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亡き王女のためのパヴァーヌ  完結

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 耐えきれず、母は思わず涙をこぼす。涙が由紀の頬に落ちる。母は由紀の頬を拭こうと、キャビネットの上のティッシュの箱に手を伸ばすが、箱は空だ。棚の上に置いてある新しい箱を取ろうと、横を向く。
 と、母の手に暖かいものが触れた。由紀が、母の手を握った。
「お母さん……」
 由紀が薄開きの目で母を見つめていた。

 由紀は目覚めた。日本選手権までは、あと一週間ほどしかなかった。由紀の母もコーチの原田も、出場を取り消してはいなかった。二人とも、取り消すことが出来なかったのだ。取り消すことが由紀の死を宣告するような、心の痛みがあった。だから、当日、棄権にしようと思っていた。
 三ヶ月も意識不明で寝ていたにも関わらず、筋肉は萎えるどころか、前にもまして力強く動いた。しかし、日本選手権に出ることを、原田はもう許可してくれなかった。三ヶ月も寝たきりでいた者が出場できるわけが無いと取り合ってくれなかったのだ。
 由紀は原田が小学生相手に教えているスケート教室のリンクを訪ねた。
「先生、お願いです。ほんとに滑れます。飛べます。だからテストして下さい」
 原田は目を合わそうとしなかった。原田に無視されて由紀はあの世界選手権優勝の前年、雪乃に初めて会った時のジャパンオープンで着ていた青色のコスチュームに着替えて、スケート靴を履き、子供達の練習が終わるのをじっと待った。
 練習を終えた小学生の女児達が、由紀を見つけ、歓声を上げて握手を求め、サインをねだってきた。原田はなんとも言えぬ表情でそれを見つめていた。
 子供達が帰ったあと、由紀は持ってきていたペパーミント色のCDデッキで音楽を流し、氷の上に降りて滑り出した。
 曲はモーツアルトの『きらきら星』、振り付けは簡単な技のみで構成されていた。
 原田がそれを見て、うっ! と呻く。
「由紀ちゃん! あんた、ずるいよ! それ私が七歳のあんたに作って上げた振り付けじゃない。そんなの、まだ覚えてくれてたの……」
 由紀は次の曲に切り替える。
「もちろん、覚えてましたよ。次のは、小学校五年のとき、ノービスの一位を取ったときのです」

 今度の演技では、二回転半、ダブルアクセルと二種類の三回転ジャンプが入っていた。
原田は、ぱちぱちと拍手する。
「体が覚えてるんだね。長いこと寝たきりだったのに。でもほんと痩せちゃったね。見てて痛々しいよ。でも、そんなに細くなってしまったのに、あんた今、鳥のように飛び上がったよ」
 原田は涙を拭った。
「私、あんたはもう、こんな苦しい辛い目せずに、なにか楽しいことを一杯して過ごして欲しかったんだ。でも、わかったよ。あんたの楽しいことは、スケートしかないんだって。私、もう怯まないよ。わかったよ……。日本選手権か。由紀ちゃん、白鳥の最後のダンスを舞いにいこう……」