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亡き王女のためのパヴァーヌ  完結

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第六章 蛍



 雪乃は一晩、病室の由紀に付き添っていた。由紀は昏々と眠っている。次の日の朝、由紀の母が駆けつけてきた。
「雪乃ちゃん。ごめんなさいね。由紀、どんな具合?」
「今、薬で眠っています。お医者さんは、だいじょうぶと言うんですけど、詳しいこと、私には教えてくれないんです」
 由紀の母は雪乃の手を握る。
「雪乃ちゃん。ほんとに、ありがとう。一晩、面倒みてくれたんでしょ。帰って、休んでくださいね。明日はお仕事でしょ」
 雪乃はその言葉に従い、帰り支度を初めながら、由紀の母に声をかける。
「今晩、また来ます」
「ほんとなら、お疲れでしょうから、どうぞお気は使わずにって、言わなきゃならないんですけどね。由紀、私より雪乃ちゃんが側に居てくれたほうが、安心するようだから、どうぞ、よろしくお願いします」
 雪乃は、そんなことない、というふうに首を横に振る。母は雪乃に深々と頭を下げた。

 一週間後の土曜日、雪乃は由紀を見舞う。検査の結果、急性のすい臓炎で、しばらく入院して点滴治療を行うと聞いた。由紀は元気そうだった。
「退屈だ! 退屈だ!」
と、相変わらず、雪乃に甘えていた。
 帰り際、病院を出ようとして、雪乃は由紀の母に呼び止められた。
「実は、由紀、すい臓ガンなんです。若年では非常にまれなんですって。進行が早くて、転移していて、もう手術も出来ないんですよ。抗癌剤の点滴しか今はできなくて、それも、効果があるかどうかは、わからないと言われました」
 雪乃は、頭をがーん! と殴られたような気がした。
「雪乃ちゃん。あなたには、知っていてもらいたくて……。でも、由紀には黙っていてくださいね。本人は知りません。あの子、弱虫の恐がりだから、とても知らせることは出来ません……」

 三週間後、由紀の抗ガン剤治療は何の効果も示さず、取りやめられた。雪乃は、由紀は三ヶ月以内の余命と知らされた。あとは、麻薬の力で、死ぬまでの間、痛みを取り除いてゆく以外、何の手当もうけることが出来なくなった。由紀の前に出るのが、辛かった。その二日後、由紀を見舞った。由紀はベッドの上半身部を立て、背もたれにして、旅行のガイドブックを見ていた。雪乃を見ると、優しげに微笑んだ。雪乃の心は悲しさに満ちていた。しかし、それを由紀に感づかれてはならぬと、無理に明るさを演出した。普段、見ることのないお笑い番組を見て、芸人達のギャグを仕入れて来て、由紀の前で言ってみせた。
 由紀の顔に満面の笑みが広がった。
「雪乃! ありがとう。私を元気づけようとしてくれて。でも、私、自分の命が後三ヶ月もないって知ってるよ。だから、無理しないで。私、いつものクールな雪乃が好きなんだから」
 雪乃は、はっ、として次の言葉が出ない。
「私ね。お母さんと先生に、頼んだの。『どうしてもやりたかった、心残りなことがありますから、本当のこと教えてください。そうでないと、死ぬ前に先生とお母さんを恨みます』って。で、教えてくれたよ」
 しばらく二人の間に沈黙が続いた。それから、由紀がガイドブックを広げる。
「雪乃! 私、どうしても、京都の嵯峨野に行きたかったんだ。先生とお母さんの許可も取ったよ。一緒に行ってくれる? お願い……」
 雪乃の眼から、止めどもなく涙が流れ続ける。
「うん。行こう。京都に行こう……」
 由紀がベッドのふとんの上に置いていた自分のハンカチを取り、雪乃の涙を拭いてやる。
「いつも、私のほうが泣き虫で、雪乃によく、こうやって拭いてもらってたのに」

 それから、数日して、二人は新幹線で京都に向かっていた。二つ続きの席の窓側に由紀が座った。雪乃が由紀のバッグを棚から下ろしてやる。由紀は、コミック本を三冊取り出し、座席の前の収納式の小さなテーブルに置いた。
「ごめんね。これ読みかけだったんだ」
 雪乃は由紀には逆らわなかった。由紀と話し込んでしまうと、また泣き出してしまいそうな自分を感じており、コミック本に救われたように思えた。
「読んだら私にも貸して」
「いいよ、もう三巻目なんだ。はい、第一巻」
 雪乃は表紙を眺める。
「『火中(ほなか)にたちて』か。この女の人の服装、飛鳥時代みたい」
「もっと、昔の時代みたいだよ。第一巻の後書きに、詳しく載ってる」
 雪乃は後書きを読む。
「ふーん。『古事記』、『日本書紀』に出てくる、弟橘媛(おとたちばなのひめ)が主人公か。この題名、『さねさし 相武(さがむ)の小野に 燃ゆる火の 火中(ほなか)に立ちて 問ひし君はも』っていう弟橘媛の歌から来てるのか」
 弟橘媛は、第十二代景行天皇の皇子、日本武尊(やまとたけるのみこと)の后だった。
「この人、夫のタケルと船で旅してて、嵐にあって、海の神をしずめる為に、身を投げて死んでしまうんだよ……。あ、ごめん。雪乃、まだ読んでなかったのに」
「いいよ。前に『古事記』の現代語訳読んで、その話知ってるから。それより、『古事記』、『日本書紀』にはない、子供時代とか、タケルとの出会いとか、結婚の話があって、おもしろそうだね」  
 由紀が本を、ぱたっ、と閉じる。
「ねぇ、雪乃。この人、どんな気持ちで死んでいったんだろうね?」
 雪乃は、最近「死」という言葉に、過敏になっているのか、すぐに言葉が浮かんで来ず黙ったままだ。由紀は続ける。
「すごく幸せだったと思うんだ。死ぬ数日前に、相模の野原で敵の騙し討ちにあって、火攻めにされたとき、タケルは弟橘を助けようと、必死に戦ったんだ。タケルには后が他にもいっぱい居たけど、その時、タケルが愛しているのは自分だけなんだと確信できたんだよ。きっと。そう思わない?」

 雪乃は無言だ。由紀は憑かれたように続ける。
「悲しむタケルを置いて、海に沈んでいきながら、きっと思ったんだ。『これで、タケルはずっと私のもの』、『私はタケルの永遠の女になった』って。弟橘はタケルの心に強烈なマーキングをしていったんだ」
「マーキング?」
 雪乃が訝しむ。
「犬や猫が部屋や家や自分の近所に、おしっこするじゃない。あれ、マーキングっていうよね。ここは自分のテリトリーだって、自分の匂いをつけてるのよ」

 漫画を読み、漫画の内容を熱く語っているうち、いつしか列車は京都駅近くまで来ていた。あとしばらくで、京都駅に着くという、車内放送があった。二人は荷物を下ろしたり、車中で飲食した後片付けを始めた。
 由紀の体調を考え、ゆっくり、昼前に出発していたので、京都駅に着いたのは夕方だった。六月の中旬、すでに梅雨に入っており、その日も一日中雨が降り続いていた。二人はそのまま、京都駅前のホテルにチェックインする。明日、タクシーを使って嵯峨野に行くつもりだった。

 次の日も、朝から雨はしとしとと降っていた。二人は昨夜泊まったホテルの前から、タクシーで嵯峨野の祇王寺に向かった。そこは竹林に囲まれた、小さな尼寺だった。庭の苔の緑が美しかった。梅雨の平日のためか、観光客はさほど多くなく、中年の夫婦連れの関西弁の会話が耳に届いた。
「お前なぁ、ここは秋の紅葉の頃来たら、そら、きれいんやぞ! 苔の上に真っ赤な楓が散らばっててなぁ」
「あんた、それ誰と来たん?」