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185gの缶詰

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 更衣室のようだった。そこで白い服を着るように言われた。上着もズボンも同じ白色、帽子も白色、靴も白色だった。男はとりあえず出て行ったので私はそれらを身にまとった。私が声をかけると、男もまた白ずくめになって戻ってきた。黒いスーツ姿しか印象がなかったので、私は一瞬それが先程の上司予定の男と同じなのか、判らなくなったほどだ。男から手渡されたマスクも白く、鏡を見ると、白ずくめの私が立っていて、これが私なのだろうかとぼんやりと考えた。こんな風に工場の制服を着たのは初めてだった。消毒液を渡され、私はそれに手を当てた。そこまでして、やっと男は私を工場に招き入れた。
 ベルトコンベアーに乗せられた缶詰がすいすいと運ばれていった。その向こうの方で肉が運ばれているのが見えた。肉はピンク色で、細切れにされて、何の肉かはやっぱりわからなかった。私達と同じ格好をした何人かの作業員が運ばれる肉から何かを取り除いているようだった。
「あの肉は」
「気になりますか?」
「ええ、まあ」
「まあ、そうですよね。皆聞きますし、私も聞きました」
「秘密なんですか」
「いいえ。工場で働く人には教えることになっています。異物の混入をチェックしたりしているうちに、きっといつか気付きます。だから最初からの方がいいだろうと」
 男は私の顔を見て、何かを確認した後、マスクを揺らして言った。
「人肉です」
「えっ」
 知らない響きの言葉だった。日常では使うことのない言葉だとはっきりとわかった。
「じんにく?」
「人の肉。人肉です」
「じんにく」
 その響きを口の中で転がした。今まで転がしたことのない響きが口の中を転がった。
 じんにく。ひと。ひとのにく。人肉。
 それは意味は知っていても、今まで口にしたことのない響きだった。ここでは人の肉をつめている。あの香辛料のよく効いた、もやしとよく合うあの肉の缶詰として人の肉を、人肉を売っている。そして私がじんにくというその響きを口の中で転がす前に、私はその肉自体を口の中で転がしたことがあるのだ。そして多くの人が、人肉という言葉を口の中で転がす日を想像もせず、その肉を口の中で転がしているのだ。
 そこまで考えても、不思議なほど動揺がなかった。人肉と答えた男はあまりにも淡々としていたし、人肉という言葉もあまりにも突飛で、私は夢の中にいるような感じがした。夏祭りの喧騒に紛れ込んだような、そんな現実感のない言葉だった。
「それは、その、誰かを殺しているということですか?」
 私はどこか、夢を見ているような心地で聞いた。
「人殺しではありませんよ。私達が手を下したことは一度もありません。ただ最近は団体の抗争が多いので、それだけ死者も増えますし。抗争が終わって発生した死体を回収して、工場に持ってくるだけです。表向きは葬儀業者が、警察に委託された形で遺体の処理を行っているだけですし、警察からもこうした加工の許可は受けています。人骨は後で分別して返しますから、遺族に不信がられる事もありません。元々抗争で亡くなった場合、現場検証やら何やらでごたごたとしていますし、腐敗を防ぐ為、先に火葬しました、と言えばいいだけの話です」
 男は、聞かれることはわかっていた、という顔をしてすらすらと答えた。それはきっとこうして何度も説明してきたからだろう。
「つまり、この肉は保護団体の人たちだということですか?」
「大体はそうです。だから身辺調査が必要でした。保護団体加入者は論外ですし、擁護するような言動が調査の中で出てきたら駄目です。情報が漏洩すると色々と問題が起こりますので。あなたの近しいご家族ご親族にはそういう方がいらっしゃらないようでしたので」
「そうですね。うちの家族はそういうことには関心がないですから。ただ色々な物が高くなって、悲しい気持ちになるぐらいで」
 家族は保護団体の活動には無関心だった。私自身も同様で、どうしてあんなに熱心に何かを守ることが出来るのかいつだって不思議だった。大声をはりあげ、時には拳を振り、駅前で熱弁する人を見るたび、別の生き物のように感じていたし、ニュースでよくあるように、暴力に発展することもあったから、そそくさとその場から離れるのが決まりごとだった。
「ええ、だからです。もし近しい人が抗争で死んで、その肉を加工するのは流石に辛い仕事になりますから」
「今までその、こういったことを外の人に知られたことはありますか?」
「今の所はありません。この不景気ですし、この会社に採用になる人は、わざわざ騒ぎ立てて職を失うことはしません。仕事内容は特殊ですが、雇用環境も他と比べて健全ですし、性格もそういうタイプの人は採用しません」
「もし洩れたらどうなるんでしょう」
「さぁ。でもそもそもこの肉の缶詰がなくなったらどうするんだ、と思っている人の方は多いでしょうから、公開される前に途中でどこかで止まってしまうか、公開されてもデマだと思うか、公開しそうな人を誰かが止めるか、まぁそんな所ではないでしょうか」
 私は貰った契約書を思い出した。確かに給料も悪くはなかったし、この調子だとそこまで過酷な長時間労働を強いることはなさそうだった。そして肉の缶詰がなくなって困るのは、やはり私だった。
 ふと一年前に見たあの缶詰の金属片を思い出して、ぽつりと言った。
「だから、あの金属片には火薬のにおいがしたんですね」
「ああ、そうでした。それもあなたの調査をしていて出てきました。コールセンターでの対応は全て録音されて、一定期間保存されるので。最初はもしかしたら、あなたが何かに気付いているんではないかと思いましたよ。あなたの対応を見ていると、責めているわけでも怒っているわけでもなかったから」
「あの時は火薬だなんて思わなかったんです。ただ花火を思い出して。あのすぐ後、火薬だったんだと気付いたんです。感じからもしかしたら銃なのかな、と思いはしました。でも私は屠殺について何も知りませんでしたので、銃で殺されているんだな、この何かわからない動物は、とぼんやり想像するぐらいでした」
「そうですか。気付いていなかったならいいんですが。それにしても抗争の時には散弾銃や化学兵器は使わないで欲しいですね。加工に手間取るからコストがかかるんです。散弾銃などはあなたのように何かに気付く人を増やす可能性を高めるわけですし」
「でも、だからと言ってこんなことに気がつく人はいない気はしますけど」
 中身について知った今ですら現実感をもてない私はそう言ったが、男は首を横に振った。
「直接的に気付かなくても、何か不審に思わせてはいけないんですよ。肉の缶詰の中身は具体的に想像させてはいけないんです。殺し方も、その中身も、頭の中で確証を与えてはいけないんです。保護団体が作られますから。だから空気の様な存在でいなければ」
「ああ」
 確かに私は缶詰の中身を想像したけれど、何らかのアクションを起こそうとは微塵も思わなかった。だけれど、ある種の人達はそうするのかもしれない。保護団体の保護団体が出来て、さらにその保護団体が出来て……と想像してみると、何だかおかしかった。
作品名:185gの缶詰 作家名:珈琲