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亡き王女のためのパヴァーヌ  完結

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第二章 赤い星



 話はさらに四年前の冬期オリンピックの時に遡る。シャモニー・モンブランの一つ前の開催地でのことだ。当時、内藤由紀は十六歳。十四歳のときジュニアの世界選手権で、女子初めての四回転ジャンプを飛んで優勝した。さらに日本選手権のシニアでも優勝した。内藤由紀は時代の寵児となった。いくつものテレビコマーシャル、様々なテレビ番組への出演が彼女を待っていた。アマチュアの選手なので、それを管理し、報酬を受け取るのは全日本スケート協会だった。その懐は十分潤った。さしずめ、売れっ子のアイドルを抱える芸能プロダクションというふうに。
 マスコミは彼女を追い回し、内藤の出場するスケートの競技大会は、どんなマイナーなものでさえ、チケットはすぐ売り切れ、入れないファンは内藤を一目見ようと押しかけ会場入り口はパニック状態になり、けが人が出たりもした。もはや、スポーツ選手ではなく、アイドル歌手、女優の人気の域に達していた。
 本来、シャイな性格である内藤はその異常な加熱ぶりにすっかり、精神的に参ってしまった。そのうえ、成長期のため身長が伸び体重が増え、いまで楽に飛べたジャンプが飛べなくなっていた。足の指を疲労骨折もしていた。そのため翌年のシーズンはシニアの大会を連戦したにも関わらず、成績は低迷した。オリンピック選考会を兼ねた年末の日本選手権では八位という有様だった。
 内藤は内心ほっとした。これで、もう馬鹿騒ぎは終わりだと。スケートなんかもうやりたくないと思っていた。そっとしておいて欲しいのだ。
しかし、全日本選手権の会場で発表された、オリンピック出場枠に自分が入っていることに唖然とした。当惑し続ける内藤をよそに、話はどんどん進んで行った。内藤は協会に出場辞退を申し出た。しかし、協会はそれを許さなかった。当時、フィギュスケート人気は異常なほどだった。スケートなど一度も見たことのない人でさえ、テレビに釘付けとなっている。内藤はおいしいスポンサーを引き連れて来てくれる金の卵だった。
 そして、内藤は冬期オリンピックへと連れて行かれ、大敗を帰した。帰国した内藤は時代の寵児から、一転、非国民扱いされ、マスコミに叩かれ続けた。

篠原雪乃は当時十六才。高校一年だった。雪乃は十一才のときから児童擁護施設に入っていた。父は居らず、母は雪乃の育児を放棄した。
 雪乃は施設の食堂で遅い夕食を摂っていた。高校の図書室で明日の教科の予習をしたのち帰ってきたのだ。午後八時くらいだった。
 雪乃は小学校の頃から成績はオール5という子だった。今は公立の有名進学校に通っていた。学内での成績も常に十番以内に入っていた。東大への合格率の高い学校だったので、雪乃も将来東大へ進学するだろうと目されていた。施設では義務教育終了時に退所しなければならない。しかし、例外として、高校に進学すれば、十八までは居れるのだった。
 雪乃は一人食事を終えると、食器を洗い、洗いかごに伏せて、食卓でお茶を飲んでいた。食堂の向こうの居間では、テレビを見て騒いでいた。中学三年の女子が三人。
「はは、転んだ。転んだ。おもしれぇなぁ!」
 雪乃はテレビを見ない。いつも本を読む。本は学校の図書室に腐るほどある。その上無料だ。本は騒がしくない。テレビの中の派手な色や形、直接的に見える造形物よりも、活字の向こうにある静かな空間が好きだった。本の中の静寂が、自分の脳の中に進入してきて、自分を波立たせ、いつしか稲妻を発し嵐となり吹き荒れる体験が好きだった。それでいて、本を閉じれば、突然に戻る静寂。その静寂も好きだった。

 雪乃はさっきから、瞼を押さえたり、天井を眺め、訝しんでいた。目が変になっている。目の前の空中に赤い星が見えるのだ。なにか目の病気なのだろうかとも思った。その星はある方向にだけ見えた。その方向に目をやると、居間のテレビのほうだった。いましも、テレビの画面に一人の女の子の顔がアップで映っていた。
 ズンー!と、何かが胸の奥で鼓動した。また、ズーン! と胸が振動する。雪乃は居間にずかすかと入って行く。テレビの真ん前で、画面に映る自分と同じ歳くらいの女の子の顔を、まじましと見つめる。また、ズーン! と胸が鳴った。今度の振動はとても大きく。そして心地よかった。雪乃は思わず口を開いた。
「この子、誰?」
 三人はきょとんとする。雪乃は普段、誰ともしゃべらない。いつも本を読み続けて、どんな会話にも加わらない。その雪乃が自分達に問いかけたので、戸惑ってしまったのだ。
 このグループのリーダー格の香織が口をひらいた。
「お前、テレビなんか見ないから知らなかったんだろうな。こいつはな、内藤由紀と言って、フィギュアスケートの選手なんだ。今まで、売れっ子のアイドル歌手並の人気だったんだけど、今日、氷の上でころころ、転びやがって、化けの皮はげてやんの。お金持ちのお嬢様で、フィギュアスケートみたいな金かかるお稽古事やらせてもらって、自分はアイドルスターだと思いこんでいた、とんでもない勘違い女だよ」
 画面では内藤が落胆した表情で、記者会見に応じていた。顔を伏せ、目に涙を浮かべていた。雪乃は唇をかみしめた。

 香織が新聞を広げる。
「ほら、ここ見ろ。内藤の馬鹿面が載ってるだろ。キモイ顔しやがって」
 香織が筆ペンを取り出し、内藤の写真に悪戯書きしようとした。
「やめろ!」
 雪乃が香織の体を押し倒し、新聞を奪い取ると、二階の自分の部屋へと階段
を駆け上がっていった。
「あのヤロー! ただじゃおかねぇ!」
 怒り狂ったかおりが立ち上がり、雪乃を追おうとする。それを、おどおどした表情で亜紀子が押しとどめる。
「香織。やめなよぉ。ああいう奴が一番危ないんだよ。私、前の施設であいつみたいな奴がどんな事したか目の前で見たんだ。そいつも誰とも口きかず大人しい奴だった。そいつを徹底的にいじめる奴がいたんだよ。ご飯のときね、わざとそいつの座ってた椅子蹴ったんだ。そいつの持ってたお椀から味噌汁がほとんどこぼれたんだ。いじめた奴はげらげら笑った。みんなも笑った。すると、味噌汁こぼされた奴が何の表情も変えずに、いじめた奴の目を箸で突き刺したんだ。怖かったよぉ。箸が脳にまで突き刺さってたんだ。だから、雪乃のことはほっておこう。あいつは空気だから、無視しときゃいいんだ」

 香織は立ち上がった手前、収まりが着かず、壁をバン! と叩いた。今度は明菜が卑屈そうな笑みを浮かべて語り出す。
「香織。いいこと教えてやろうか。私、前の施設であいつと一緒だったから知ってんだ。あいつ、小学校のとき、父親が死んだんだ。それで母親が別の男と再婚したんだけど、こいつがとんでもない変態野郎でさ。あいつ自分の義理の父親に十一才のときレイプされてやんの。それであいつ自殺しようとしたんだけど、死に損なって警察に保護されて、施設に入ったんだ。義理の親父は強姦で逮捕され、母親は虐待で逮捕され。それから、母親は一度も施設に尋ねてくることなかったんだ。おもしれぇだろー」
 明菜は隠微な笑いに唇をゆがめた。
「うるさい!」
 香織が金切り声を上げて、いきなり明菜の頬を張り飛ばした。
「なんだよぉ。お前を喜ばしてやろうと思って言ったのに……・」