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亡き王女のためのパヴァーヌ  完結

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 由紀は学校の授業で教師に答えるように、思わず手を挙げた。
「はい! 知ってます。世界史の教科書の中国の歴史の最初ほうに載ってました。その時期なら私一生懸命勉強してました。殷は考古学的に本当にあったと確認されている中国最古の王朝です」
 妲己は微笑む。
「そのとおりだ。私はその殷の国の者だ。ただし、殷という名は、殷を滅ぼした周が付けた蔑称だ。正確には私の国は『商』と呼ばれていた。商が滅ぼされて後、商の民は中国全土に散らばり、店を持たず、さすらいながら、品物の売買をして生計を立てた。それゆえ、こういう仕事に従事する者を商人と呼ぶようになったのだ」
 由紀は歴史の授業を受けているかのように、妲己の言葉に感心しながら耳を傾けていた。
「私は商王朝の最後の帝、歴史書には殷の紂王となっている方に仕えていた。紂王は正しくは帝辛と呼ばれていた。帝辛が暴虐の限りを尽くしたように歴史書に書かれているのは、征服王朝が前王朝を貶める常套手段だ。その上私、妲己まで帝辛の后と書かれ、暴虐な行いは私の我が儘によるものとされている。私は商の媚を束ねる長であり、戦のときは呪術戦の軍師でもあったが、断じて帝辛の后ではない。勝った者は好き放題に書き残すものだ。さらには、時代が下って、伝記小説、講談の類では私は九尾の狐の化身とされている」
 妲己は苦笑いをしながら、続けた。
「商は呪術国家だった。全ての政治、軍事は全て、卜占と呪術によって行われた。卜占とは、占いだ。お前の教科書にも載っていただろうが、甲骨文字というやつだ。骨を焼いてそのひびで占い、その結果の出来事を文字で記していたのだ。呪術に関しては、商よりもさらに古い時代のものがいくつも伝承され使われていた。商は過去にあったとほうも無く古い時代の呪術国家の遺跡を発見しその遺物からさらに強力な呪術を見いだした。それが夢魔だ。ここまでで、お前の理解できないことはあるか? もっと詳しく説明したほうがいいか?」
 由紀は微笑む。
「師父って学校の先生みたいですね。ちゃんと理解しているか確認してくれたので……。すいません。つまんないこと言っちゃって。今までのお話については大丈夫です」
 妲己はさらに続ける。
「夢魔とは夢を支配する呪者だ。夢魔は人の夢に入り込み、人に病を与えることも出来るし、癒すことも出来る。その人間を発狂させることも殺すこともできる。夢魔はどんな遠隔地からでも、人の夢に入り込むことが出来るのだ。夢魔は同時に多くの人間の夢を支配できる。白日夢、幻覚で大衆を思いのままに操ることもできる。帝辛は最初このような恐ろしい呪者を作るべきでないとのお考えだった。しかし、夢魔を持ってすれば、この世の戦を終結できるのではないかというお考えも持たれた。戦を仕掛けようとする国の王の夢に入り込み、その考えを変えることも出来るし、殺すことも出来るからだ。また侵略してくる敵の大軍の心を支配して、逆に寝返らすことも容易なことなのだ。しかし、夢魔を作った事が逆に戦を呼び、商は滅亡してしまった。帝辛は思慮深い方だったが、こと夢魔に関しては愚かな決断をされてしまったと今は思うのだ……」

 妲己はふと遙かな昔を顧みて、感慨に浸るように、少し間を置いた。由紀はそのすきに疑問に思うこと問うてみる。
「あの、師父。話の途中ですが、お聞きしてよろしいですか?」
 妲己は肯く。
「あの……。夢魔って、この地球の台風とか洪水とか火山活動を管理しているんじゃないんですか?」
 妲己は一瞬、きょとんとした後、くっくっくと笑い出す。
「そうか、そうか。お前はあやつのここ数年の記憶を吸い上げてしまったのだったな。夢魔が天変地異を司っているというのは、あの男の妄想だ。奴は半分狂っているのだ」
 由紀は、ふーん、というような顔をする。
「そうなんですか……。いい人みたいなんですけどね。でも、あの人も夢魔なんじゃないんですか?」
 妲己の口元が忌々しそうに歪む。福井老人のことを嫌っているようだった。
「広い意味ではあいつも夢魔だ。雪乃もそうだった。しかし、この二人はお前や私のような完全な夢魔ではない。我々は、あの男や雪乃のような存在を夢魔乙体と呼んでいた」
 由紀が戸惑いながら尋ねる。
「あの……、それじゃあ、雪乃が私を救うために、命を流し込んでしまったために、時空の歪みが起きたっていうのは? それで天変地異が起きてたくさんの人々が死ぬから、雪乃がそれを押さえるために、死んでこの世界に拡散しなければならなかったってゆうのは……」
 妲己が忌々しそうに言い切る。
「それも奴の妄想だ。そんなことはあり得ない。夢魔に地球の自然現象にかかわれるような力はない。乙体の本来の使命を裏切ったあの男は、悔恨と自己嫌悪のため、そんな妄想を抱かないと己の精神を保つことが出来ないのだ」
 由紀がわっ、と泣き出す。
「ひどい! 福井さんは雪乃を騙したんだ。雪乃を騙して殺したんだ……。雪乃は死ななくてもよかったんだ……」
 妲己は困り切った顔で由紀を慰める。
「由紀、泣くでない。確かにあの男は気のふれたペテン師同様の奴だ。しかし、雪乃に限っては仕方なかったのだ。お前に命を流し込んだために、雪乃は遠からず夢魔乙体として崩壊するはずだった。文字通り崩壊だ。肉体が崩壊する。それは無惨な死に様だ。それ故、乙体には崩壊前に安楽死できる自爆装置のような仕組みが組み込まれている。あやつは雪乃に安らかな死を与えてやったのだ」
 雪乃はテーブルに突っ伏して泣きじゃくる。
「わかりません。そんなの……。乙体とか崩壊とかそんなことわかりません! 雪乃はそんな夢魔乙体とかいうものになりたかったわけじゃないのに、あの人が夢魔の種とかいうもので、無理矢理、そんな者にしたんです。ひどい! ひどいです! あんまりです……」

 妲己は由紀を気遣い、幼い子を諭すような、ゆったりとした口調で語りかけた。
「由紀、確かにあやつのしたことは許されることではない。まだ自らの意志を持たぬ赤ん坊に、無理矢理、夢魔の種を投与するとは言語道断。我が商の国では十三歳以上の者で自らの意志で志願したものだけを対象にした。結果、雪乃は夢魔乙体にされた。そして、由紀お前は夢魔甲体にされたのだ。しかし、雪乃は乙体としてはごく正常に反応し、夢魔の前駆体である甲体が夢魔に変化するための触媒となって果てた。悲しいだろうが、お前はこの事を知っておかねばならぬ。自らの意志で夢魔になったのではないが、その責任がある。夢魔には確かに地球を破壊するような力はない。しかし、全人類を滅ぼしてしまえるだけの力はある」
 由紀がテーブルから顔を上げて、その言葉に耳を傾ける。妲己は白い絹の手巾を取りだし由紀に手渡す。
「お前が望むなら、人類の精神を操ることが出来るのだ。お前が全人類の夢の中に入り込み、「自殺せよ!」と命令するなら、次の朝、世界は滅亡するだろう。お前はこの夢魔というものの恐ろしさをしっかりと認識しなければなならい。だから、私の話をよく聞いてくれ」
 由紀は手巾で涙を拭いながら妲己を見つめる。