鋼鉄少女隊 完結
黒田が皮肉な笑みを浮かべる。
「サイトグループは確かにこちらに来るかもしれないだろう。しかし、ホラもほどほどにしたほうがいいよ。お嬢ちゃん。ピュセルタイム2のコントは、『磯上あしび』って作家が作ってるのは知ってる。鋼鉄少女隊ってマンガの原作もやってるやつだ」
「だから、磯上あしび、は私のペンネームなんです。『磯の上におふる馬酔木(あしび)をたおらめど 見すべき君が ありといわなくに』という万葉集の中の歌からつけたんです」
黒田はそれでも疑わしいという顔をする。雪乃はここからが、計略の真骨頂部分と熱を帯びる。
「ほんとなんですって。私、今日自宅で、ピュセルタイム2のコントのシナリオ書いてましたから。お疑いなら、作ってたコントやってみせましょうか?」
雪乃は黒田の返答も待たずに持ってきていた、バッグの中から、プラスチックのマスクとゴーグルをそれぞれ二つと、恵理のところから持ってきた、ヘアスプレーの缶をテーブルの上に出す。ヘアスプレーの缶の外側に白い紙が巻き付けられており、殺虫剤とマジックで手書きしてある。金沢がとがめる。
「なんだ! この殺虫剤ってのは?」
「あ、これ、ほんとは殺虫剤じゃないですよ。ヘアスプレーです。小道具です」
雪乃は自分の手のひらに向かって、スプレーを噴射する。ヘアスプレーのきつい甘い香りが立ちこめる。
「ね、ヘアスプレーでしょ。コントの題は『ハエ姉妹』です。ハエの姉妹が絶望して、殺虫剤で自殺しようって相談する話です。やってみます」
黒田も金沢は苦笑しながら、押し切られてしまったように、雪乃のやることを見守っている。雪乃は椅子に座っている麻由の口をマスクで覆い、目にゴーグルをつける。自分もマスク、ゴーグルを装着する。
「えー、それぞれの彼氏に振られてしまった、ハエの姉妹がもう自殺しようって相談してます。おねぇちゃん! もう駄目だわ。ひとおもいにこの殺虫剤で死のぉ」
それから、雪乃は天井付近を見つめて、めまぐるし頭を動かす。なにかを視線で追っているとういうふうである。急に天井目がけて、スプレーを吹く。何かが落ちてくるというふうに視線を下に落とし、床から何か拾う仕草をする。
「あっ! お父さん殺してしまった」
金沢が渋い顔する。
「くだらねぇ!」
雪乃はお構いなしだ。
「違った。お父さんじゃないわ。隣の山田さんのオジサンだ」
黒田が苦笑する。
「お嬢ちゃん。スベりまくってるなぁ」
雪乃は目的を果たすまではと、強引に即興のコントを続ける。
「で、ハエの姉妹の元彼たちがやって来ます。そこのオニイサン二人出てきてもらえませんか?」
金沢が黒田の顔を伺う。
「まぁ、最後までスベらせてやろうじゃないか」
金沢が指示して、黒いジャケットを着た、ごつい用心棒二人が雪乃の両側に立つ。
「お願い! 私達と心中してください!」
雪乃はスプレーを左右の男の顔に吹く。男達は顔をしかめる。
「さすがゴキブリ君たち。ハエの殺虫剤じゃ効かないのね!」
ヘアスプレーの缶を床に置き、雪乃は自分の腰の後に手をまわす。もちろん毛皮のコートは着たままだ。毛皮のコートの切れ目から手を入れ、ホルダに取り付けている熊よけスプレーの誤噴射防止用の安全装置を外して、スプレー缶を抜き取って、両手で突き出す。その缶にも白い紙が巻き付けてあり、マジックの手書きで「強力殺虫剤」と書かれている。
今度は両手に一本づつ持ったスプレー缶を左右の男達のほうに向ける。男達はまたヘアスプレーかと、苦が笑いしている。
雪乃は至近距離から、熊よけスプレーを用心棒の男達に噴射する。高濃度のトウガラシチンキの黄色い霧が男達の顔を覆う。熊の行動力を失わせてしまう威力。悲鳴を上げて床を転げ回る二人。
雪乃は間を置かず、一歩進んでテーブルに接近して、今度は黒田と金沢の顔に噴射する。黒田も金沢もトウガラシチンキを吸い込んで咳き込みながら、苦しみ転げ回る。目も見えなくなっている。
雪乃は左手のスプレー缶をコートのポケットにしまい込むと、椅子に座って呆然としている麻由の手をとり、立ち上がらせる。麻由は思考能力が飛んでいるだけで、運動能力はそのままなので、雪乃の誘導のままに動いた。麻由の手を引き、個室の外へ出る。
後で、金沢の声が響く。
「福田! その女達捕まえろ! 逃がすんじゃねぇ! ぶっ殺してやる!」
福田と呼ばれる、入り口のドアの側に居た大男が駆けつける。雪乃はその男にも熊よけスプレーを吹きかける。男は大声を上げながら、苦しみのたうち回る。
側に立っていた、さっき雪乃が二万円渡したウエイターが、目を丸くして見ていた。
「ヒエー! 毒ガスだー!」
ウエイターは後も見ずに、入り口のドアから外へ逃げ出して行った。
麻由を連れた雪乃も店の外に出る。非常扉の前に行き、ドアを内側から四回ノックする。外に居る美咲に雪乃達が外に出るという合図だ。美咲には、ノック四回の合図なしに出てきたものは、男、女容赦なく、例え警官の制服を着ていても、熊よけスプレーを吹きかけろと指示してあった。
非常ドアを開け、非常階段の踊り場に出ると、マスク、ゴーグル姿で熊よけスプレーを構える美咲が立っている。足下には、さっき逃げ出して行ったウェイターの男が、美咲にスプレーを吹きかけられて、のたうち回っていた。
美咲に麻由の手を引かせ、雪乃はまた両手に熊よけスプレーを持ち、警戒しながら三人で、非常階段を降りてゆく。幸いに誰にも出くわさず一階まで降りることが出来た。熊よけスプレーでは、死にはしないだろうが、当分は動けないのだろう。追っ手はなかった。
非常階段を降りきって路上に出て、恵理が待つ黒い軽自動車の方に行く。美咲が後部座席のドアを開け、麻由を押し込み二人が乗り込む。雪乃はその間、熊よけスプレーを構えて、辺りを警戒する。それから、雪乃も助手席に乗り込む。
待たせていた恵理にもマスク、ゴーグルをつけさせている。これは、恵理の顔が見られないようにという意図と、三人の服にトーガラシチンキが付いていた場合、恵理がダメージを受けてしまうのを防ぐ為だった。車も念のため、冬なのに全ての窓を開け放ち換気をよくしてある。
しばらく走って、車を止め、雪乃と美咲は来ていたコートを脱ぎ、車のトランクルームにしまう。服に付着しているトウガラシチンキの臭いを嫌ってだ。それから、再び乗り込むと、全員マスクもゴーグルも外し、窓を閉めて暖房をかけて走り出す。
雪乃の報告を聞いた恵理が運転しながら、興奮気味に雪乃の手際を賞賛する。
「金沢と黒田の顔に熊スプレーぶっかけて、のたうち回らせてやったてぇ。それ見たかったわぁ。でも、ありがとう。これで、少しは恨みも晴れたわ」
しかし、恵理は声のトーンが下がる。
「雪乃ちゃん。あいつら、このままで済ませへんで。気ぃつけんとあかんで」
雪乃はこくりと肯く。確かに、殺人も平気なやつらだ。でも雪乃には覚悟があった。
雪乃は黒田、金沢らと会っていた間、ポケットの中のメモリ録音可能なMP3音楽プレーヤで会話を録音していた。いざとなれば、警察に証拠として提出するつもりだったのだ。