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せき あゆみ
せき あゆみ
novelistID. 105
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綿津見國奇譚

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   四、志を継ぐ者

 クサナギは、ヒムカの気をたどりながら森を進んで、高位の賢者たちの隠棲場所の入り口にさしかかると、その場で足を止めた。
「ヒムカはここへ入り込んだのか」
 そこから先は聖地と呼ばれ、族長の許可がなくては、踏み込んではならない決まりがある。少しの間考えたが、ヒムカをそのままにしてはおけないので、意を決して進むことにした。ところが、数歩進んだとたん、突然悲鳴が聞こえてクサナギは驚いた。そしてとびのいた時に、よろけて地面に倒れ込んだ。
「うわー。痛い、痛い。だれじゃ、わしの顔を踏むのは!」
「わあ」
「まったく、不作法な!」
 声の主は、起きあがりながら、倒れたクサナギを抱き起こした。
「わしの気配を見ぬけぬとは、まだまだじゃの」
「あ、イスルギさま。申し訳ありません」
 クサナギは、平身低頭して謝った。
「いやはや、わしもいろんな弟子を育てたが、顔を踏んだのはおまえが初めてじゃ」
 イスルギは、白いヒゲをさすりながら笑った。土と同化して昼寝をしていたのだという。
「ヒムカなら、泉のそばじゃよ」
 さすが師匠。クサナギがなにも話さないうちからすべて見通している。
「クサナギよ、ヒムカに話さねばな。普通の人間が賢者の中で暮らすのは無理がある。たとえ勇者でもな……。サクヤをさらわれてしまった失敗を、いつまでも気に病んでおっては、前には進めんぞ」
「はい、わかっています」
「おまえはもっと強くならねばならん。ゆくゆくは太上……いや、まあがんばれ」
「イスルギさま?」
 クサナギはいぶかしんだ。未来を見通せるイスルギの言葉だ。最高位の太上に自分がなれるというのだろうか。大昔のことはよくわからないが、この千年の間は、アカツキ以外に太上まで上り詰めた賢者はいないのだ。
 しかしクサナギは、自分があこがれる伝説のアカツキのようになれるかもしれないと思うと、勇気がわいてくるのだった。
 それから少し歩を進めると、小さな老婆が現れた。
「ほっほ、ひよっこが来たか」
「婆さま……?」
 いくつになったかわからないほどの老婆で、天尊の位を持つ予言者ツヅレ(都々澪)婆だ。クサナギは、ずっと幼い頃に一度だけあったことがある。イスルギの講義を受けていたとき、突然やってきて、クサナギの頭をなでて去っていったのだった。
 ツヅレ婆は、まじまじとクサナギの顔を見て言った。
「ほ、ずいぶん男前になったの。ふむ、でもわたしのカレシよりはちと落ちるが……」
(カ、カレシ……ね。まさか)
「おまえ、こんなしわくちゃばばあに、カレシなんぞいるわけないと思ったじゃろ。今」
「い、いいえ、そんな」
 クサナギはあせった。ツヅレ婆は、人の心を読むことと予言の力がある。予言については、イスルギの師だったとも聞いていた。
「わたしだって、生まれつきこんな婆じゃないんじゃぞ。若い頃はミス・ホデリで、殿方のアイドルじゃった。カレシとは美男美女のカップルでな。ほほほ、てれるわい」
 ツヅレ婆は、一人で頬を赤くしてしゃべった。クサナギは苦笑いしながら、あいまいな返事をするしかなかった。
「しかし、おまえ、ちょっと似てるな。ヒゲの薄いところなんぞ特に」
「え、誰にですか?」
「決まってるじゃろ、わたしのカ・レ・シ……。わたしの美貌に釣り合うお人は、一人しかおらん、アカツキ殿じゃ」
(う、うっそー)
 心の中でクサナギは叫んだ。
「なに、わたしのいうことが信じられんのか?」
「い、いえ、その」
「まあ無理もない。あのお方は統一の後、二百二十才までこの国を見守ってから、風になってしまわれた。それから八百年も経った……」
「え?」
 アカツキが活躍したのは二十才くらい。それから二百年ほど生きて、ある日消えるようにいなくなってしまったと、話に聞いていた。今、老婆が言っていることと、まさしく同じなのだ。
「わたしも一緒に眠ったが、アカツキ殿から頼まれ事があってな。一足先に目覚めて、準備をしていたんじゃよ」
「準備?」
「さよう、再び戦乱が起ることがわかっていたからな」
「え? だって神官すら予知できなかったって……」
「いやな、何かが起こることは神官にだってわかっておった。じゃがな、平和ぼけというか、気を読み違えて、天変地異だと思い込んでしまったんじゃ。スセリ媛が身ごもった意味もな」
「じゃあ、あの日食は……」
「天の啓示にきまっておるじゃろ。太陽と月、陽と陰が合わさって、スセリ媛の胎にはいったのじゃ。まあ、わたしには八百年前からわかっていたんじゃが、眠っている間に間違った予言が発表されてしまっておった。今さら間違いを正すのも気が引ける。神官たちにもメンツがあるからの。ほっほ」
「では、せめて賢者の長老たちに……」
「何をいっとる。何も知らんのはひよっこのおまえだけじゃ。かわいそうじゃが、クシナダ族は一番の災難に遭う。しかし、クシナダもマツラ、イヨ、ヘグリ、トヨの人間たちも必ず立ち上がって平和を取り戻す。今は人間の世じゃ、ホデリ族は力を貸してやるのみ。じっと時を待つんじゃ」
「あ、そのために勇者が必要なんだ……」
「じゃろう? じゃが、勇者とてしょせんは人間、育てる者がおらんと使い物にならんし、育て方によっては善悪の判断を誤る。だからわたしの出番がきてな。まず、イスルギやおまえの父ムラクモを育て、正しくホデリの術を授けさせようとしていたんじゃ。第一勇者を助けるのは、ひよっこ、おまえじゃろう!」
「え、本当ですか?」
「ほんに脳天気な奴じゃな、おまえは! 八年前、ヒムカをその腕に抱いたとき、勇者を育て、共に戦うという大役を手にしたんじゃよ。やれやれ、こんなおばかでは先が思いやられるわい」
 ぼろくそにいわれて、クサナギは返す言葉もなかったが、改めて自分に課せられた責任の重さを痛感し、身が引き締まった。
「本当ならわたしは告げ知らせるだけで、すぐまた眠るつもりじゃった。しかし、八百年前の予想を上回る力を感じてな。もうちと起きていてことを質そうと思って、しゃしゃり出てきたんじゃよ」
「といいますと……」
「うむ、最近…百年ほど前からな、ホオリ族に力の強い者が出てきておる。アカマダラ(朱斑)というやつじゃ。こやつは以前わたしらが倒したホオリ族の首領ヤタガラス(八咫烏)が別の姿になって再生したんじゃが、かつてないほどの邪悪な気を感じる。まだ表には出ておらんが、だんだんと強くなっておる。そやつの存在が気をゆがめておるんじゃ。だから、神官も読み違えてしまったんじゃよ。未熟者じゃな、まったく」
「ホオリ族……、アカマダラ」
 クサナギはいやな予感がしてつぶやいた。
「そいつは狡猾な奴でな、今は仲間をつかってハヤト族を利用しているにすぎん……。じゃがまあ、その先をわたしが言うわけにはいかんのでな。ひよっこのおまえは、もっと苦労して力を蓄えるんじゃぞ。で、わたしからおまえにちょいとプレゼントがあってな……。目をつぶってごらん」
 言われるまま目をつぶると、クサナギは、急に体が宙に浮いたように感じた。

 クサナギが気がつくとツヅレ婆はおらず、いつの間にか鑑の泉のそばに来ていた。見るとヒムカがそこに倒れている。あわてて駆け寄るクサナギの耳に声が響いた。
作品名:綿津見國奇譚 作家名:せき あゆみ