あぁ、麗しの君
夏休み 二
(暑い。)
四谷はもう30分も前からドアの前に立っていた。
もちろん小夏の家である。
四谷は汗をだらだらと流しながら人指し指を頼りなげにつきだし、チャイムまであと2ミリのところで固まっていたのだ。
四谷の心拍数は有り得ない速度で上がっていた。
四谷はぷるぷると指先を震わせる。
(…どうするんだ俺。もし居なかったらどうする?それはそれでいいかもしれないがここまで粘ってもしだめだったら多分次のチャンスはあるまい。俺が再び勇気を出せるとは到底思えない。かといってもし家から出てきてあからさまに嫌な顔をされたらどうする?なにこいつー本気にしたのまじ馬鹿じゃんなんて小夏ちゃんに言われでもしたら俺は150%の確率で絶命するだろう。夏さんに帰れ馬鹿頼りないんじゃぼけと言われるかもしれない。事実だ。嫌、俺よりもっとましな御世話係が見付かったなんてこともありえる…。)
バタンッと四谷は倒れた。
彼は「デジャウ"…」と呟き、意識を失った。
熱射病である。
家の陰から水遊びをしていたらしい小夏が音を聞き付け駆けてきた。
そして
「かーくんお花が潰れます。」
とホースで水をじゃばじゃばかけた。
四谷は心地好い水の感触を味わいつつ、再び「デジャウ"…」と呟いた。
「っはっ」
四谷は自分の頬にぺたぺたと触れる柔らかな感触で目が覚めた。
そしてその正体を確認し、再び気を失いかけたところを夏にチョップされた。
「四ッ谷怪談君気絶しすぎよ。小夏、無理に起こさないの。」
四谷の頬をぺたぺた叩いたまま小夏は小さな口を尖らせている。
四谷は天使の様だと呟きながら頭をふった。柔らかな髪をみつあみにして文句を言う彼女は確かに、なるほど、美しかった。
夏は呆れ顔でコーヒーを運んできた。そしてブラックのアイスコーヒーにミルクを添え、慣れた手付きで机におぼんを置いた。
「久しぶりね、四ッ谷怪談君。忙しかったの?」
夏は快活に笑いかけた。
四谷はソファーからガバッと体を起こし、ぺこぺこと部下の様に挨拶をする。
「あっおっおしさしおひさしぶりです…。すみませんなんかわざわざ…。ふわおうっ小夏ちゃん?!」
四谷は意味不明な奇声をあげ、座った姿勢のままとびあがった。
小夏がぴとっと四谷の隣に腰かけたからである。
夏は実際に驚いてとびあがる人間を初めて見たため、興味深げな表情になった。
そんなことも露しらず四谷はもじもじもじもじと小夏をちら見している。
気色の悪い動きである。
「ねー、かーくん?」
小夏はあどけない顔で微笑んだ。
思わず四谷夏那もにっこりと笑い返してしまう。
これでは阿呆なカップルの様だ。
「なーに?小夏ちゃん。」
「うふー!ひさしぶりね。」
「うふふ!そうだね!」
「小夏ねー、かーくんとあそびたかったのよ。なんでこなかったの?」
「かーくんもね、小夏ちゃんに会いたくて会いたくて会いたかったんだけど勇気がたりなかったのう。」
夏は吐気をもよおし始めたため二人の会話を中断させようと四谷にコーヒーを飲むよう促した。
四谷はハッと気付き、急いでコーヒーを受け取った。
夏はそれを確認し、ぐっともう一度姿勢を整える。そしてんっと喉を鳴らし、四谷に質問した。明るいブルーのサマーセーターが爽やかだ。
「…さて、四谷君。夏休みはあと何日あるかしら?」
四谷はよくわからない質問にいぶかりながらも素直に応えた。
「…一ヶ月弱くらい、ですかね。9月初めが始業式だし。」
夏はその答えを聞きにっこりする。
どうやらそんな答えなどわかりきった上で四谷に質問したようである。
「…その通り。よってこれからは週に2回は我が家に来て欲しいの。…おわかり?」
夏がばしっと言い放った。
有無を言わせぬ物言いだ。
「…えっ…。…え?!えぇ?!…それは一体なにゆえに??」
四谷は突然の事態に戸惑い半分喜び半分で挙動不審に陥った。
夏はふふふんと笑っている。
小夏は足をぷらぷらさせ、自分の髪の毛をいじくっていた。
「慣らしよ、慣らし。」
「慣らし?」
「このこね、普段は人見知りなのよ。それもかなりの。…記憶をなくしてからそうなっちゃったんだけど。多分…その記憶を消した本体が、小夏に人見知りせざるをえない状況をつくらせたのだと思うんだけど。」
「はぁ…。」
夏の台詞はいつもどこか遠回しで、頭の回転がにぶい方の四谷にはよく話のいとが掴めなかった。
「ま、だからこそあなたにお世話役を頼んだのよ。」
「へ?」
夏は悪びれもせずさらっと言った。
「たった一日かそこらで小夏をなつかせた男はあなたが初めてよ、四ッ谷怪談君。…それだけなめられてるという話ね。」
(…ん?)
四谷は首を捻った。
「今のって誉め言葉ですか?」
「まぁそんなものね。…ただね、それだけなつかれてるあなたがいても学校は集団生活でしょ?あなたの学校は金さえつめば比較的誰でも入れる学校だから待遇はいいと思うんだけど、精神面の方がね…。」
「俺は金つんでませんよ!」
「あらそう。…だからとりあえず夏休み中に二人の仲をより縮めて安心剤役になってほしいわけ。できれば同じ高校のお友達も事前に紹介してほしいの。」
「はあ。」
四谷はふーん色々大変なんだなぁ、でもそれだけ頼りにされてるってことだ、と呑気に構えていた。
…だから彼は選ばれたのだ。
この親子の命令に何の文句も言わずあっさりひきうけるような阿呆はそういない。
大抵が大抵、何故そんな上から目線なんだといぶかりそうなものである。
…だが四谷は惚れた弱味か、こんな義母さまだったら心強いなぁ、やっぱり…等と無関係な妄想をしていたのである。
もちろん夏がその様子を見て、にっこりと微笑んだことを四谷は知らない。