春雨 04
でもだからってああいう言い方はずるい。先輩が「自分と重なる」って言ってくれたから、「何かあったら頼れよ」って言ってくれたから。だから私もがんばろうって思えたのに。
それが嘘だったとしたら。
何だか、無性に腹が立ってきた。
「あれ? 美智?」
後ろから鷹凪先輩の声がした。電話を終えて戻って来た所らしい。道の真ん中に突っ立っている私に不思議そうに声を掛けてくる。
「こんなとこで何してるんだ? もしかして探しにきたのか?」
へらっと、笑う先輩の顔を見ていたくなくて、ぷいっと顔を背けてしまった。
「どうした? なんかあったのか?」
さすがに様子が変だと思ったのか私の顔をのぞき込んでくる。そして辺りを見回す。片桐先輩と何かあったと思ったのだろうか? まさか自分が理由だとは思わないだろうな。
「先輩、今、誰と電話してたんですか?」
「え? ああ、今のは昔の友達だよ。ちょっと、な」
そこで言葉を濁す。よく考えてみれば、先輩は自分のことをあまり話してくれなかった気がする。
じっと、顔を見ても、先輩の表情はいつもどおりだった。
「何だよ、今日のお前変だぞ。俺の顔じっと見たり、かと思ったら急に背けたり、照れたり怒ったり…。いつも百面相してるけど、今日は一段と変化が激しいな」
言っている台詞はかなり酷い。もう怒るのを通り越して笑ってしまった。
「ほら、今度は笑い出すし…」
先輩はあきれている。
「確かに、今日の私は変ですよね」
「ああ、変だよ。で、何があったんだ? ちゃんと話せよ」
優しい口調だった。でもさっきの電話の声とは違った。
あんな甘い声で言って欲しいとは思わないけど、なんだか面白くない。
『優しくなんてしないで。私のことなんか同情で気に掛けているだけのくせに』
突然思いついた台詞。あまりにも自分勝手な感情だ。
笑ってごまかそう、そう思った。なんだか今の自分が無性になさけなくて。私だけが一人で怒っているなんてばかみたい。先輩に彼女がいようと、今夜誰と会おうと私には関係のない事じゃないか。先輩の優しさは本物で、私を気に掛けていてくれることに代わりはないのだから。それが一方的なものでも。
ああそうか、私はきっと、自分だけじゃなくて先輩にも私に頼って欲しかったんだ。だから昨日先輩が昔の話をしてくれた時凄く嬉しくて、今日それが嘘かもしれないと分かって凄く悲しかったんだ。
「美智?」
心配そうに私を見る先輩に自分の気持ちを悟られたくはなかった。だから笑おうと思った。
でも私の体は殊の外頑固で。そう簡単に言う事を聞いてくれない。
そして気が付けば、涙が一筋、零れていた。
先輩が目の前で息を飲む気配がする。
「あ、いや、これは…なんでもないんです! 本当に! あ、私もう授業だから行かなくちゃ! それじゃ!」
「こら、言い逃げするな!」
慌てて涙を拭ってその場を離れようとする。しかし腕を掴まれては逃げられない。
「離して下さい、本当に遅れちゃう!」
「何言ってるんだよ。俺だって時計持ってるんだよ。まだ30分以上もあるだろ」
う、しまった。さすがにわざとらしい言い訳だったかな。
私はとりあえず抵抗を諦めて、先輩の方を見た。でも泣き顔を見られたくなくて視線を落とす。
「で、何があったんだ?」
先輩は私の目の前まで顔を下げて、私に目線を合わせてくれた。
なんだか子ども扱いされてるなーって思う。
「…言いたくありません」
こう言うと本当に子どもみたいだ。自分でもわかっている。でもどう言えばいいんだろう。先輩が私に頼ってくれないから? 嘘を付いたから?
私は先輩を攻めたい訳じゃない。今の気持ちを話したら、ただ攻めるだけになってしまいそうで、口にしたくなかった。
「どうしても?」
「はい」
「…分かった」
思ったよりもあっさりと先輩は引き下がってくれた。もっとしつこく聞き出されると思っていた私は拍子抜けしてしまう。
「いいんですか?」
「言いたくないんだろ? 無理に聞くつもりはないよ」
「そう、ですか?」
あれ? なんか私がっかりしてる?
「あの、じゃあ行きますね」
私はそう言うと部室の方へと向かう。
少し歩いて振り向くと、先輩はその場に立ったままでこちらを見ている。
「…え~と」
私はその場でくるっと一回転すると、もと来た道を引き返す。そして先輩の目の前で足を止めた。
「あの、何してるんですか?」
「何で戻ってきたんだ?」
先輩は私の質問には答えてくれなかった。何でって言われても…。
「…先輩、もしかして怒ってますか?」
「ちょっとな」
ああ、やっぱり怒ってるんだ。
「私が言わなかったからですか?」
「それもあるな。で、言う気になったか?」
「なりません!」
思わず力いっぱい答えてしまった。ああ。だからこれじゃますます怒らせてしまう…
しかし私の予想とは別に、先輩はふと表情を和らげた。
「もう、怒ってないんだな」
「へ、私怒ってました?」
「違うのか?」
怒っていたのは本当だけど、あなたも怒っていたんじゃないんですか?
「まあ、いいか。おまえさあ、自分が怒ってるんなら遠慮して戻ってきたりするなよな。あれじゃあ、相手をつけあがらせるだけだぞ」
「先輩、つけあがってたんですか?」
真面目に聞いたら頭をはたかれた。
「いたっ!」
「とにかく、さっきのことは言う気になったらちゃんと言えよ」
「嫌です」
さっきのことを思い出して、浮上し掛けた気持ちがまた沈んでいくのを感じていた。もう泣いたりはしないけど。
先輩は、私が電話を聞いていたことは気付いていないんだろう。
「はいはい、分かったよ。無理にとは言わないから」
そういうと、先輩はいつかと同じ様に、私の頭に手を置いた。頭に感じる先輩の大きな手。その感触が無性に気恥ずかしくて、私は思わず先輩の手首を掴んでいた。
「ん? どうした」
「先輩、誰にでもこういうことするの止めた方がいいですよ。彼女が見たらきっと嫌な思いします」
「だーかーらぁ、彼女なんていないって言ってるだろ?」
ここまできても否定する先輩はずるいなと思った。思わず握る手に力がこもる。
「お、なんだ挑戦か!」
先輩は何がそんなに楽しいのか、にっこりと笑うと、私の手などもろともせずに私の頭をぐしゃぐしゃとした。
みごとに私の髪の毛は乱れてしまう。
「わー! いきなり何するんですか!」
私は先輩の手を掴んでいた手を離すと自分の髪を治す。
鏡がないからわからないけど、きっとすごいことになっているに違いない。
あーもう、今朝寝癖治すのに凄い時間がかかったのに。
「こういう所だけしっかり女だよなあ」
聞こえてきたのはあきれたような声。でも…
「先輩、その台詞ってお父さんみたいですよ」
「俺にはこんなでかい子ども持った記憶はないんだけどなあ」
「だから子ども扱い止めて下さいって言ってるじゃないですか!」
「はいはい、分かったよ。俺だって『お父さん』扱いされるのはごめんだからな。気を付けるよ」
ふっとその場が和んだ気がした。先輩はいつもと同じ様に笑っていた。でも私の中には小さなしこりが残っていた。