鋼鉄少女隊 完結
「そうよ。上にかけるクリームは栗、サツマイモ、ムラサキイモ、カボチャ、下の生地はスポンジ、メレンゲ、タルトといろいろな組み合わせで作ったのよ。この写真の人、山口惣介っていうんだけど、私の前の夫なの。兄の大学時代の親友。大酒飲みだったのに、甘いものも好きでね。とくにモンブランが好きだったの。あっそう、これだけはあの人にまつらせて。このオーソドックスなモンブランが好きだったの。後はあなた、全部食べてもいいわよ」
雪乃はモンブランを立て続けに四個食べた。美佐枝が気がついたように忠告する。
「ねぇ、雪乃ちゃん。家に連絡しておいたほうがいいよ。もうここでご飯食べて行ったらどう。と言っても、全部あなたの作ったオカズなんだけど。帰りは私が車で送ってきます。自転車はここの車庫に入れておいたらいいわ。車庫の鍵渡しておきますから」
雪乃は食事して帰るとの連絡を済ませ、ご飯が炊きあがったのを見て、次の一品の作成に入る。
炊きあがったご飯を大きな角形トレーに出して、酢、塩、砂糖で寿司酢を作り混ぜ込み扇いで冷ます。それから、短冊状に切った黒鯛の身で握り寿司を作り始めた。
「はい。黒鯛握り寿司です。これで本日の黒鯛料理はおしまいです」
二人が笑いながら、ぱちぱちと拍手する。一口食べて、浩太郎が評価する。
「米は若干残念だけどね。なんせ、ここの家の一年前の米だからね。でも、握り具合、上手だね。外が崩れず、中は柔らかい」
「ありがとうございます。お祖父ちゃんに習ったんです。このご飯の握り方、すごく練習しましたから」
食事の後、雪乃はデザートに再びモンブランをぱくつきながら、最初ここに入った時から、気になっていたギターを収納してある、ガラス張りのキャビネットのほうを見て尋ねる。
「惣介さんって方、ギターを弾かれてたんですね」
「そうよ。器用な人だったのよ。ギターは玄人はだしだったわね。あなたも器用な人だけど、もしかしたらギター弾けるの?」
「あっ、私はどちらかというと、エレキギターのほうなんですけど。最近、アコースティックギターも始めました」
美佐枝は嬉しそうな顔をする。
「そうなの。よかった。ねぇ、お願いだから、ギター弾いてくれない。私達、楽器まるで駄目なのよ。ギターの音なら、お坊さんのお経よりもこの人の供養になると思うのよ」
雪乃は高価そうなギターに興味があったので、二つ返事で引き受ける。ギターキャビネットの中には五つのギターがつり下げてあった。その中の弦の傷みの一番少ないのを取り出した。チューナがなくて、音叉があったので、音叉チューニングをする。
440HZの音叉の音をギターの五弦五フレットに合わす。その後、五弦の音に合わせ各弦を調節する。
それから、映画『禁じられた遊び』の主題曲として有名になったスペイン民謡『愛のロマンス』を弾いた。
弾き終わった後、二人が拍手する。
「それ、惣介さんも弾いてました。あなた、始めたばかりって言ってたのに、すごく上手じゃない。その曲とねあと、もう一曲、あの人がよく弾いてたのがあるのよ。なんだったかな……名前? ほんと年取ると思い出せないのよね。確かね、最初にアがついた名前……」
雪乃は最近よく練習しているアランフェス協奏曲第二楽章の最初のほうを、ざっと弾く。「あ! それ、それも弾いてました。それも弾いてたけど、それじゃないの。こんなに、心を振り絞るような、せつない曲じゃなくて、なんかとても暖かい、懐かしい故郷みたいな曲。ア……なんとかって名前」
「アルファンブラですか?」
「そう! それよ! アルファンブラ! アルファンブラの思い出」
雪乃は少し困ったような顔をする。アルファンブラ宮殿の思い出。雪乃はまだ練習中の曲なのだ。トレモロ奏法は全く苦にならなかったが、アランフェスのほうが気に入ってしまっていて、こちらばかり弾き込んでいたからだ。
いつか、自分の前にも一人の男が現れて、喉から血を吐くような言葉で告白してくれる。アランフェスは雪乃にとってはそんな思いにかられる曲だったからだ。アルファンブラのほうは暖かく懐かしい過ぎ去った愛の思い出、そんな気がした。
「あのー、この曲はまだほとんど練習できて無くて、途中までしか出来ません。それでよかったら」
雪乃はタレガの『アルファンブラ宮殿の思い出』を弾く。美佐枝がうっとりとした顔で聞き入る。
「ごめんなさい。ここまなんです。私弾けるの。そんなに練習出来てなくて」
それでも、美佐枝は喜んでくれた。
「ありがとう。ほんとにありがとう。でも、あなたって、こういう音楽に携わってる人なの? すごく上手だと思うけど。ほんとお見それしましたって思ってしまったわ」
「あ、私もともとはエレキギターのほうなんです。高校の軽音楽部でギターやドラムやってました。それから今は、ガールズバンドでインディーズのCD出してます」
「あなた、高校生ではないのね? プロのバンドやってるの?」
「高校は通信制の三年生です。実は歌と踊りのアイドルグループに所属してて、その中でグループ内ユニットでガールズバンドやってるんです」
「え、アイドルグループなの。そういえば、顔可愛いものね。なんて名前? 最近よくテレビに出るAZUMIとかいうグループ。ごめんなさい。私、あのグループって人が一杯居すぎて誰が誰だかわからないから。もしかしたら、あなたもテレビに出てる人なのかな?」
「違います。AZUMIじゃないです。ラ・ピュセルってグループです」
「あなた、ラ・ピュセルって、国民的アイドルグループじゃない。でも、最近見ないよね。あ、ごめんなさい。でも、ピュセルって一時はほんと日本中の人がみんな知ってたものね」
「はい。ラ・ピュセルはどんどんメンバーが入れ替わって、13年経ってますが、ちゃんとコンサートやってます。私、十期のメンバーです」
午後八時を回っていた。美佐枝が家まで送ると言いはった。雪乃は自転車で帰ると言ったが、美佐枝は聞き入れなかった。
「いえ、駄目です。ちゃんとお宅まで送って行って、私、ご挨拶しますから」
仕方なく、三輪自転車をロックして、車で送ってもらうことになった。残っているモンブランは全部お土産にもらった。その上美佐枝は白い角封筒を雪乃に渡そうとするので、雪乃は慌てて固辞する。しかし、美佐枝は中身、お金じゃないからと言う。
「これ、商品券なの。お菓子屋さんの商品券。私が洋菓子の新製品を作ってるお店のやつ。これよく貰うんで、結構貯まってるのよ。お菓子の好きな、あなたが使って」
雪乃は糊付けせずに、口の開いてる封筒の中身を取り出す。
「あっ! これアンジェリアのお菓子券じゃないですか。千円券が……10枚、1万円もありますよ」
アンジェリアとは全国展開する洋菓子の店舗で、持ち帰りでも中でも食べることも出来、スィーツ好きの若い女には人気の店だった。美佐枝は有名なパティシエで、アンジェリアとは深いつながりがあるようだった。