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その腕に口づけを

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 失恋決定かもしれないと、ざらつく心が完全に消えたわけじゃない。それでも、今は落ちていた気分が平常を取り戻し、気がつけば口元が綻んでいた。
 すっかり冷えたコーヒーで咽を潤す。苦味が増したそれに微かに顔をしかめていると、ジーンズにシャツを羽織っただけというラフな格好の皓樹が、ようやく姿を見せた。
「淹れなおすから、ちょっと待ってて」
「別に、これでも構わないけど」
「俺が飲みたいんだって」
 透が持っていたマグカップを奪うと、そのままキッチンへと向かっていく。
 微かに何かの音楽を口ずさんでいる声に、透は思わず微笑む。気分が上昇したのは自分だけじゃなく、皓樹も同じなのが何となくくすぐったかった。
 割り切っている筈の関係なのに、ふとした柔らかい時間が透は内心気に入っていたりするから、少々始末が悪い。
 皓樹がコーヒーを淹れている間手持ち無沙汰になった透は、テーブルの上に置いてあるシルバー細工に興味を持ち、完成品らしき銀の花を一つ手に取る。直径五センチ程の花は向日葵を象っており、花びら一枚一枚の細部まで精巧に造られていた。
 大小の大きさが違う向日葵が三つ。そして、まだ製作中の向日葵の葉が何枚か置かれている。
「お待たせ。それ、今片付けるから」
「ううん、別にいい。これって次の作品に使うやつだよね。確か、絵につけるって」
「ああ、そうだよ。もう少し造ってもいいんだけど、あんまり多くしてもごちゃごちゃするだけかもしれないから、とりあえずそれだけ」
「絵は完成してたんだっけ?」
 来年に大学を卒業する皓樹は、三月にある卒業展に向けて制作活動の真っ最中だ。これもそのパーツの一つで、シルバー細工と絵画のコラボレーションをテーマにして、四季を彩る絵に季節の花をシルバーで装飾しているらしい。
 向日葵が夏。他には、桜、竜胆、椿。それぞれを生かす絵を描いていたのを思い出しながら問いかければ、皓樹がそっちは完成したと返してきた。
「だから透さんのリクエストに答えられたんだろ。まだ結果聞かせてもらってないんだけど、どうだった?」
「おかげさまで盛況だったよ。多分来年一年は忙しくなりそうかもしれないけど、正直嬉しいかな。もしかしたら、また皓樹にお願いするかもしれないけど構わないかな」
「無言で、強制参加を強いられてる気がするんだけど」
 にこりと口元に笑みを浮かべた透に苦笑しながらも、皓樹は承諾してくれた。クリスマスにトナカイの銀細工が入った絵画を製作して欲しいと頼んだ時も、ちょうど暇が出来たからと皓樹はそれから一ヶ月も経たないうちに渡してくれたのだ。
 ざっくりと描かれたもみの木の下で、二匹のトナカイが戯れている。
 一見冷たい印象を持つ銀の色も、皓樹の手にかかればふわりとした優しい暖かさを醸し出していた。
 時に豪胆ささえ抱く絵に対し、シルバーは精密で繊細で繊細。両極端な印象を一人の男が生み出しているなんて、あの絵を見ただけでは想像できないだろう。
「もし、その企画が連続で開催されるならさ、俺毎回作ってもいいよ」
 皓樹の意外な提案に透は素直に驚く。そこまではさすがに考えていなかっただけに、今度は反対に恐縮してしまう。
「え、本当に? でも春になったら会社勤めになるから、あんまり無理を言うわけには……」
「いいんだって。俺がやりたいんだよ。それに、造る作業は絶対に俺の中でプラスに働くからさ」
 感性を磨く為に。そして、何よりも皓樹自身の創作意欲が刺激されているのだろう。
「それじゃ、頼もうかな」
「ありがと、透さん」
 片手で肩を引き寄せられ前髪に軽くキスを落とす相手に、透はくすくすと笑う。何かを作る作業というのは時に自分の生活時間を削る。それを引き換えにしても構わないくらい、何かを生み出すのが好きなのだ。
 懐かしさと、ほんの僅かな寂寥感が胸の中に生まれるが透はそれをすぐに拭い捨て、そっと目を閉じていった。


  ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 自分の企画したものだけをやっていればいいわけじゃない。学芸員の一日はこれから展示が開催されるものの資料集めや、館内の案内。それに細々とした雑用もこなさないといけなかった。
 透が明日から公開される「冬」をテーマにした展示室の設置を最終確認出来たのは、定時を二時間くらい過ぎてから。先輩にあたる女性学芸員の森本馨が、入り口に設置する展示物紹介のチラシを抱えたまま、感心した声を出した。
「ようやく折れたよね」
 展示室の真ん中に置かれた硝子ケースに視線が向けられる。入っているのは氷の結晶をモチーフにした彫刻だ。
 一メートルはあるそれの素材は発泡スチロールだが、遠くから見ると何で作られているのかすぐには分からないだろう。
「ええ。何度も通ったかいがありましたよ。最初は門前払いでしたからね」
「菱沢の努力の賜物だよ、本当に。でも、趣味でこれを造るってある意味すごいって」
「確かに。扱い辛い素材ですからね。ちょっとした力加減で壊れてしまうかもしれないし。ここに運ぶのも結構苦労しましたよ」
「でも嬉しいんでしょ」
 楽しげな声に、透は口元に小さく笑みを浮かべた。馨の言う通り、苦労した分だけ喜びも一際大きい。
 自分の作品に対しての評価が辛い相手なだけに、この氷のオブジェはあまり納得していないらしく、人前に披露出来るレベルじゃないという製作者をどうにか説得して、企画が終了したらすぐに返却すると約束で借りたものだ。
 透は素直に頷くと、念入りに最終チェックをして展示室の明かりを落とす。
「森本さん、今日は予定があるから早く帰るって言ってませんでした?」
「そのつもりだったんだけど、彼が急に出張入ったからキャンセルになったのよ。まあ、まだ急がなくてもいいんだけどね」
「式は六月でしたよね」
 確か結婚式に関係する用事だった気がする。
「ええ、そうよ。まだ半年弱もあるっていっても、きっとあっという間なのかも」
「確かに。最近月日が経つの早いって感じますから」
 馨が頷きながら左手の薬指にはめている指輪を反対の手で撫でる。無意識の行動なのだろうと思いつつ、透は相手が幸せそうに微笑むのを見つめた。
 面倒見の良い姉御肌で、透も昔から何度も助けて貰っている。男勝りという言葉が馨にぴったりと当てはまり、普段はサバサバして周りから格好良い女性と囁かれているが、今の馨は可愛いと形容するのがぴったりな気がした。
 恋愛は人を磨く。性格だったり、容姿だったり。
 日々の活力さえ与えてくれるものに、透は少しばかり憧憬を覚えた。
「それより、菱沢君こそどうなのよ。この前も可愛い子口説いてたみたいだけど」
「まだ何とも。ちょっとは興味を持ってくれたらいいんですけどね」
「ホント、この容姿に騙された子は不憫よね。惚れっぽいし、すぐに手を出そうとするし。一応職場だって事覚えておくんだよ」
 馨には透の性癖をばらしてある……というよりも、昔から知っているといった方がいい。馨は職場の上司である前に、大学時代の先輩でもある。
 一応、と釘を刺してチラシを透に手渡すと部屋を出て行く。その姿を見送った後、そっと息をついた。
「さて、帰るとするか」
作品名:その腕に口づけを 作家名:サエコ