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亡き王女のためのパヴァーヌ  完結

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「そんなでもないんですよ。でも、私雪乃のように強くなりたくって、雪乃だったらこういう時どうするかなって、考えながら行動するようになったんですよ」
 福井は考え込む。
「そうか……、雪乃か……、雪乃に少し似てきたなって思ったんだけど、そういう努力してるのか」
 由紀は微笑む。雪乃に似せようとしているのではなく、由紀の中に別の第二人格としての雪乃を作ろうとしているのだ。しかし、福井にはその事を言わなかった。妲己とのことにまで言及することになるかと思ったからだ。妲己が最後に由紀に頼んでいったこと、福井に詮索されたくなかったからだ。しかし、福井の頭の中からは、夢魔乙体としての自分を作り出した妲己の記憶そのものが欠落しているかのように思えなくもなかった。

「福井さん。福井さんって、夢魔になる前は何やってたんですか?」
 福井は気恥ずかしそうに口ごもる。
「あ、いいんですよ。言いたくないこともありますものね。嫌なこと聞いてごめんなさいい」
 福井は口を開く。
「いや別にいいんだけどね。由紀ちゃんにどういうふうに説明しようかなって考えてたんだよ。なにしろ千年も前のことだからね。歌詠みってわかる? 歌人と言えばいいのかな」
「はい、わかります。和歌を作る人ですよね。昔の詩人ですよね。で、お名前とか聞いていいですか?」
 福井はさらに照れる。
「いやぁ、名前言っても由紀ちゃんにはわからないと思うんだけどね……。壬生忠見って言うんだ」
 由紀はぱちっと手を打つ。
「知ってます。私、知ってます!」
 福井は照れ笑いする。
「ほんとう? 無理しなくてもいいんだよ。別に由紀ちゃんが知らなくたって傷つかないからね」
「いえ、有名な人じゃないですか? 百人一首に入っていますよ。私、小さい頃、お母さんや死んだお祖母ちゃんとよく百人一首やったんです。けっこう、歌覚えたんですよ。『恋すてふ』の人ですよね」
「嬉しいなぁ。『恋すてふ』か懐かしいなぁ……」
「『恋すてふわが名はまだき立ちにけり 人しれずこそ思ひそめしか』でしょ」
 福井はどこか遠いところを見つめる。
「そうか本当に知っててくれたんだ……」
「子供の頃、お祖母ちゃんが教えてくれたんだけど、天皇の前で歌比べをして、壬生忠見さんと平のなんとかさんが、最後に競ったんでしょ?」
「平兼盛だよ。天徳四年内裏歌合せ、題は『忍ぶ恋』だったなぁ……」
 福井は突然、うっ! とうめいて涙を流す。
「福井さん。どうしたの? 何が辛いの? 歌合わせで負けたこと……」
 壬生忠見は内裏歌合せで、平兼盛の歌に負け、その悔しさのために食事が取れなくなり衰弱死したという伝承もある。しかし、夢魔乙体であるため、死ぬことはなかった。
「負けたことじゃないよ……。相手の歌もすばらしかった。歌合わせで負けたことじゃなくて……。私は歌合わせに出るために、大事な人を見殺しにしてしまったんだよ。恋の歌を詠む者が、現実世界の恋を捨てて、言葉の中の恋に走ってしまった。それを思うと情けなくてね。申し訳なくてね……」
 福井には自分の恋人として、対であった夢魔甲体を捨てたことが、深い心の傷として残っていたようだった。
 嗚咽する福井の背を由紀がさする。
「福井さん。泣かないで。私だって……、大事な雪乃を亡くしてしまったんだよ。それでも私は生きて行こうって思ってる。夢魔って、もう私達二人だけなんでしょ。だから、ときどき、こうやって会おうよ。私、自分が夢魔っていう立場で接すること出来るの福井さんしかいなしね」
「ありがとう。由紀ちゃん。そうだね。自分の過ちで大事なもの亡くしてしまっても……、夢魔は死ねないんだよね」
 福井は力なく笑う。
 由紀は当初の目的である福井の健康状態をさぐろうとする。由紀がここに来た目的は、夢魔乙体の寿命千年になろうとする福井に死の兆候が現れていないかを見極めることだった。夢魔乙体の死が始まると無惨で苦痛に満ちたものになるので、福井を安楽死させてやってくれと、妲己は由紀に頼んでいったのだ。
 福井に死の兆候が現れていても、由紀は自らの手で福井の安楽死のスイッチを入れることが出来るのかは疑問だった。由紀は自分がそんなこをする勇気があるのだろうかと迷っていた。
 福井はいたって元気そうで、今日は何事もなく帰れそうでほっとしていた。

 由紀にとっては、遠い過去のことに思えるような、ここ一年の出来事を語った。福井と初めて病院で会ったときのことなど。
そうこうするうちに時間は経ち、由紀は日暮れ近くになったため、もう帰ろうと福井に別れを告げようとした。その刹那、福井がうめき声を上げて体を丸めた。
「福井さん! どうしたの?」
 福井は由紀と会ってからずっと左腕を覆っていた布がはらりと落ちた。下にはおぞましい腕があった。まるで木の根っこのように黒いコブがあちこちに広がっていた。どうやら肩のあたりまで、続いているようだった。
 由紀は福井の背中に手を当てて、呪を送り込む。左腕の神経叢を遮断する。由紀は自分のガンの痛みを押さえていた方法だった。
 福井がようやく痛みから解放されしゃべれるようになる。
「ありがとう。由紀ちゃん。こんなことまで出来るようになったんだね。そうだよね。由紀ちゃんは、わしみたいな中途半端な夢魔乙体じゃなくって、れっきとした本当の夢魔だからね」
 由紀は迷っていた。福井をどうすべきかをだ。由紀の中にたたみこまれて残されていた妲己の記憶を調べると、夢魔乙体はこういう症状が出ると、数時間後には全身にガン細胞が広がり、もう人間の形ではないおぞましい姿の別のものになってしまい、もはや脳も侵されて、記憶も元の人格も破壊された怪物になるのだ。死ぬまで苦痛に転げ回る、陰惨な生きものになる。
 
 雪乃ならこういう時どうするんだろうと考える。雪乃なら、割り切るのではないかと思えた。雪乃は由紀を救うため、己の命さえ割り切った決断力を持っていた。
 由紀は決心した。妲己との約束を果たすことにしようと、福井の背に当てた掌から、さらに呪を送り込み、福井の自滅のスイッチを起動した。
 福井が異常に気づき叫ぶ。
「由紀ちゃん! 何をしたんだ!」
 由紀は夢魔として人に幻影を与える力も使う。
 突然、福井の前に一人の美しい娘が現れる。神社の巫女さんのように髪を一つ結いにしていた。由紀は妲己の記憶の中にあった福井のかっての恋人、茜の姿を作り出したのだ。
 福井にとってその服装には見覚えがあった。遠い昔、壬生忠見が茜に送った衣裳だった。薄桃色の小袖、その上にプリーツスカートのような裳をまとっている。
「茜! 住まなかった……。私を恨んでいたんだろうなぁ」
 娘は微笑みながら、首を横に振り、手を差し出す。
「茜! 私を許してくれるのか……」
 娘はこくりと肯く。
「茜!」
 福井老人の体が突然、眩く輝き、その中から一人の青年が飛び出す。水色の水干姿をした若き日の壬生忠見は娘を抱きしめる。さらに眩しい光が辺りを覆う。抜け殻となった福井の体が、無数の小さな発光体になり、ぱっと四散する。幻影の若い男女も消え失せて、無数の発光体だけが舞い上がり、川面を漂い、風に流されて散ってゆく。
「さようなら、福井さん」