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その腕に口づけを

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 クリスマスの時は世間一般のイベントだというのもありそこそこ集客が出来たが、今度は「冬の景色」という漠然としたテーマなだけに、どれだけの数が集められるのか予想がつかなかった。一人でも多く鑑賞して貰いたいという気持ちだけが先走ってしまいそうで、思わず苦笑してしまう。
(明日から本番、か)
 この企画が成功するのか。
 最後まで貫き通したい。だから、日々精進して勉強しないと。
 透は壁に掛けてある銀色の雪の結晶を指先でそっと触ると、そのまま掌で覆っていく。この中で一番最初に展示したのは、皓樹の作品でもあるこの銀細工だ。クリスマスの時も、そして今回も。皓樹の優しさに甘えていると自覚しながら、もう暫くは頼らせて欲しいと透は皓樹に伝えられない我侭を唇に上らせた。



 日曜日の夕方近くになると鑑賞している客の姿も減っていた。展示の説明がひと段落ついてほっと一息ついたのもつかの間、見慣れた二人組の姿に胸がざわりと騒ぎ出す。
 向こうはまだこちらに気づいていないのか楽しそうに談笑しており、以前よりもずっと二人の関係は砕けているんだと容易に想像が出来た。
「来てくれてありがとう。また陸也君の可愛い姿が見れて嬉しいよ」
「おい、勝手に馴れ馴れしく名前呼ぶなよ。戸惑っているだろうが」
 大学時代からの親友でもあり、長年片思いをし続けている相手、椿瑛一が半ば呆れた声を出す。今回は以前と違い、かっちりとしたスーツではなくラフなジャケットにデザインシャツ、そして髪もセットされていなくそのまま下ろしていたので、雰囲気が少し柔らかく感じた。
(いや、多分それだけじゃないんだ)
 奥二重の奥にある瞳は相変わらず精悍さを滲ませているし、しっかりとした鼻梁や眉のディテイルは、整っているだけに見る者によって圧倒されるかもしれない。
 けれど、今の瑛一からは威圧さが微塵も感じられなかった。それは、友人と接しているかとういのを差し引いても有り余るものがある。
「しょうがないよ。興味を持った子には惜しみなくアピールしておくのは、男としての本能でしょう」
 実際に杜陸也の容姿は整っていて、黒い目はくるりと大きく愛嬌的だった。豆柴を髣髴させる様な眼差しに、透はくすぐったさを覚える。
 百七十ちょっとの透よりも十センチ程低く、自然と見下ろす形になってしまう。
「これって、企画か何かなんでしょうか」
 興味をしめしてくる。純粋な眼差しが眩しく、透の心が微かに震えた。こんな風にまっすぐな目を向けられるのは、これで二度目だ。
「そうだね、シリーズ化は一応狙ってるかな。同じ作家をクローズアップするのもいいけど、それだったらどの美術館でもやってるよね。だから、ちょっと一風変わった催し物をしてみたいって思って。提案者は僕なんだけど、苦労した分だけ手ごたえを感じた時は嬉しかったかな」
 透は真ん中に展示してある雪の結晶を指す。
「あれは発泡スチロールで出来てるんだけど、完成させるのに二ヶ月かかってるんだよ。製作者は趣味で彫刻や陶芸をやっていてね、誰に見せる気もなかったのを無理やり頼み込んだんだ」
「菱沢さんが、ですか?」
「もちろん。ここにある全部は無理だったけど、それでも出来るだけ足を運んで、製作者本人に承諾を貰いにいったからね。学芸員だからというより、一種の芸術馬鹿なのかもって我ながら呆れる時があるよ」
 実際に、この企画自体無謀だと思う時がある。
 それでも、こうやって開催された時に得る充実感や、訪れてくれた来客者の嬉しそうな顔を見ると、次も頑張ろうと前向きになれる。まだ二回。これから、どこまでリピーターを増やせるかは分からないが、企画やこの美術館が好きだと思ってくれる者が一人でも多くなってくれる事を願う。
「ねえ、よかったら一緒に晩御飯でもどうかな。今日は定時で終われる筈だし」
 もう少し、この子に触れてみたい、瑛一が心を許した相手を知りたいという欲求が生まれ、唐突すぎると思いつつも透は二人を食事に誘った。
「椿とも久しぶりに飲みたいしね。いいかな」
「ぼくは構わないですけど、お酒はちょっと…」
「じゃあ、ノンアルコールでもいいよ。陸也君と一緒だったら、どこでも構わないし」
「菱沢、お前な……」
 さっさと話を進めていく透に、椿はいい加減にしろと割り込んでくる。
「いい加減、仕事に戻れ。…また迎えにきてやるから」
「さすが椿。優しい友を持って幸せだね。じゃあ、陸也くん。また後でね」
 案内図を見ている老夫婦に気づいた透は、軽く手を挙げ瑛一達に挨拶を済ませた後、笑顔を浮かべて夫婦に話しかけた。何度か会話をして顔馴染みになった二人は、透に気づくと暖かい笑みを返してくれる。
「こんにちは、菱沢さん。今日から英漢字の展示が始まると聞いていてね」
 定年を迎えてからは夫婦で過ごす事がずっと多くなり、よく二人で外出をしていると以前話していたのを思い出す。仲の良さが相変わらず微笑ましくて、透の口元が綻ぶ。
「主人たら、年甲斐もなく自分も書くとか言ってるのよ」
「おいおい、年は関係ないんじゃないのか」
 呆れている妻に怒るわけでもなく、ただ微苦笑しながら受け流す相手に、透は二人の絆の強さを知る。
「そうですよ。何事もチャレンジする気持ちが大切ですしね。英漢字でしたら、二階の右奥の部屋になります。今から案内しますので」
 頭を仕事モードに切り替え、業務に没頭しているうちに気づけば定時近くになっていた。
「それじゃ、お先に失礼します」
「え? 菱沢もう帰るの?」
「ちょっと友人と食事の約束をしてるんです。何か急な仕事でも入ったんですか?」
「いや、そうじゃなくてね。今日ここに彼がくるから、紹介しようと思ってたのよ」
 先約があるならしょうがないと、馨が小さく息をついた。
 どうして紹介するのかが分からないと、透がきょとんとした顔をすれば馨がにっこりと笑う。
「あなたは私にとって弟みたいなものだからね。だから、一度ちゃんと会わせておきたいのよ」
 言外に滲んだ相手の思いやりに、透の胸がじわりと熱くなっていく。馨はサークルの先輩である前に、姉である恵理子の親友でもあった。けれど姉を事故で亡くし、同じ車に乗車していた透は、自分だけ生き残ったのが申し訳なく何度も悔やんだ時期がある。
 そんな時、泣きながら叱ってくれたのが馨だった。
 ……──苦しむなら、生きて苦しみなさい。
 一見冷たい言葉でも、自暴自棄になりそうだった透にとって、それが生に対する執着になった。自分の命を投げてしまえば楽になる。けれど、それは姉を一人で死なせてしまった罪を償うのを放棄するようなものだ。
 男の透にくらべたら、女の馨は華奢な存在でしかない。それでも、あの時病室で泣きながら抱きしめてくれた腕は大きくて、とても温かかった。
「じゃあ、今度違う機会に一緒に食事でも」
 姉の様な存在。彼女を幸せにしてくれるのはどんな男性だろうか。
 透はまた今度と約束し、待ち合わせの場所へ足を向けていった。
 懐かしさと、ほんの僅かな寂寥感が胸の中に生まれるが透はそれをすぐに拭い捨て、そっと目を閉じていった。


  ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

作品名:その腕に口づけを 作家名:サエコ