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亡き王女のためのパヴァーヌ  完結

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「ちゃうがな、まだ若い頃や、お前と一緒になる前、会社の慰安旅行で来たんやがな」
「ほんまかいな。まぁ、ええわ。ほな、秋にも連れてきてや!」
 由紀はそれを聞きながら、緑の葉を茂らせている楓の木を見つめていた。そして、努めて明るい声で言った。
「紅葉か。私、ちょっと、タイミング、悪かったみたい」
 しかし、由紀はもうここの紅葉を見ることはない。雪乃は辛かった。雪乃のそんな気持ちを察したのか、由紀はそれから、ことさら明るく振る舞った。

 滝口寺は、祇王寺のすぐ近くにあった。ほんとうに、ひっそりとした寺だった。元は三宝寺という名だったが、明治の小説家、高山樗牛の小説「滝口入道」により滝口の武士斉藤時頼、横笛の悲恋の地、滝口寺として再興されている。本堂に並んでいる時頼、横笛の像に由紀はすっかり感激していた。
 それから、途中食事をとり、二尊院、化野念仏寺など周辺の寺院や土産物屋などを回った。
「雪乃! ありがとう。満足したよ。そろそろ、今日のお宿のほうに行こう」
 タクシーで嵯峨野から、周山街道の曲がりくねった道を上り、高雄の旅館へと向かう。いつしか、雨は上がっていた。晴れ間はなく、曇り空は続いていた。
「雪乃! 私、晴れ女だって言ったでしょ。どう、晴れ女の力を見たか!」
「はい、おそれいりました」
 二人は笑う。しかし、雪乃は、由紀の無理をしているような明るさが辛かった。
 
 清滝川沿いの旅館に到着する。梅雨の平日のためか、旅館の駐車場には止まっているのは普通車が三台だけだった。タクシーを降り、旅館の玄関を入ると、五十くらいの女将が迎えてくれた。
「おいでやす。お待ちしておりました」
 女将はあまりスポーツ、とくにフィギュアスケートなど見ない人なのか、由紀が有名人とも気付いていなかったのが、ありがたかった。予約も、雪乃の名でとっていたので、宿泊名簿には、篠原雪乃、篠原由紀と記入した。女将は年子くらいの姉妹と思ったようだ。
 由紀がガイドブックで調べていたのだが、ここは女性のみ、好みの浴衣を選べるサービスがあった、女将が色とりどりの浴衣と帯を見せてくれた。雪乃は白地に青い桔梗の花柄を選ぶ、由紀はクリーム色に赤やピンクの牡丹の花柄を選ぶ。
 その日は団体のキャンセルがあったとかで、旅館内はすいていた。この二人以外には六十代の男性四名の客が居たきりなので、女性用露天風呂は貸し切りだった。雨が上がり、ひやっとした気候だったが、川の清流沿いの露天風呂は暖かく心地よかった。女風呂のため、必要以上によしず張りの目隠しがあり、眺望はさほどよく無かったが、突き出した楓の木が、鮮やかな緑色を見せてくれていた。

 湯の中で由紀は必要以上にはしゃいで見せた。ふざけて、掌を組あわせ、その隙間から水鉄砲のように湯を飛ばしてくる。
「もう、やめろ! この子供!」
「私、いつも原田コーチに、子供! って言われてるよ……。原田先生とも、もう練習することもないんだなぁ……」
 由紀はそんな自分の感傷を恥じたのか、立ち上がり、目隠しのすだれを思い切りよく持ち上げる。
「ほら、川がすごく、きれいだよ」
 透き通った清流。黒い岩肌に楓の葉の緑が映えていた。
 別に、一緒に風呂に入るのは、これが最初ではないのだが、雪乃はいつも、由紀のアスリートの体に感嘆する。無駄な肉の一つもない体、背筋は盛り上がり、腹筋は割れている。このかわいらしい顔からは想像のつかない、アンバランスを感じてしまう。  
「由紀! さっき、女将さんから聞いたんだけどね。この旅館、川床で食事が出きるんだって。本当は予約制らしいんだけど、今日はがらがらなんで、使ってもいいって」
 高雄の川床は流れの直ぐ真上にではなく、清滝川に突き出すように、一段高い位置に設けられていて屋根もついている。 
「それとね。今の季節は蛍が飛ぶんだって。川床の電気を消して蛍見ていいらいしいよ」
 蛍と聞いた由紀が、さらに、はしゃぎまくる。

 ここでは京都市内より三度ほど低い。外にしつらえた川床は、梅雨の雨上がりでは少し涼しすぎる。しかし、湯上がりの火照った体には、気持ちよかった。この夜、川床を利用するのは、この二人だけで、川の音以外に聞こえるものがない静けさだった。中央の座卓には既に料理が並べられていた。色とりどりの趣向をこらした京料理。二人はコーラで乾杯する。
「おいしーい! あ、蛍! 蛍だよ。雪乃!」
 河床の横を蛍の光が一つ漂ってゆく。

食事を終えて、二人は川床の灯りを消す。蛍は二人の居る川床の中まで入っ
てきて、青く明滅する。はしゃぎまくっていた由紀が次第に静かになる。
 しばらく沈黙を守っていた由紀が、ぽつりと口を開く。
「蛍って、人の魂みたいだね。私、蛍になって、雪乃の所に行くよ。きっと……」
 雪乃は言葉を失い、返答出来ずにいた。
「雪乃! 私ほんとは、怖いんだ。私、死ぬのが怖い!」
 由紀は雪乃にすがりつき泣きじゃくっった。暗闇の中、雪乃はその肩を抱きしめ、優しく髪を撫でてやった。
雪乃は夢魔の老人との約束を思い起こす。老人は由紀が年老いて死ぬとき、夢魔を継ぐか、夢魔の死に方を教えてくれると言った。何も悩むことはない。それを聞き出せばよいだけなのだと思った。
「由紀! 怖くなんかないよ。一緒だよ。私も一緒だから、怖くないよ」 
 雪乃は優しく語りかけ続けた。
「もし、人が死んで、蛍になるなら……。二人で一緒に飛ぼう」
 由紀がはっ! として、雪乃の体から離れる。暗くて、由紀の表情はわからなかい。
「嘘だよ。今の、嘘! 私、怖くなんかない。芝居だよ。私、怖くなんかないから……。だから、雪乃! 私と死ぬなんて、考えないで……」
 由紀は身を伏せて、号泣し始めた。雪乃がその肩に優しく触れると、由紀はバネがはじけたようにして身を起こした。
「雪乃。私、死ぬの怖くないよ。雪乃が私のお願いを聞いてくれるなら、ちっとも怖くないよ。だから、私の骨を持ってて。何処の骨でもいい。指でも何処でも。小さな箱に入れて、雪乃部屋の机の引き出しにでも、クローゼットの隅にでも、何処にでも置いててもらえたら、私、幸せだから……。ちっとも、怖くないよ……」
 いつしか、空が晴れていた。下弦の月が山の端より現れ、谷を白く照らしている。月の光が互いの顔に映える。
「雪乃。ありがとう。私、幸せだった。あなたに会えて、あなたと一緒に居れて、ほんとに生きててよかったと思う。でも、私、あなたに対して、秘密があったの。こんなこと、雪乃に知られたら、嫌われてしまうから、絶対に言えないと思ってた。一生、心の中にしまって置こうと思ってた。でもね、人が死んで蛍になるなら、重たすぎて持って行けない秘密なんだ。だから、今、言わせて。死んでゆく者の言葉だから、許して」

 月明かりの中、由紀の眼が涙に潤み、きらきらと輝いて見えた。
 雪乃は思った。
『この子は、初めてあったときも、眼に涙をため、唇をかみしめて、私に訴えかけようとしていた』 
 由紀の唇が震えていた。こんなこと言うのは、自分の死と同じくらい怖いと思った。雪乃が首を傾げ、優しく声をかけた。
「どうしたの? 由紀」