春雨 04
先輩は顔色1つ変えずに答えた。どこかはぐらかすような答え。それが逆に私にそれを確信させた。
先輩はきっとまだあの人のことを想っている。
そう思った時、何故か胸の奥がちくんとした。
「お待たせ」
声にそちらを見ると、めぐみ先輩と香が机の横に立っていた。
「あれ? 美智まだ食べてないの?」
先輩との会話に夢中になって、私の箸はすっかり止まってしまっていた。
「ああ、忘れてた!」
慌てて箸を動かし始める私の正面から、笑い声が聞こえる。言うまでもなく鷹凪先輩だ。「先輩、いつもそうやって吹き出しますよね」
「おまえがすぐ人を笑わせる様なドジするんだろ」
帰ってきたのは笑いを含んだ声。
どうせ私はいつもドジしますけども。
憮然と食事をする私といつまでたっても笑っている鷹凪先輩。
交互にそれを見てめぐみ先輩が面白そうに笑っていた。
私が食事を終えるまで3人は待ってくれていた。その間もめぐみ先輩と香はずっと楽しそうに何事かを喋っていた。香はめぐみ先輩と話せて機嫌がすこぶるよさそうだ。鷹凪先輩は、やっぱり静かだった。そういえば、2人きりで話す時以外の先輩はいつもあまり喋らない。
もしかして私と話す時はいつもより饒舌になっている? …まさかそんなことはないと思う。
私はその考えを打ち消した。
食事を食べ終えると、4人でサークルの部室へと向かった。もうすぐ恒例の夏合宿がある。リーダーと副リーダーである彼らはその準備で一緒に昼ご飯を食べていたらしい。ついでに何かで怒らせてしまった鷹凪先輩が食事を奢ったようだ。肝心の理由は何度聞いても教えてもらえなかった。
いったい何をしたんだろうか?
部室に付くと、何人かの部員がくつろいでいた。最近ゲームも購入されたので、授業の合間にゲームをして時間を潰す部員も少なくないのだ。
私と香もそれに混じって遊んでいる横で、鷹凪先輩とめぐみ先輩は合宿の予定を立てていた。こういう所を見ると鷹凪先輩もリーダーなんだなあって思う。
私はゲームをしながらも彼らの様子がなんとなく気になって、ゲームに集中できないでいた。
すると突然携帯電話の着信音がなった。着メロじゃなくて、最初から携帯に入っている機械音だ。
電話に出たのは、鷹凪先輩だった。彼は電話を手に外に出て行く。
きっと最初から設定をいじっていないのだろう。それが何となく先輩らしいなと思った。「美智、つぎは美智の番だよー」
声を掛けられて振り向くと、香がゲームのコントローラーを手に掲げて振っていた。
「え? 私さっき負けちゃったよ?」
「だから敗者復活戦! がんばれー」
彼女は私に無理矢理コントローラーを握らせる。ゲームはパズルで、4人の勝ち抜き戦だった。私はまるきり出来なくて、早々に負けて見物していたのだ。
再びやってみるものの、やっぱりあっさり負けてしまった。
「よっしゃ!」
相手の男の子が嬉しそうにがっつポーズする。
「もー!美智弱すぎ」
「仕方ないじゃん、私はこういうの苦手なんだから!」
香は私からコントローラーを奪い取ると「じゃあ、次はリベンジね」といい、私の対戦相手と戦い始めた。
熱気に負けて思わず後ろの方に退散する。すると、少し離れたところでゲームの様子を見ていためぐみ先輩と目があった。
何となく彼女の方へと歩いていく。机の上には、宿の資料や地図が置いてあった。
「予定はもうたったんですか?」
「うん。だいたいね。美智は何かやりたいことある? 今なら受け付けるわよ」
やりたいこと?
資料を見ると、その一覧が並んでいた。
バーベキュー、バトミントン、ドライブ、ハイキング、海水浴、クルージング…
「私は、この前テニス行けなかったから、やりたいかも」
「分かった! テニスね。私もやりたかったから考えとくわ」
めぐみ先輩は鉛筆で『テニス』と書き込んだ。
「それにしても、克哉遅いわねー」
「そうですね」
2人で壁にかかっている時計を眺める。私がゲームを始める前からだから、かれこれ15分位はいないことになる。
「鷹凪先輩って、長電話する方ですか?」
昨日1時間近く話していたのを思い出す。わりと誰とでもああして長電話するタイプなのだろうか。
「そうね、仲いい友達とはよく電話するみたいだけど、長電話するって話はあんまり聞かないかな。普段は用件だけですぐ切っちゃう方だし」
それを聞いて、なんとなく、胸の中がどきどきした。
まさか、ね。
「そうだ、美智ちゃん、もし良かったらちょっと見てきてくれない?」
「え? 私がですか?」
何で私が?と思ったけど、結局先輩に押し切られて私は部室を出た。
辺りを見回すが、先輩らしき人影は見あたらない。
部室はプレハブになっていて、同じ様な建物が十数個横に並んでいる。ちょうど私がいま出てきた所から左側が大学の他の校舎。そして右側にはいくつかの部室、そして行き止まりになっていた。
私はなんとなく、右側に向かって歩き出した。
人に聞かれない様に部室を出て行ったのなら、人がいない方に行くと思ったのだ。
少し歩いても先輩の姿は見あたらない。
一番奥にあるプレハブはもう使われていない。屋根に穴が空いているから、数年前から使われていないと聞いた。もうこの奥にいなかったら部室に戻ろう、と思いながら先に進んでいく。
一番奥の突き当たりまできても、見あたらない。帰ろう、と振り向いた時、横に人影が見えた。大きな道からさらに奥に進んだ所に、先輩がいた。
先輩はまだ電話をしているようだった。電話を耳に当てたまま、こちらに背を向けて何事か話している。私には気付いていないようだ。
内容を聞くつもりはなかった。でもどうしようか迷っているうちに彼の声が聞こえてきて私は動けなくなってしまった。
聞こえてきたのは、いつもの先輩からは聞いた事もないような優しい声。
「…ああ、分かってるよ。大丈夫か?何ならすぐ行こうか?」
必死に電話の向こうの相手を慰めているような感じだった。
「俺のことは気にするなって。いつでもかまわないから、な?」
相手はきっと女の子だろうとそう思った。誰だろう、と思った時に聞こえてきたのは
「分かったよ。何かあったらすぐ電話しろよ。今夜いくから。…な、彩花」
『彩花』と確かにそう聞こえた。
私は彼に気付かれない様にそっとその場を離れた。
(何だ。彼女いるんじゃん)
今の会話からすれば、きっと先輩は今夜『彩花』さんに会いに行くんだろう。
先輩と付き合っていても、ずっと好きだった他の人が忘れられなくて結局別れてしまった彼女。先輩は彼女のことを引きずっていて、そして多分、今でも好きなんだろう。
よく考えたら、先輩が私に本当の事を言う義理なんてないし。あの話は過去形のことなのかもしれない。いつの間にか先輩と彩花さんはよりが戻っているのかも。昨日のことも、だから最初は渋っていたのかもしれない。今日だって「まだ好きか」と聞いた時にはぐらかされたのは付き合ってる事を黙っていたからかな。
別に、本当の事を話す義理もないかもしれないけどさ。