その腕に口づけを
「今日会ったんだ、あいつと。しかも、すごく可愛い男の子連れててさ。……多分、あの子が気に入ってるんだと思う」
「ただの知り合いなだけってのもあるって」
皓樹の言葉に、透は軽く頭を横に振る。
そうであって欲しいと願っている自分も確かにいるけれど、友人が相手に対する接し方や態度に透は嫌な予感を覚えたのだ。年下の同性に見せていた笑みは優しくて、あの表情から読み取れる感情はたった一つだけ。
目を伏せながら細く息をついた後、透はグラスに残っていたアルコールを飲み干した。
「それはそうと、今日はせっかくのクリスマスなんだから、もっと飲もう。鷺沼さんには悪いけど、もう少し頑張ってもらっちゃおう」
「じゃあ、付き合いますか」
「それでこそ皓樹だね」
わざと明るい声を出せば、一杯で酔ったのかと呆れた声を出された。
恋愛は嬉しさと切なさを同時に味わうというけれど、透の場合は切なさだけが募っていくのだろうと内心自嘲しながら、鷺沼にオーダーを入れる。
飲んで笑って。気がつけばそろそろ終電が近い時間になっていた。皓樹といるとついつい時間を忘れてしまうのは、この男が聞き上手だからだろう。それに、透が片思いしている相手を知っている唯一の相手というのもあるかもしれなかった。
表情や態度は明朗で、一見賑やかな輪の中の中心になりそうな人物なのに、意外にも皓樹は輪から一歩引いた所にいるのだ。それでも、自然と人が集まってくるのは人徳としかいいようがない。
「随分飲んでいたけど、明日仕事大丈夫?」
「多分ね。でも、家に帰るの面倒くさいな」
十二時近くになって人の多さはぐっと減ったものの、どこか雑多な感じがするのは、クリスマスのイルミネーションとイベントの色が未だ残っているからだろう。
冷たい風が頬を掠る。
皓樹が両手を擦り合わせているのが目に入り、透は自分がしていたマフラーを外し、そっと皓樹の首元に掛けてやる。夜になると冷えが本格的になってくるので、さすがにこの寒さだと風邪を引いてしまうかもしれない。
「透、さん?」
「これカシミアだから、肌に触れててもあまりチクチクしないんだ。若いからって油断してたら、あっさり寝込むことになるんだからね。ここを暖めるだけで大分違うんだよ」
驚く皓樹に、徹は言い聞かせる。
美容院に行くタイミングを逃しているせいで伸びっぱなしになっている皓樹前髪を、指先で摘んで軽く引っ張れば、双眸の瞳がまっすぐに透を見つめていた。その視線を受け止めた次の瞬間、透の体は皓樹の胸元にすっぽりと抱き込まれていた。
力強い腕の力。耳元で低く囁かれるのは、どこか弱く響いていて。
耳朶を振るわせる声に鼓動が少しだけ早くなっていく。
「優しいね、ほんと」
ここが公衆の面前だというのに、年下の男はさらに抱擁する腕に力を込めて透を掻き抱いた。
「それは君もだよ」
「……そう?」
「うん、こうやって甘えさせてくれているからね」
今日はクリスマスで、周りは幸せな雰囲気を纏った恋人達。その中に一人でいるのは、どことなく寂しくて。だから、皓樹が店に来て声を掛けてくれたのが内心嬉しかったのだ。もちろん、お互い傷の舐めあいだとは十分承知しているけれど、それでも二人で過ごした時間は寂寞感を払拭してくれた。
ここでキスはさすがにまずいだろう。その代わり、透は腕から解放されると皓樹の片手に自分の手を重ね合わせた。
「ここで会えてよかった。なんかさ、今日だけは一人で過ごしたくなかったんだ」
「透さん、それは俺も一緒だよ」
人が恋しくなるイベントだと痛感する。本当は皓樹も自分の想い人と過ごしたかったに違いない。誰よりも傍にいて欲しいのは、恋焦がれる相手だから。
透が誰に片思いしているのか皓樹が知っている様に、透も皓樹の片思いの相手を知っている。同性というだけでもハードルは高いのに、皓樹の場合それに兄弟という関係が追加されてしまう。透の秘密ばかり教えてもらうのは悪いからと、告げられたのはいつだっただろう。
報われないのに、どうしても感情が理性を凌駕してしまう。
「もっと甘えさせてもらってもいい?」
「いいよ。……久しぶりにしようか」
慰めるというのは、体込みの関係だ。
クリスマスの雰囲気に酔ったらしい。触れ合っている部分からじわりと熱が浸透し、今度は透から腕を伸ばし皓樹の背中にそっと回していった。
何度も通って覚えた道を辿り、着いたのは見慣れたマンションだった。最近流行の家具付きが売りの物件で、学費や家賃の半分は仕送りしてもらっているが、生活費や学部での課題に使う費用は自分で全て賄わなくてはいけない為、こういった形式のマンションは金銭面で随分助かるらしい。
皓樹がエアコンのスイッチをいれ部屋を暖めているうちに、勝手にキッチンを借りてコーヒーを淹れる。
「これからするっていうのに、緊張感ないよね」
「いいんじゃない? それに体を温めるほうが先決だと思うんだけど」
ただのセックスフレンドというには、親しくなりすぎている。
けれど、そこには相手に対しての情はあっても愛はない。
透は皓樹にマグカップを渡した。香ばしい香りがリラックス効果になり、確かにこれからの行為を考えれば落ち着きすぎではないだろうか。
考えを見透かしたのか、相手は透の持っていたマグカップを取り上げると、テーブルに置いて素早くキスを仕掛けてくる。
「ん……っ」
ひやりとした感触。
反射的に逃げようとすれば逞しい腕にがっちりと腰を拘束され、身動ぎする事しか出来なかった。今更、口づけされたくらいで身を硬くする必要はないと頭で分かっているのに、体が逃げそうになってしまう。
「あっちに行こうか」
「…がっつきすぎ」
「いいじゃん。それに、早く透さんに暖めて欲しいんだ」
誰かの代わりに得る体温。誘ったのはお互い様で、これからする行為に生産性なんて何もない。
「っ……っ」
首筋に甘く歯を立てられ、透の白い咽喉がこくりと上下する。性急に欲しいんだと、その仕草で理解し、透は皓樹の固めの髪に指先を絡ませた。
皓樹が噛むのは本当に飢えている証拠で、こんな時のセックスは決まって濃くなる。
(……皓樹も、何かあったのかな)
脇腹を撫でる手の冷たさに背筋がぞくりとする。けれど、すぐにそれも熱くなるだろうと確信しながら、透は濡れた瞳で皓樹を見つめていった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「透さんて、いつも淡白だよな。終わったらさっさと服着るなんて、情緒のカケラがないんだけど」
全裸でベッドの上に腰掛けている奴に、情緒がどうのなんて言われたくはない。透は床に脱ぎ捨てられていたジーンズを拾い上げて皓樹に投げて、小さく息をついた。
「僕に求めても無駄な一つだね。いくらエアコンつけてるからって、いつまでもそんな格好のままでいたら風邪ひくよ」
「だったら、もう一度……」
「却下」
上目遣いで挑発してくるのを無視して、透は部屋から出て行く。
情事の後の体はだるくてふらつきそうになるけれど、心はどことなく満たされた気分になるから不思議だ。まだ皓樹の温もりが肌の上に残っている様な錯覚さえしてくる。
(変だよね、こんなの)