雪乃は恐る恐る口を開く。
「柾目の詰まり具合からいって、400万円くらいかと……」
老人は愉快そうに笑う。
「その通りだ。なかなかの目利きだな。それで、お祖父さんには碁盤は買って上げたのか?」
「いえ、買いませんでした」
老人は眉根に皺を寄せる。
「どうしてだ? グリーンプロモーションの田口は、外には金払いの渋いやつだが、中のタレント達には業界でも破格の給料を出してるだろう。天地柾は無理だとしても、そこそこの碁盤は買えるだろう。値段などいくらのものでも、君に買って貰えたら、喜ぶと思うぞ」
「祖父は二年前に亡くなってしまいまして……」
老人は視線を落とす。
「そうか。それは残念だったな。で、君はお祖父さんと碁を打ったことはあるのか?」
「はい。小学四年くらいから、教えて貰って、休みの日で雨が降って外に行けないときは、やってました。一回やると、10円くれました。最初は井目風鈴中四目でやってたけど、ほんとに勝てませでした。でも、勝ったら500円やるって言われて、必死で考えて打ちました。勝つと、石減らされて、最後は三子で打ってました」
囲碁は初心者、下手の者にハンデとして予め石を置かせる。置き碁というが、井目風鈴中四目とは17個石を置いた場合である。強くなると石を減らし、雪乃は最後は祖父と置き石三個でやっていたのだ。
老人は愉快そうに肯く。
「君は小学生で賭け碁をやってたのか? たいしたものだ」
「あ、いえ……。やっぱり、そうなんでしょうか?」
「いや、冗談だ。きっと君のお祖父さんは、君に小遣いをやっていたのだろう。どうだ、わしと一局やってみないか?」
「いえ、私そんな腕前じゃありません」
「もちろん、置き碁だ。君はお祖父さんに三子で打ってたと言ったな。お祖父さんは段とか級はあったのか?」
「お祖父さんはアマチュア六段でした」
「ほう、それは大したものだ。アマチュア六段に三子で打っていたのか。わしは段位などない。しかし、碁をうちに来る連中のアマチュア六段には勝つ。といっても、政治家連中の段位など名誉段でな。たいしたことないのだが。君のお祖父さんは一般人のようだから、アマチュア六段の実力は本物だろう。どうだ、わしと三子でうってみないか? 君が勝てば、君の望みは何でも聞いてやろう」
「え、でも最近打ってませんから、お相手になるかわかりませんけど……」
二人は碁を打ち始める。三つ石を先に置いている雪乃が黒石、老人が白石だ。雪乃は次第に熱中していく。老人も肯いたり、一人言を呟きながら打つ。
打ち終わり終局となる。双方の地を計算する。
「ほう、一目負けてしまったな。大したもんだ。いや負けました」
最終的に碁盤上で雪乃の一目勝ちとなった。
「いやいや、実におもしろかったよ。女性は圧倒的にケンカ碁の人が多いんだが、君は実に美しい正当派の碁を打つ。事前に聞いていた君の行状では、てっきり乱戦好みのケンカ碁かと思ったが、いい意味で予想を裏切ってくれたよ」
女性の碁は激しい。以外と男性の碁のほうが大人しく争いを避ける傾向にある。石の取り合いに熱中し、激しい闘志を表すのが女性のほうというのがおもしろい。かって、女流のプロ同士の激しい乱戦の末、負けたほうの女流棋士が悔しさの余り、その場で泣き出したことがあったという。
物静かな女性の普段表す事のない、あるいは一生人間関係の中に出すことのない、心の内の戦場が投影されるのかもしれない。
その意味では雪乃は女性の中では異質な、冷めた男性のような面を持っている。
老人が機嫌良さそうに言う。
「君が勝ったんだ。さぁ、何が欲しい。言ってみなさい。たいがいのものなら、かなえてやれるぞ」
雪乃は戸惑う。そんなこと言われても初めて会った人に何を望んでよいのかわからない。この人が何者かも知らないのだ。元総理大臣がやってくるので、元政治家なのだろうかと推測する。それなら、頼みたいことがあった。
「広告代理店の一業種一社制を義務づける法律が望みです」
老人はウーンと考え込む。
広告代理店の一業種一社制は海外の先進国ではあたりまえのことだが、日本においては行われていない。広告代理店は同業種他社の広告を手がけないというのは、先進国では社会的モラルとして定着している。この世界常識を無視する日本では、無差別、無分別に広告代理店の巨大な寡占がまかり通る。この後進性ゆえ日本で一位のTDNであろうとも、世界では相手にされていない。
雪乃はこの「一業種一社制」を義務づけることにより、大手広告代理店の広告の独占と、それを背景にしたマスコミ支配を排除したいと思っている。
「君はわしを政治家だと思ってるのか?」
雪乃は違ったのかと思い、落胆する。
「わしは政治家ではない。しかし、政治家を動かし、一業種一社制法案を議員立法で提案させることは出来る。しかし、それを国会で可決させることは難しい。時期尚早だ」
しかし、この人はヤクザとかいうような組織の頂点の人とは思えなかった。なにか雪乃のかってのキリスト教系の高校の学長を思い出した。心に確信と信仰があり、欲のためには動いていない。そんな感じだったのだ。