時明かりに結夢
古木に囲まれた暗がりが開放されて、ぽっかりと空間が広がる。空を遮っていた枝は今や遠く、ずしりと蒼い色が降り注いでいる。その中央に、悠然と構える一枚岩。神籬(ひもろぎ)である。
その存在感。じりりと空気を奮わせる無骨さ。これが森の、果ては一帯の山々の中央に座す核だと言ってもいい。見るものを飲み込むような気配に触れ、都来は己の知らぬままに数歩後ずさった。
「なんて、立派な」
反対に真那賀は、彼を置いて数歩前へと歩んでいく。
傍へ寄ってもその雄大さは変わらない。寧ろ増して鋭さや威圧感が現れるようで。ひたり。掌を押し当てる。錯覚には違いなくとも、その冷たさは手の内で脈打つように。
息を呑み、拳を強く握る。返答は無い。聞こえなかったのだろうか。今一度呼びかけようと開いた口から詞を発するよりも前に――やっと巫女の呼吸が聞こえた。檀紙を巻いた黒髪、真っ更の千早。それらが静かに揺れて、ゆっくりと風を刻む。
「真那賀」
「貴方は其処に居てね、都来」
神妙な微笑が彼を落ち着かなくさせる。それは不安ではなく。振り向き様の表情は笑みだとして、背けた顔に如何様な色が浮かんでいるのか。知りたくもあり、きっと永久に知るべきではない。
なぜならその色は、おそらく二人が袂を別つ瞬間に浮かぶものだから。
「たかあまはらにかむづまります――」
彼女が謳うのは、魂鎮の言葉。
都来は邂逅の刹那を、まるで昨日の出来事のように思い出しながら、その後姿を見詰めていた。
「かむろぎかむろみのみこともちて。すめみおやかむいざなぎのおおかみ。つくしのひむがのたちばなの」
榊の枝、玉串を振るう。下げられていない筈の鈴が凛と明瞭な音を奏でる。それは聲に触れ、音に触れ、ひりひりと森の風を統一していく。禍々しいほどの清浄な気配が抑えられ重く裾を引き摺る。やがて糊が入ったように大人しく形をとどめていった。
次に入るは、祓詞。するりと紡がれていく言葉。次第に治められゆく森の魂。風もないのにざわざわと辺りが啼く。抗っているかのようだ。穢れを祓い落ち着かせた神の場の中で、巫女は遂に山神祓を謳う。この森を宥める為の。囚われた幾重もの意識を。
しかし、次には違和感が浮かぶ。穏やかだった新緑の風が徐々に荒れ始める。
初めは凪のよう、次に漣が立って、波紋が広がる。渦が深くなり、いつしか嵐となって。
都来の水干と真那賀の千早を生温い風が攫う。ざざざ、木々の合間を奔っていく。空は青いままなのに森の中は曇天のように暗い。掻き消されぬよう、懸命に発せられる祈り、謳い。やがて押し負けるほど風が強くなっていく。