春雨 04
「ええ、…あ、こっちこっち」
めぐみ先輩は目的の人物を見つけた様で手招きをしてこちらに呼んでいる。
彼女に答えて近づいてきたのは…
「なんでこいつらもいるわけ?」
「鷹凪先輩?!」
「ちょうど会ったの。良かったら一緒に食べませんかって」
「…まあいいけどね」
何故か彼は少し憮然としながら私の向かいの席に着いた。めぐみ先輩は香の向かいに座る。
そうして、4人の食事が始まった。
もっぱらめぐみ先輩と香が話していた。私はめぐみ先輩に話しかけられると答える程度で、鷹凪先輩はほとんど黙って口に食べ物を運んでいた。
香は少しだけつまらなそうな顔だ。めぐみ先輩といつも一緒にいて、お互い名前で呼び合っている鷹凪先輩の事が気に入らないらしい。それにしても、今日はいつもよりそっけないような気がするんだけど。気のせいかな…?
なんだか変な空気だなと思った。めぐみ先輩も少しいつもと違う気がするし…
私はと言えば、鷹凪先輩のことが気になっていた。昨日の今日で、あんな会話をした後で会うのが照れくさかったのだと思う。
何より、突然切ってしまった電話のことを先輩が怒っていないか気になっていた。
「でも、どうして今日はここで食べてるんですか?」
香がずっと気になっていたようで、めぐみ先輩に尋ねていた。
「ああ、今日はね、お昼ご飯は克哉の奢りなの」
そういって意味深な視線を隣に向ける。
「奢りって、鷹凪先輩何かしたんですか?」
「うるさい、お前には関係ないだろ」
明らかに嬉しそうな顔をした香に先輩は一喝したが、すぐに隣からの視線にひるむ。
「そう、克哉が私との約束を破ったから、今日は克哉の奢りなの」
にっこりと、その笑顔を先輩に向ける。その顔は笑顔だけど、何故か背筋が凍った。
「…めぐみ先輩、もしかしてすごく怒ってます?」
香も同じ事を考えたようだ。彼女がおそるおそる尋ねると、
「ええ? 別に怒ってないわよ。ねえ? 克哉」
いえ、すごく怒ってる様に見えますけど…。私はこっそり香と視線を見合わす。
めぐみ先輩はいつもにこにこしていて、誰にでも人当たりが良い印象がある。その彼女をここまで怒らせるなんて、鷹凪先輩はいったい何をしたんだろうか?
当の本人は黙って食事を食べている。その様子はいつもとそう変わりなくて、反省している様子もあまり見えないけれど、それでもいつもの毒舌が出ないのはめぐみ先輩をこれ以上怒らせないためだろうか? それとも本当に気にしてないからだろうか?
じーっと目の前の人物を見てしまった。そういえばこうやってまじまじと彼の姿を見るのは初めてかもしれない。何度か2人で話をしたことがあるけど、話をしている時ってその内容に真剣で案外相手の姿をじろじろと見つめる事はないものだ。
彼は左の肘を付き、右手で箸を持ってご飯を食べていた。視線は下の食器に向いている。 少しきつめの目は黙っていると怖い。髪の毛は染めていないのか真っ黒で、無造作に下ろした前髪が少し幼い印象を残している。それでもがっちりとした体格は、特にめぐみ先輩と隣に並ぶと男の人なんだなあと思う。今はTシャツだけど、しっかりとスーツを着込めばもっと大人っぽく見えるのかもしれない。
ふと、先輩が顔を上げた。
「…何?」
「はい?」
自分でも間抜けな声を出してふと我に返った。って、私、今何してたっけ?
気が付けば香とめぐみ先輩の姿がない。
「あ、あれ? ふたりはどこいっちゃったんですか?」
「何ぼけてんの? さっきトイレ行ってくるって言ってただろ? お前返事してなかった?」
そういえばそんなこともあったような…? あれ?
なぜか急に気恥ずかしくなって、きょろきょろと辺りを見回した。しかし見えるのは空き始めた食堂だけ。
「もうぼけたのか?」
ややあきれたような鷹凪先輩の声がする。正面を向くと、さっきまで見ていた先輩の姿があった。こんどは向こうも私を見ていたので、ばっちりとお互いの視線が合ってしまった。
って、何緊張してるんですか、私!
「ええっと。ぼけちゃいましたかね、はははっ」
とりあえず笑ってごまかそうと思ったけど、先輩はいぶかしそうにこちらを見ている。どうしてこういう時には笑ってくれないんだろうか。笑って欲しくない時にはさんざん笑うのに。
なぜだか正面からの視線が恥ずかしくて、つい、下の食器を眺めてしまった。残っていたスープを口に運ぶ。
それでも正面からの視線が外れない。何か話さないと。話題、話題…
「俺の顔になんかついてた?」
「あ、いえ、そんなことないです」
「じゃあ、何?」
「あの、昨日の電話、突然切っちゃってすみませんでした」
「ああ、別に怒ってないから、気にするな」
「はい」
「…なあ」
「はい」
「ちょっとこっち見ろ」
やっと少し落ち着きを取り戻してきた私はそこでようやく顔を上げた。
正面には先輩の顔がある。今度は大丈夫そうだ。
「…よしっ」
密かに気合いを入れたのは先輩には気付かれなかったようだ。
「で、何で急に俺の顔見れなくなったわけ?」
「何ででしょう?」
疑問形で聞き返した私にやっぱりあきれた様な顔。よかった、いつも通りになってきた。
「昨日あれだけタンカ切っておいて、自信なくなったか?」
「そんなの昨日の今日で分からないじゃないですか!」
「一晩もあっただろ? 今なら撤回しても受け付けるぞ」
「撤回なんかしません! そういう先輩こそどうなんですか?」
「俺?」
先輩は自分を指さすとそのままくるっとその指を私の方に向けた。
「それはお前の働き次第ってとこだろ」
最後に私のおでこにその指でデコピンをされた。
「っいた! 何するんですか!」
思わすその指を掴んで捻る。でもそれをやりきるまえに、指は私の手からすり抜けていってしまった。
「俺の事はいいんだよ。確かにちょっと引きずってるけどさ。どうせそのうち忘れるって」 笑っていたけど、私には先輩が本当に笑っている様には見えなかった。どこか無理をしているような顔。こういう顔は見ている方が辛くなる。
「別に、無理して忘れなくてもいいんじゃないですか?」
なんとなく、ぽつりとつぶやいた言葉。自分で少し驚いた。しかし先輩の方がその言葉に驚いたみたいだ。
「おまえさあ、自分は忘れるって言っておいて、他人には忘れなくてもいいっていうわけ?」
「違います! 確かに好きだって気持ちとか独占したいって気持ちは忘れなきゃいけないと思うんです。でも、誰かを愛してたって気持ちがあったっていう事実はいい想い出に出来るんじゃないかなーって。思ってみたりしたんですけど」
だんだん自分でも声が小さくなるのは分かっていた。言いたい事はあるんだけど上手く言葉にならない。私の悪い癖だ。
誰かを好きだった想い出は、今は辛いけど、いつか『あんなこともあったな』って思い出せるようになるかもしれない。たとえどんなに辛くてもなかったことにはできないのだから。だったらそう思える方がいい。
「ふーん」
先輩は一応その言葉を考えてくれているようだ。だけど、私の言いたい事は半分も伝わってないんだろうな。
「先輩はまだその人の事が好きなんですか?」
「さあ、どうだかね」