ひとくいのかがみ
神田川も何か理不尽さを感じたらしい。一応、主従に向かって指差ししながら指摘をしてみる。これを無駄な抵抗と言う。玲は神田川のせめての攻撃にも笑みを崩す事なく、更に眉を思わせぶりに上に引き上げた。何か悪い事でも企んでいるかのような表情だった。それを見て神田川はため息をつく。絶対、探偵は何か悪いことでも考えているのだろう。神田川は、何故玲は探偵を職業として選ぶのではなく、素直に秘密結社の首領等の悪役でもやっていてくれないのだろうと天を恨んだに違いない。
「そうですか。仕方ないですねぇ。巽、警部さんに見せて差し上げろ」
玲は目を細め、わざとらしく扇で口元を隠して嘆息しながら巽に指示を与える。扇で隠している唇の端が幾分気持ち吊り上っていた。仕方ないと言うより、何か悪い事を思いついたような表情である。哀れなりけり、神田川。そもそも、はじめから相談相手の選択が間違ってような気がしないでもない。
「畏まりました、仰せままに」
巽は玲の言葉に軽く一礼すると都合良く机の上に置かれていた黒皮手袋をはめて神田川の持っていたいた鏡を取り上げ、おもむろに鏡の中に手を突っ込んだ。目を点にさせた神田川の目の前で巽の腕は肘の辺りまで鏡の中に飲み込まれている。そして、何やら巽は中で掴んだらしく、表情も変えずにその何かを引き上げた。
ずるっと鏡から引き上げられたのは、両腕の無い女の上半身。下半身は蛇のように長くなっているらしく、未だに鏡の中。巽は顔色ひとつ変えずに女の首の辺りを掴んで引き上げていた。ぬらぬらと濡れるように紅い唇に、ぬばたまような黒髪。女は紅い唇から、声にならない叫び声をあげている。女は巽の手から逃れようと躯をしきりに捩るが、巽の手は万力のようにびくともしない。こんな優男のどこからそんな力が出るのだろうか。謎である。因みに、神田川は女が鏡から現れた途端うわっと情けない悲鳴をあげると、すぐさま玲の背後に隠れてしまう。小心者の名に恥じない行動である。おかしな目には、玲と知り合ってから良く会うが未だに慣れない神田川であった。
「如何致しましょうか、玲様」
作品名:ひとくいのかがみ 作家名:ツカノアラシ@万恒河沙