あなぐらさま
「もう一回聞きたいっしょ!?聞きたいよね?俺は聞きたい。てゆうか話したい」と必要以上に迫ってくる魔詩撫を懸命にかわそうとする陵勢。
「いいよもう。どうせ最後に〈無論、冗談である〉っていう司馬的な一言がいいたいだけなんやろ?毎回バージョン違うけどどれもあんまし怖くないですから!残念」
「いやいやいや、今回のはアジだから。魚だよ?アジでマバイ」
魔詩撫は言葉の使い方を出来るだけ間違えようとしながら色々な情感を混ぜ込み、結局「家路」にまつわる怖い話をごちゃごちゃに組み立てでっち上げ、最後まで話し切ってしまった。
もちろん「無論、冗談である」という締めくくりも忘れなかった。
「うぜぇ〜、オメぇうぜぇよ。イイ感じにうぜぇ」
陵勢は魔詩撫に辟易しながらも「イイ感じに」という適当な便利表現を罵り言葉の中に織り込んで、その面倒くさい抵抗感をポイ捨てするように表現した。
ごにゃごにゃと時が流れていく中、2人は気付かなかったが、森はもうただ深く暗く、精神の淀みそのものとなっていた。
急に、道が開けた。
もうすっかり日も暮れて、懐中電灯がなかったら真っ暗な中で何も見えなかっただろう。
もともと洞窟の中を探索するために懐中電灯を用意していたのだが、目的地に到達するまでにこれほど暗くなるとは思っていなかった。
2人が出かけた時間が午後3時と遅かったのもうかつであったが、今日は8月13日。まだまだ夏の盛りで日が長いだろうと高をくくっていたのだった。
探検決行にお盆の初日を選んだのはやはり4年前の事件があった日が8月13日で、それに合わせようという話しになっていたからだった。
2人の目の前には畑が広がっていた。かなり荒れている。獣道みたいなところから急に開けた場所に出たために、あるいは暗さのため奥まで良く見通せないこともあって
2人にとっては実際よりも随分広く感じられた。
「開けたなぁ。この原っぱ的な畑を越えた向こうに小高い崖があるはずや。それを登ってすぐのところが確か洞窟の入り口になっちょんはずやで!」
いよいよという感じで陵勢はやや上気してしゃべった。
洞窟に近づくにつれて格段に増して行く森の不気味さに、魔詩撫は心の中でもう白旗を用意していた。
「もう帰ろうよ」という言葉が喉まで出かかった時、ふいに耳元で声がした。
「消せ!電気消せ!早く!」と陵勢がひそひそ声で緊急を告げた。魔詩撫はびっくりして陵勢に促されるまま身を低くして茂みに隠れた。
違和感がある。
魔詩撫もひそひそ声で問いただす。
「何?どしたん??」
「なんか向こうで光った。人影みたいなのも見えた気がした!」と陵勢は言う。
まだ違和感がある。陵勢は魔詩撫の前にいる。魔詩撫はずっと陵勢の後ろについて歩いて来た。さっきの声はどうして耳元で聞こえたのか。
魔詩撫は自分が感じた違和感をもう一度思い返す。さっき耳元で聞こえた声は陵勢の緊急を告げるそれではなかったのではないか。
思い返せば思い返すほど徐々にイメージが頭の中ではっきりとしてくる。「女の声」だった気がする。
もっとはっきりと「女の声」が頭の中に響いたような気がする。ぺちゃくちゃとしゃべくるようなせわしない調子で何者かが何事かを一瞬だけ囁いた。
そう気付いた時、魔詩撫が感じていた違和感と不気味さは頂点に達した。惰弱な感情が悲鳴をあげながら発露を求めて彷徨い、喉まで来ていた言葉を口からせり出させた。
「もう帰ろうよ〜〜」全身鳥肌状態の魔詩撫は半泣きで訴えた。
続けざまに魔詩撫の目にも遠くで光るものが見えた。ちらちらというかひらひらというか、ちかちかでもないし、きらきらでもない。
しかし何かが光っている。
「ひーーーーー!!!!」
「何びびっちょんのかいちゃ!ここまで来たら絶対に行こうで!ひきかえせんやろ!」
怖がる魔詩撫を叱咤する陵勢。前屈みの姿勢で注意深く前進を始める。
魔詩撫は腰が引けてしまって茂みから動けなかったが、勇気を振り絞って前進を始めた。
やや遅れて陵勢の後ろに追いつき、崖の手前まで来た。昔の修験者が削ったのか崖は人が登れるようにか細い階段状の小道を備えている。
崖の上の方にくろぐろとした揺らぎを感じるが、木立のざわめきでもなさそうだ。陽炎の暗闇版とでも言おうか、うねうねと影のようなものを感じる。
開けた場所なので夜空も見え、月はないが疎らに星が瞬いているのが見える。
懐中電灯で揺らめく影を照らすのだがそうすると別に何が動いているわけでもない。
陵勢は迷いなく足早に崖を登っていく。興奮しているのだろうか。魔詩撫もいつのまにか上気し、鼓動がどくどくと速まっている。
いつの間にか、恐怖は完全に消えていた。
性急に崖を登っていく陵勢を急いで追いかけていく魔詩撫。全く後ろを振り返らない陵勢に無視されているような気がして魔詩撫は無性に腹が立ってきた。
胸の裏を掻き毟りたくなるような鈍い痒みがやがて充血する眼の毛細血管の隅々にまで行き渡る。こんな気分になるのは初めてだった。やはり何かおかしい。
気がつけばあの「女の声」がまた頭の中に響いている。ほとんど騒音と言っていい程、ぐわんぐわんと騒いでいる。意地糞悪い笑い声や嬌声、すすり泣きやら怒号、金切り声の悲鳴が
鋭いテンポの喘ぎ声に絡みながらまるで滝のように魔詩撫の意識を洗い流してしまう。あとは重厚な酩酊感と極上の快感をそのまま光学変換したような煌めきが眼前に現れる。
2人は既にあなぐらさまの洞窟に入り込んでいた。
その洞窟はあまり深くない。入口から30メートルもしないうちに行き止まりになっている。そこに、あなぐらさまが安置されていた。
魔詩撫は自分の鼓動が破裂するのではないかと思うほど激しく動悸していることに気がついたが、それが異常なほどの快感を伴っているために性的に喜んでしまっている自分がいることにも朧気ながら気付いていた。しかしあれほど感じていた滲むような濃い怒りも、異常な性感を抱いてしまったことに対する自身への危惧も、猛烈な歓喜の前に押し流されてしまった。
ただひたすら昂揚感が五臓を突き上げ、暴力的な全能感が六腑を充実させて行く。
・・俺、こんなキャラだっけ?・・・ やや意識を鮮明にさせると魔詩撫は自分が額を岩肌に擦りつけてうずくまっているのがわかった。視界に陵勢の姿は見えない。洞窟の地面付近だけ見えてそれより上は猛烈に強い光が金色に揺らめいていて何がどうなっているのかがさっぱりわからない。遠くで男の叫び声が聞こえる気がする。悲鳴なのか猛り狂っているのか判別がつかない。あるいはさっき自分が感じていたような快感で絶頂に達しているのだろうか。
暑い。魔詩撫は自分の額から出た汗で地面の岩肌がじっとりと広範囲に濡れているのがわかった。どのくらい時間が経過したのかわからないが、徐々に意識が元に戻りつつあるようだった。